巡り巡ってイラク人ムスリマに祝福の届けられんことを

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 多分生まれてはじめて、イラク人ムスリマと話した。夜のカイロで道に迷い、助けられた。
 久しぶりに会った友人と話が弾んですっかり遅くなり、長い長い「ウチが奢る」合戦で激闘の末エジプト人を説き伏せる栄光に預って、フワフワした気持ちで歩いていたら、いつの間にか全然知らないところにいた。よく知った地域だと思っていたが、夜見ると風景がまるで違い、東西南北も見失って、すっかり途方にくれてしまった。
 おまけに、夜になると柄の悪そうなのが結構ウロウロしている。こんな奴らに迷っていると知られたらどんな目にあうか分からないので、とりあえず自信満々なフリをして早足で歩いていた。現在もカイロはそれほど治安が悪いわけではないが、それでも夜遅くなると勝手が違う。さすがにちょっと不安になっていた。
 そんな時に道端で話していた彼女が目に止まった。とりあえず女性だし、信用できそうな雰囲気があったので道を尋ねた。
 顔つきや服装が西洋人みたいだったので、最初は西洋人か、コプトの人かと思っていた。話してみると、流暢なエジプト方言を喋るのだけれど、明らかに生粋のエジプト人の言葉ではない。しかし連れの男性と「わたし英語わかんないのよ」と言っているし、訛りが西洋人のものと違う。
 とりえあず彼女はとても親切で、親身になっていろんな人に道を尋ねながら一緒に歩いてくれた。道すがら「どこから来たの?」「カイロで何してるの?」などと色々尋ねられ、それからふと「わたしはイラク人だ、わたしも他所者(ガリーバ)だから放っておけない」と言った。エジプトに来て八年で、結婚して二十年になるが離婚し、息子はエジプト人だと言う。「イラクよ、サッダームよ」と吐き捨てるように言った。
 「ムスリマなの?」というので「そうだ」と言うと、「日本にもムスリムがいるのか」「父親もムスリムなのか、それとも改宗したのか」と聞かれた。
 そんな流れで、イラク人ならまぁ間違いないのだけれど「ムスリマですか?」と尋ねると、「ムスリマだ、礼拝し斎戒しクルアーンを読む」と答えた。多分、服装や雰囲気から、エジプト人にはしょっちゅうコプトや西洋人と間違えられているのだろう。受け答えに慣れている感じがした。
 シーアなのかスンナなのかは聞かなかったし、別に興味もない。コプトとは仲良くやっていきたい、と言うエジプト人が、ことシーアの話になると悪しざまに罵るのを何度も聞いてきたが、わたし個人はシーアについて別に悪感情は全くない。全く個人的な感情だが、唯一なる主を信じてさえいれば、細かいことは心底どうでもいい。もしかするとキリスト教徒やユダヤ教徒だって、主の目線から見れば大差ないのかもしれない。いずれにせよ、わたしたちは常に間違っている可能性を抱えている。誤っているのはわたしかもしれない。主の領分に口を出す権利はないと信じている。
 エジプトでも「ガリーバ」で、日本でも「ガリーバ」な人間としては、むしろこんな垢抜けたムスリマに会えて安心した。彼女のように歳を取りたいと感じた。
 アルハムドリッラー、無事に目的地までたどり着き、お茶でも飲んでいってくれ、と誘ったが丁重に断られてしまった。アッラーが善く報われんことを、と何度も礼を言って見送った。
 
 ところで「ウチが奢る」合戦というのは、多分アラブ圏全体で、いかにウィットの効いた説得力のある話で「一本取られた」と思わせるか、という芸のようなものになっていると思う(他の地域でもそういうことはあるだろうし、日本でもそういう面はまだ多少残っているだろう)。
 今日は紆余曲折の末、「わたしの稼ぎはあなたより良い、ムスリマとして払うのは当たり前だ、その代わり困っている人がいたら助けてあげてくれ、主の恵みはそうやって回るものだろう」と言って説き伏せた。しかし、別れていくらも経たないうちに、すぐに恵みが戻ってきてしまい、貸し借りゼロになってしまった。
 このままでは悔しいので、イラク人を見つけたら何でもいいから善行をブンどってやろうと思う。
 いや、別にイラク人でなくても誰でもいい。
 主よ、おしゃれで可愛らしい親切なイラク人を遣わされたことに感謝します。
 そして願わくば、わたしの助けた誰かが誰かを助け、彼または彼女がまた誰かを助け、その恵みがやがてどこかでイラクの同胞たちに届けられますように。
 イラクとエジプトと我が祖国日本と、世界中の信じる者たちに恵みを分け与えられますように。
 
追記:
 上の件と全然関係ないのだけれど、今日は道を歩いていたらポーランド人の友人とバッタリ会った。彼女がカイロにいることは知っていたのだけれど、知り合った時は彼女にネット環境がなくてメールも分からず、電話番号も変わって連絡がつかなくなっていたのだ。それが、あの雑踏の中で、偶然に出会った。
 日本人とポーランド人が、カイロの喧騒のまっただ中で再会し、エジプト方言で話す、という、奇妙極まりない光景ができあがった。
 きゃあきゃあ騒いで「もうエジプト方言完璧やん」「あなたこそ上手」「いやまだ全然だよ」と話していたら、そばにいたマッチョなエジプト人の若者が「いや、アンタら両方ともバッチリだよ」と勝手に話に入ってきた。
 彼女は貿易会社で働いていたがしばらく前に辞めて、新しい仕事を探していたのだが、ロシア語ができると聞いて、マッチョ男が「ガルダカにロシア人相手の商売やってる友人がいる、通訳の仕事があるかも」と言ってきた。なんだかすごい勢いで電話番号を交換していて「いや、それただのナンパかもしれないから気を付けろよ」と少し心配になった。
 今思い返してさらに奇妙な一致に気づいたのだけれど、彼女がエジプトに来る原因の一つがイラクにあったのだった。ポーランドにイラク人の友人がいて、それがきっかけでアラブに興味を持ちアラビア語を少し覚え、シリアでフスハーを学び、仕事を探しにエジプトに来ていたのだった。だから、出会った当時はイラク方言で喋る変なポーランド人だったのだが、一年ぶりに会うと完璧にエジプト方言になっていた。
 イラク人は「世俗的」だと聞いていたけれど(この「世俗的」という言葉は多分に政治的で危険なので、あまり使いたくないのだが、所謂意味で「世俗的」ということ)、彼女が見せてくれた友人の写真も、今日出会ったイラク人のように西洋風で、エジプト基準だと「ムスリマらしく」なかったのを思い出した。
 今日のお題が「イラク」だったのだろうか。
 届けられたなぞなぞが複雑すぎて、到底読み解けない。
 ただ巡り巡ってわたしが感じたのは「こだわりを捨てよ」「人を許せ」「主に与えられたものを分け与えよ」というメッセージだ。もちろん、全然ハズレかもしれない。死んでから主に「あの時の正解は何だったのですか」と質問できるよう、忘れないようにここに書き留めておく。
 これを読んだ方々で、来世でわたしを見かけて忘れている様子だったら、どうか「あの件聞いてみたら」と思い出させて下さい。