かつて革命があった 2

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 90年代の半ばくらにのことだ、ウマル、トゥアー。大統領はエチオピアのアジスアベバでのアフリカ・サミットに出席したのだけれど、突然暗殺を企んでいる者がいるということになって、運転手に引き返せと言って、最初の飛行機に乗ってエジプトに帰ってきてしまった。
 この日は皆、大統領の知恵と抜きん出た勇気について、大統領を憎むエジプトの敵について話していた。でも今に至るまで、引き返して帰るということのどこに勇気があるのか僕には分からない。
 この時大統領はご立腹で、演説でスーダンを罵り、当時のスーダン副大統領アッ=トゥラービーにこう言った。気をつけるんだな、スーダンが暗殺の糸を引いている証拠があるぞ、と。
 でもこの時目を引いたのは、多くの人々がお帰りなさいと言うために大統領官邸を訪れたということだ。まるでご近所さんが小巡礼から帰ってきたみたいに。これがテレビで放送されていたのをよく覚えている。
 この時僕は、大人たちに、こういうことが世界中のどこの国であれ起こったことがあるのか尋ねた。
 ない、と答えた。
 大統領はこの時、心配してきた沢山の人々に会った。病院から出て家に帰ってきたみたいだった。大国の大統領じゃなくて、クフル・トゥフルムス1の村長か何かみたいだった。エジプトのテレビと新聞はこれを、民衆の大統領に対する愛のデモのように伝えた。
 この時、政府の工場や作業所が、何千もの労働者をムバーラク邸に行かせていたのだ(これだけの人がどうやっていきなり知ったのか分からない)。宮殿の脇に立って「魂と血をもって我らは贖わん、おおムバーラク、魂と血をもって我らは贖わん、おおムバーラク」と歓声をあげていた。
 この歓声にはすごくイラついた。
 偉大なるアッラーに誓って、もし大統領が彼らの一人に、ちょっと来て俺の代わりに死んでくれ、魂と血をもって贖ってくれ、と言ったら、誰も納得しなかっただろうから。
 ここに来ていた人々は――例外なく――大統領の任命した大臣たちの命令で来ていたのだ。
 つまり、そもそも彼らは大統領自身の命令で来ていたようなものだ。大統領が彼らに、俺を心配しに来てくれ、バイバイと手を振ってあげるから、そしたら帰れ、と言ったようなものだ!
 信じられるか、ウマル、トゥアー、彼らは宮殿に行ったことで、出社したのと同じように半日分の給料を貰っていたんだ。そして行かなかった者は、休暇扱いで一日分給料を引かれたんだ!
 奇妙なことに、この時は、人が集まって交通が麻痺したとかいうことを聞かなかった。警察とか治安機関が秩序維持に行ったとか。混雑とか人が殺到したせいで人が死ぬとかいうこともなかった。
 大統領が窓から出てきて、皆にバイバイと手を振って礼を言うのを僕は見た。それからご苦労、と言われて、皆んなは帰った。ガマール・アブドゥンナーセルのために出ていった何百万人もの人、彼の葬式に何の見返りもなくただ純粋な愛のために赴いた人々と、この時のムバーラクに対する人々とを、僕は比べてみた。そして僕が理解したのは、ムバーラクがお世辞好きで、簡単に騙せるヤツだということだ。お世辞を言っているヤツと本気のヤツはすぐ見分けがつく、といつも彼は言っていたのだけれど。僕の経験の教えるところでは、俺は簡単に騙されないとかお世辞は嫌いだとか言ってるヤツに限って、一番お世辞好きでコロッと騙されるのだ。

 この頃皆は、ムバーラクの時代を民主主義華やかなりし時として語った。ペンが折られることなく、新聞が禁止されることなく、ジャーナリストが手荒に扱われることもない。こうしたことが、大統領の突然の決定まで、レコードのように繰り返されていた。報道の自由を法で制限しようとし、僕の新聞社の友人たちは激昂し、皆がこれに反対した。ここで大統領の人格の一端がかいま見られた。ジャーナリストは綺麗事を言うか、そうでなければ突然「法が気に食わないだと。お前ら何様のつもりだ」となるのだ。
 大統領は時々、区名なジャーナリストに連絡して言った。「これこれのものが書いたものを読んだ。別に悪くはない。だが状況が好ましくない。彼らに言わずに君に話しているのは、誤解されたくないからだ。これは大統領としてではなく、一国民として言っているんだがね」。これについていくつも本を書いているアニース・マンスールがこうしたことの証人だ。ジャーナリストの間では、大統領がユースフ・イドリースやハイカルやムスタファー・アミーン、タウフィーク・アル=ハキーム2を気に入っていないのは知られたことだった。
 法律により大勢が投獄されるはずだった。
 しかしジャーナリストたちが立ち向かった。
 ジャーナリストたちは万難を乗り越え勝利した。法案は棄却された。
 当時の主旋律は、ムバーラクの時代は以前のどの大統領の時よりもずっと自由が増した、というものだった。政治を批判することは、ナーセルやサーダートの時代には逮捕投獄されることなしには不可能だった。多くの人々が、これを信じ納得していた。投げられたパンくずのような自由しか知らず、それを自由だと思って満足していたのだ。本当の自由を知らなかったのだから。
 人々は自由が権利だということを理解していなかった。自由というのは、統治者に恵んでもらうものではない、ということを。
 この頃僕は、それまでに見たこともなく、世界のどこでも聞いたこともない奇妙な光景を目にした。
 まともな国ではありえず、恐怖映画でしかあり得ないような光景を。
 次の任期での大統領への忠誠を血で書いたプラカードを持って、人々が繰り出したのだ。曰く、「汝こそ指導者、汝こそ永遠なれ、ただ汝のみ、盤石なる指導者に是、平穏と安寧に是、統治者ムバーラクに是」等々だ。
 (偽物の)人民議会議員たちが彼のところまで言って、人民の願いを伝える安い芝居を目にした(そもそも彼らを選んでもいないし、誰も自分の名において語って欲しいなどと求めていないのだけれど)。エジプトの大統領であり続けて欲しい、統治の座に座り続けて欲しい、と。
 彼ら皆が大統領官邸に挨拶に訪れた。次の任期も立候補して下さい、と言うのだ。それから大統領に挨拶しているところを写真に撮ってもらい、その写真を引き伸ばして家に飾るのだ。
 よく覚えているけれど、故カマール・アッ=シャーズリーが彼の隣に立っていた時、大統領に挨拶した後アッ=シャーズリーにも挨拶しようとした人を突き飛ばして、挨拶させないようにしたことがある。
 本当におかしな風景で、僕はムカムカした。同じようにムカムカしたのが、法律家のアフマド・ファトヒー・スルールを教育相にしたことだ。彼は教育をブチ壊して何の成果もあげなかった。六年制小学校を取りやめて何もかもパーにした3。エジプトの教育について何の考えも持たず、何も改善しなかった。一番酷いのは、教育相を退かせてから人民議会で議長に据えたのだ。ただ「可決」と言って、法律を作って、「総ては法なり」と言うために。人民議会議員に対して司法が無効を裁定した時も、これを無視して気にもかけなかった。そしていつも言うのが、ムカムカする有名な台詞だった。「議会こそが法の主なり」。
 愛しいお前たち、そもそも公正な政治などありはしなかったんだ。確かに、スルールが教育省を退いた後には、まともな人が任命された。でも彼は小児科医だった。彼が教育省を握ったわけだけれど(フサイン・カーミル・バハーゥ・ッ=ディーン)、一方でこの時の厚生相(マーヘル・ムフラーン)は、気にすることと言ったら人口会議の運営で、厚生省の仕事は要するに女子割礼を禁止することだった。くそったれの病院で人々が死んでいる時に。警察の評判はますます悪くなり、皆は警察を愛さず恐れた。不平を言うと捕まって、曰く「非常事態令下だ4」。あるいはでっち上げしたり、テロという化物で脅す。文句を言うと、お前たちのことが心配で、為を思ってやっているんだと。
 誰もが「調書をシメる」というのを知っていた。というのも警察は、毎年年末までに捜査を終わらせて、仕事をしているように見せかけたいからだ。だからその辺を歩いているヤツを誰でも捕まえるか、適当に粗探しをして、逮捕して調書を作る。おまけに、警官たちは商人や多くの人々から賄賂を巻き上げていた。加えて、電気ドロとか空港警備とか観光とか護衛といった分野に派遣されると、給料に加えて金を巻き上げる。その一方でこの時の――今も――交通はクソ、教育もクソ、保健もクソ、農業もクソクソクソだった。

 かつてエジプトは、世界の穀物庫と言われていた。それが今や、学者たちが来て曰く、最も輸入の必要なものは小麦だと!
 90年代の終わりから新しい世紀の始まりにかけて、この小麦に発ガン性があるという調査や研究があった。この時の農業省が許可してエジプトに入ってきた殺虫剤に、発ガン性があったのだ。この犯罪について多くの調査が行われたが、死人に呼びかけているようなものだった。今に至るまで大臣ユースフ・ワーリーは裁かれず、証拠もあるのに裁判され行われていないのだ!
 腹が立つのは、国すべてが、誰が汚職をしていているか分かっているのに、誰も裁くことも話すことも、勇気を出して訴えることもできなかったということだ。
 もっと腹が立つのは、多くの人には知識も良心もあり、問題を解決することができたとういことだ。それなのに、こうした人たちは遠ざけられ、話すこともできず、話せても意見は言えなかった。
 またこれもムカムカすることに、汚職はどんどん大きくあり、互いに入り組んだ完璧なシステムになり、まるでマフィアのようになったということだ。
 例えば、僕は個人的に、選挙の時に頼りにされていたチンピラを知っている。同時に彼は、警察の案内をして、気に食わないヤツを取り締まらせていた。お陰で警察が捜査を終わらせて、完璧に仕事をしているようにできた。それは全部でっち上げな訳だけれど。彼がそういうことをするのは、警察を味方につけて、見逃してもらうためだった。時が経ち、この警察の案内をしていたチンピラは、商売がうまくいって実業家になった。地域の警官らに月々の小遣いをやるのを忘れなかったからだ。もう一つの給料が警官たちにやるプレゼントや色々な良いものだ。こうしてことはすっかりマフィアになる。そして何でも困ったことがあるヤツは、チンピラのところに行って警察と話をつけてもらうことになる。誰かが事故にあったり、ヤクザ仕事で捕まったりすると、この実業家が出してくれる。もちろんタダじゃない。本当にマフィアと一緒だ。間違いなく、助けられた方はそのうち恩返しするなり、役に立たつことをしなきゃならない。
 まったく、僕らの生きているこのドブと下水ときたら!
 ムバーラクこそ我が父、ムバーラクこそエジプト最良の統治者とかいうのを聞かされた時の気分ときたら!
 苛つかされるのは、誰もがここで起きている汚職を解決する策を持っていたってことだ。タクシーに乗れば運転手が話してくれる。メトロに乗れば、皆んな立派な政治評論家だ。どうやって国を立て直すか語ってくれる。でも誰もそれに耳を傾けず、アホワ5や道端で喋ってる与太話だとしか考えなかった。
 不動産のような分野はもっと汚職にまみれていた。誰もその汚職で入り組んだ地獄に入ろうとしない。誰も解決しようとしない。なぜなら、誰もがそれで益を得ているからだ。
 例えば住宅不足問題(本当は沢山土地があった。今は誰がどうやって売っぱらったのか皆んな知っている)があると、農地が潰される。そして農業がダメになる。すると農産物の輸入と輸出のバランスが崩れる。すると食料品不足の陰で闇市場がはびこる。腐ったコンビーフ取引とか、政府系の組合が賞味期限切れの鶏肉を売っていたりとか、冷凍鶏肉と偽って鷹とかワシとかいった猛禽類の肉が売られたりした。
 起きてから寝るまで汚職だ。
 目覚めると断水していたり水圧が弱かったりする。ナイルの国でだ。水道管が汚染されている。健康に気を遣うなら、浄水器を付けないといけない。田舎やカイロから遠いところでは、水がなくてタンクで買わないいけない。
 家から出て道をあるけば、電灯が昼間はついていて夜は消えている。僕たちの電気代の無駄を、誰も責任を追求しようとしない。その決定的結末が2010年の停電だ。アスワンハイダムの国で、節電が呼びかけられた。それだけじゃない。そう呼びかけた当人たちは、電気網に一番負担をかけ停電の原因になっているエアコンを切ろうともしなかった。
 交通機関は非人間的で、まともに整備されていない。さらに待ち受けていたのが交通バスとかいう名前のやつだ。「集団輸送」とか呼ばれている。この運転手たちは、ヤク中、チンピラ、年少上がりで、警官が小遣い稼ぎで運営しているのもある6。メトロには皆が喜んだものだけれど、今やその意味は手抜きと一緒で、乞食やチンピラが賄賂を貰った警官と結託している。
 政府に関わるどんなことでも、きちんと扱ってもらって早く終わらせるには賄賂が要る。自分から袖の下を出さなければ、職員が凄まじい厚かましさで要求してくる。
 もちろん総てという訳ではない。
 しかし僕らの国の大勢は、本当にこうだ。
 下水は詰まり、道は舗装されず、お偉いさんが訪問する時だけは綺麗になるが、木が新しく植えられてもお偉いさんが帰ったら元に戻るか前より悪くなる。帰ったら引っこ抜かれるのだ。もうお約束で皆んな分かっている!
 汚職マフィアは皆んな互いにつながってる。それを暴くのは簡単だ。だが誰一人裁こうとしない。
 ムバーラクが贔屓にして賞まであげた実業家も、何年かすると大汚職の渦中にある。
 もうどこにでも汚職があり、歩いていたら汚職に躓くくらいだった。誰もが知っていて目にしていて、解決も知っていたけれど、ある一人がその気にならなければどうしようもないし、そいつはその気がなかった。
 そいつの名はホスニー・ムバーラク。
 そいつが好きなように内閣を任命した。
 好きなように大臣を決めた。
 好きなように政治をやった。
 偽物の人民議会は裁いたりできない。なぜなら、そいつら皆が受益者だからだ。誰もが大統領とその党、体制に守れている。
 野党はどうしてるんだって?
 野党のほとんどは浮世離れしてる連中だ。
 マンガだ。
 ゼリーみたいに訳もなくプルプルしてるマンガのキャラだ。
 ゼリーだって食べたら美味しい。だが連中は国を壊し、ただお喋りしているだけだ。
 多くのことが腐敗の極みにあり、彼らはそれを知っていた。でも体制を困らせたり、彼らがその声を代表していて問題を分かっている人々に届くような態度を決めたことは、一度もない。
 ある時はトシュカなる計画が降りかかった7。これは僕らの子供たちのための計画で、二十年後のエジプトの未来のものだった。しばらくすると計画は頓挫し、汚職と妄想にまみれていたことが分かった。世界一のお金持ちの一人アル=ワリード・イブン=タラール王子が、広大な土地を端金で買った。僅かなディルハムで!8
 皆が知っていた。誰が腐敗していて、誰が泥棒で、誰が分かっていて、誰が分かっていなくて、誰が口答えも見直しも許さないままボロボロにしていっているかを。
 誰が国を独占している鯨なのかを。
 誰が好き放題によあり、誰にも文句を言わせないかを。
 それでも、誰も何も言えなかった。

 しばらくして、自由の天井が上がった。
 人々が喋れるくらいまで、すごく天井が上がって自由になった。
 でも誰も聞かない。
 聞こえても無視する。
 あるいは、自分に分かることしか聞かない。
 そして話す者たちは、何か企んでいるとか、スパイだとか、裏切り者だとか、アメリカの犬だとか、ムスリム同胞団だとか、千夜一夜物語の魔物に取り憑かれているとかいうことにされた。
 そんなに前のことじゃない。

 この国の多くの人は読書したがらない。
 無知と無関心に満足しているから。
 無駄だと分かっているからかもしれない。

 シャルキルアウサト紙で、ビジネスに関する調査が進められているのを読んだ。
 ビジネスと言っても他でもない。
 大統領の息子たちのビジネスだ。
 アラーゥ・ムバーラクとガマール・ムバーラクだ。
 以前はムバーラクの資産について尋ねること自体がご法度だった。たとえ冗談であっても。
 いくら稼いでいるのか、それで何をしちるのか、大統領になる前と後の資産、何もかも知らなかった。
 彼の子供たちが何の仕事をしているのかすら知らなかった。
 誰と仕事しているのか。
 どうやって。
 すべて噂だった。どの噂も何ら真実には根ざしていなかった。ただ彼らが僕たちとは違う、ということを除いて。
 アラーゥ・ムバーラクは、ゴルディー社でのアフマド・バフガト9のパートナーだと聞いた。前にはゴールドスターという名前で、その後エル・ジーという名前になった会社だ。
 また、ガマールは株を買ってマネーゲームをやっていると聞いた。
 これは結構な頑張りで。
 ご苦労さんだ。
 そしてシャルキルアウサト紙が調査のことを発表し、株に関することで、次号で公表する、と言ったところ、その号は印刷も輸入も禁止されてしまった。
 それだけじゃない。
 サフゥワト・アル=シャリーフの決定で、新聞社の事務所も閉鎖されてしまった。
 調査の内容がどんなものだったのか知らないが、働いていた人たちは路頭に迷うことになった。
 それからしばらくして――数ヶ月だったか数年だったか覚えていない――公式謝罪の後、この新聞と事務所がエジプトに戻ってきた。でも依然として誰も、大統領の息子たちのビジネスについて知らないし、故ファフド王からのお言葉があったのかも分からない。
 サフゥワト・アル=シャリーフは、僕たちにそれを読ませることなく、でっち上げだとした。

 サフゥワト・アル=シャリーフは、かつて諜報組織にいて、情報を手に入れるのに女たちを使っていた。
 彼は、第三次中東戦争敗北後の有名な諜報機関の腐敗問題の中に名を連ねていた。今でもだが。
 ホスニー・ムバーラクに報道相を任せられていた男だ。
 それから国民党すべてが任せられた。
 諮問議会も任せられた。
 つまり報道最高評議会ということだ。新聞が何を書き何を書かないかを彼が決めるのだ。
 諸政党委員会は15年間で二つの政党しか作らず、彼らの作った政党は金を貰って黙り、支援金すら貰っている10
 明日党のようなちょっと声が大きくて厄介な政党なら、解散させてしまった。

 この頃、アラーゥと一緒にスタジアムの中にあるフーラス・クラブのチーム「タカ」でサッカーをしていたガマール・ムバーラクについて、よく聞くようになった。
 僕らにとっては単に大統領の息子だった。
 以前はすべてうまくいっていた、ただ一つのことを除いて。
 ガマール・ムバーラクが、サッカーの代わりに政治をプレイするようになったのだ。
 スタジアムだけじゃなく、国全体でプレイするようになった。
 階段席の数百人の観客ではなく、8000万人の前で。
 彼がエジプト・アメリカ経済会議のメンバーとしてニュースに登場するのを目にするようになった(どういうわけだか理解できない)。それがどんどん大きくなって、彼が党をやるだの、次期青年相だの、若者のための慈善事業をやりたいだの言われるようになり、それから将来世代協会というのを始めて、カイロ大学の中に大きな建物を建てた。他のどんな団体にも、その三分の一、いや四分の一の建物だって建てられないのに。この頃、エジプトのすべての大学は、例外なしに、国民党のために働いていた。大学の中では、国民党に賛成しないいかなる政治活動も禁止されていた。大学は政治のためのものじゃない、という口実で!
 ガマール・ムバーラクの存在はどんどん大きくなって、出番も多くなった。その権限はストレッチみたいに広がり、ただの銀行員だった男が国を支配するようになった。
 ガマール・ムバーラクは、父親の威光を傘に来て、大きいことにも小さいことにも首を突っ込むようになった。彼が経済政策に助言すると、エジプトはギニー下落の屈辱を浴びた11。それから色々な災難があった末、ある証券会社に秘密裏に関与していたことも分かった。
 ガマールと一緒に仲間たちが現れた。個人的な仲間だ。友達だとか、実業家仲間だとか、こうした美味い汁を吸っているヤツらが、彼に天才だとか政治の才があるとか、新発想でエジプトを救うとか吹き込んだ。
 彼の母親もこの末っ子を猫かわいがりし、国で役割が大きくなるのに熱狂していた。
 バンク・オブ・アメリカで働き政治とは無縁で、政治について語ったこともなければ、特別重んられるような地位にもなかったガマール・ムバーラクが、あれよあれよという間に与党国民党の政治委員会書記長になった。彼の運の良い仲間たちだけが、この委員会に入り、国の政治に関与することができた。
 国中皆が、ムバーラクは息子のガマールを跡継ぎにするつもりだ、と言い始めた。世襲問題は反対を呼び、彼らは四六時中世襲を呪うようになった。
 ガマールやその父親や党につながっているからということで、政治に口を出す奇妙なヤツらが現れた。実業家やジャーナリストや、ボディーガードが必須の腐敗した有名人たちが、大統領やその息子ガマールを褒め称えた。ある者たちは慕い、ある者たちは彼の近くにいることで大いに益を得た。コネを使って欲しいものに手を伸ばし、掠めとったのだ。
 ドラムを叩いていたアフマド・アッズが、鉄鋼業を牛耳り、株で何十億も稼いだ。国民党の書記長になり、党の金や大統領のキャンペーンを好きなままにした。国民党のメンバーたちを指一本で操った。
 皆が彼についてブツブツ言ってたが、そんな生涯も大統領の息子のお陰で造作もなく取り除いた。
 また、アッ=リハーブ市のヒシャーム・タラアト・ムスタファーという男が出てきた。大企業タラアト・ムスタファー社の社長だ。この男は、エジプトで最も過激で最も強力な反体制派の新聞ドストール紙12を買収し、大統領パパへのプレゼントにしようとした。というのも彼は、大統領を父親のように見ていたから。奇妙なのは、このヒシャームのアラブ映画のような最後だ。二流歌手のスーザーン・タムイームに入れ込んでさんざん散財したあげくフラれて、復讐のために元警官を殺し屋に雇ったのだ。
 クレオパトラ・セラミックのムハンマド・アブー=アル=アニーンは、セラミックに偽装してバイアグラを密輸した。これが発覚した時、終わってもおかしくなかったのに、一人の社員を身代わりに捕まらせて、造作もなくすり抜けてしまったしかも国際委員会のメンバーにすらなった。
 更にアリー=ッ=ディーン・ヒラールの例がある。政経学部の前学長だ。彼は大臣になって権力に近づこうとし、青年大臣になったが、何もできなかった。ワールドカップの開催地候補に名乗りでたが、一票も取れずに南アフリカに敗れ、すぐにクビにはなった。
 フェイスブックのブラックリストでは、他にも沢山の名前を見ることができる。エジプトをブチ壊してその上に居座った者として、歴史に刻むためだ。

 ガマールは党で新しいアイデアを実行し、改革を率いるようになった。これに連れて、良心を売り渡すことのなかった彼の周りの本当の立派な文化人たちは、この国をホスニー・ムバーラク一家の王国にすまいと抵抗し始めた。ムバーラクは、世襲なんてありえないと言っていたが、彼と息子とその取り巻きたちは、一歩ごと、一つの決定、一つの法案ごとに、反対の方向へと向かっていた。
 この時パパは、ドストール紙で働いていた。その編集長で発起人だったのが、ヤヒヤーとファトマのお父さん、イブラーヒーム・イーサーおじさんだ。彼こそホスニー・ムバーラクとその体制に対する最強の反対者だった。彼と、新聞社にいたすべてのジャーナリストの若者たちは、世襲と戦い、国民党と内務省、エジプトの汚職の象徴すべてについて、醜聞を暴きたてた。そしてムバーラクこそが原因であると、ズバリ追求した。風刺こそが、新聞の最強の武器だった。一面を「我らはアッラーに助けを乞う」という見出しを載せた。天才サリームおじさんは、そこでムバーラクの後ろ姿を描き、エジプト民衆の敵を打つべく、風刺の限りを尽くした。ビラー・ファドルおじさんは、エジプトで何が起きているのか綴った。僕たちを馬鹿にし、エジプトを馬鹿にしているすべてのヤツらに筆の一撃を与えた。一方、マエストロ・イブラーヒーム・イーサーは、最も向こう見ずで豪胆だった。彼の歴史的試論「お前は死んだ」は、誰にも忘れることができないだろう。そこで彼が語ったのは、大統領も人間なのだから、皆と同じくいずれ死ぬ、という話だ。そこで彼は、その時代におきた汚職、無法、無作法、窃盗、強盗について問いただされる。彼は黙ってそれを認めるしかない、というものだった。
 イブラーヒーム・イーサーは、ヘイカル13の意見ではジャーナリズムの一兵卒だったが、実際はコマンドーの司令官だった。
 この頃批判はますます増し、キファーヤ運動のような抗議活動が見られるようになった。キファーヤ(たくさん)14とは、辱めはもうたくさん、抑圧はもうたくさん、汚職はもうたくさん、という意味だが、何よりもムバーラクはもうたくさん、ということだ。
 ある時、ムバーラクが書籍の見本市を開いたのだけれど、その席で尊敬すべき文化人、故ムハンマド・アッ=サイード・サイードが、この国には改革が必要で、憲法を改正しないといけない、修正の必要な条項に関する個人的な修正案もある、とぶちまけた。
 彼がこう語る横で、大統領がカンカンになっていた。そして思い切り馬鹿にした調子で「その修正案はポケットにしまっとけ」と言った。
 これは本当にセンセーショナルな場面で、その場に居合わせた人々は口々にこれを話し合った。
 でも驚いたのは、その数週間後に、大統領が、共和国大統領への立候補に関する憲法修正案をもって現れた、ということだ。国民投票ではなく選挙によって選ぶというものだ。おべっか使いの受益者たちがひとしきり歓声をあげた後、この修正案は国民党の候補にぴったり合わせたものだということが分かった。つまりそれは、ホスニー・ムバーラクその人が心臓の動いている限りエジプトを支配し続けるか、あるいは、その後であれ存命中であれ、息子が継ぐ、ということだ。
 この条項についての国民投票の日、内務省のやった最も忌まわしい行いの一つが起こった。アブドゥルハーリク・サルワト通りのジャーナリスト協会で修正条項に反対するデモを行った人々に対して、チンピラや前科者、ぎゃあぎゃあ喚くアバズレども(映画「フランスのおじさん」参照15)、を使って、殴る、罵る、性的暴行といった行いに出たのだ。警官と内務省の治安部隊の保護のもとで、だ。
 これは衛星で放送され、皆がその目で見た。小馬鹿にされ暴行され反撃もできない人々が、新聞やテレビで伝えられたのだ。
 暴行され服をズタズタにされた女性たちについてすら、ママ・スーザーンは何も触れず、女性国民会議も何も言わず、今に至るまで誰も彼女らの権利を取り戻してくれていない。
 2005年の議会選挙は、酷いやり方で不正が行われた。諮問官ヌハー・アッ=ジーニーが、国民党の候補で思想家、作家、前大統領情報秘書のムスタファー・アル=フィィーに有利に行われた不正を暴いた。裁判官たちも、その一人がデモで警官から暴行を受けたことから、彼らの辞任を要求したが、裁判官の二人が取り調べを受ける結果に終わった。
 大統領選挙はカオスの極みだった。ムバーラクの対抗馬がいくらか野党から出馬したが、彼らはただのエキストラで、普段は黙っていて決まった場面で台詞を言わされるだけだった。
 唯一声を高くあげたのがアイマン・ヌールだ。ムバーラク反対票を50万票を獲得したが、その後不正の濡れ衣を着せられて投獄された。彼はいつも、自分は次点であって、ただホスニー・ムバーラクに議論を挑みたいのだ、と言っていたのだが。
 故人となったある候補者ときたら、タルブーシュを被って16、その党は美容師学校を開き夢解きをするというものだったのだが、これがホスニー・ムバーラクが勝つことを望んでいると語ったのだ。そしてもしも彼が勝ったらば、ホスニー・ムバーラクに席を譲る、彼こそが最高だから、と語っていたのだ!

 それから数年、すべてが唯一の道を進んだ。
 世襲という悲しみの道だ。
 汚職があらゆるものを支配した。
 ガマール・ムバーラクの一団が暴政を極めた。警察は汚職の極みにあり、拷問し、テロをかけ、誰にも自分たちを裁くことはできない、というメッセージを送り続けた。
 誰もホスニー・ムバーラクを裁けず、誰もガマール・ムバーラクとその一団を捕まえることができなかった。
 大臣たちや実業家のお偉いさんにしても、その汚職や問題を知られていたのに、ムバーラクのご機嫌を損ねない限り、裁かれることはなかった。
 ガマール・ムバーラクがすべてに口を出す厳しい時期で、国営新聞は酷い役割を果たしていた。尊敬すべき反対者たちは吊るし上げられ、裏切りとか愚昧とかムスリム同胞団につながっているとか、あらゆる疑いをかけてリモコンで操られていることにされた。真の編集長は治安筋で、彼らが何を書くか決め、偽の情報を流し、立派な人たちについての侮辱的な噂を広めた。
 子供たちでさえ、彼らの犬からの一撃を許されることはなかった。
 小さな女の子がムバーラクが好きじゃないと書くだけで、黙らそうとした。ことはムバーラクの介入まで収まらない。そして大抵は、ホスニー・ムバーラクが乗り込んで、素晴らしい正義の味方のような顔をするだ。でも実際のところは、体制はぐちゃぐちゃで空虚、大臣たちは世論に対し何もできず、ムバーラクかガマール、あるいは中央の特定の腐敗した者たちに頼るしかなかった。
 小さな子供が諜報機関に拷問されて殺された。そして誰も裁かれない。数日新聞を賑わせただけで、忘れ去られてしまった。
 携帯で撮影された警察での拷問ビデオが出まわるようになった。警察署の腐敗と無作法が、ブロガーたちの手で暴かれたのだ。これは、腐敗を暴き真実を明るみに出すのに、大きな力となった。

 災厄は大きくなりだした。
 ベニー・スウェーフの文化センターが、演劇の上演中に火災となった。文化相ファールーク・ホスニーとその職員の怠慢のせいだ。消火器も備えられていなかったばかりか、職員が劇場の扉を閉めて逃げたのだ。
 結果として、たくさん創意ある若者、エジプト国民が焼け死んだ。でも誰も裁かれず、悲しみを贖うものもなかった。大統領は文化大臣ファールーク・ホスニーが辞任し政治的責任をとることも認めなかった。そのまま彼を任につけたのだ。
 法的基準を満たしていないフェリーが沈没し、一緒に貧しいエジプト人たちが溺れた。あらゆる調査が、フェリーに欠陥があり、運行できる状態になかったことを示していたのに、人の命を運んでいたのだ。なぜなら、そのオーナーが国民党の党員で、諮問議会の議員で、宮殿における大統領の右腕である有名な国民党員ザカリヤー・アズミーと結びついていたからだ。その日大統領は、エジプトで行われたアフリカ・カップの試合を観に出かけた。誰一人救いだされた人々のことを報告もしなかった。サッカーの試合が人の命より大事だとでもいうようだ。
 アッ=ドゥウィーア地区では、人々がムカッタムの丘近くの粗末な家で暮らしていた。ラマダーンのことだ。夜更かしして眠りついた人々は、もう目を覚ますことがなかった。
 ムカッタムの大岩が彼らの頭上に落ちてきたからだ。ヒビが入っていたのに、誰も報告していなかった。ここの住居は、スーザーン・ムバーラクの住宅計画のフラットで、それを警官たちが貸し出していたものだ。彼らにはその住居を買う資格がなかった筈なのに。
 交通事故も増していた。責任者たちの腐敗と無作法以外に説明のつかないものだ。良心をもって職責を果たさず、主を畏れない者たちだ。
 鉄道事故が起こった時には、水牛のせいだと言われた。その数年前には、上エジプトの列車で火災が発生し、大勢が死んだのに、誰も裁かれなかった。
 日に日に国は盗まれ、強奪された。誇り高い者たちは侮辱され、謀略にはめられたり、濡れ衣を着せられて、お払い箱にされた。社会的に抹殺され、別の者が任命されて追い出された。あらゆるところで訴えをおこされて、投獄された。
 同時に、エジプトの多くの場所がムバーラクの名を冠せられた。ムバーラク図書館、ムバーラク病院、ムバーラク・アカデミー、ムバーラク学問都市。あらゆるものがムバーラク、ムバーラク、ムバーラクだ。もちろん、加えて大統領夫人スーザーンの名も多くの機関に冠せられた。多くの活動が国の援助によっており、そうした組織は、庇護者の名前をつけなければならなかったからだ。

 この国はその民の手からゆっくりと出ていった。誰もどうすることもできなかった。キファーヤ運動が後退し、明日党が内部崩壊し、反対派は新しい血が必要とされていた。
 4月6日運動のような別の抗議活動が現れた。彼らの呼びかけたストライキはうまくいき、国は停止したかのようになり、内務省も為す術もなく困り果てた。道は人気もなくなったが、皆の家に訪ねて行って、道を歩けというわけにもいかないからだ。この日、ストライキをしていた店員が警察と激しく衝突した。警官たちは人々を引きずり回し、店はさながら戦場と化した。メディアは命令により沈黙していた。エジプトにおける言論の自由とやらが、お伽話にすぎない証左だ。
 時が経ち、雪玉は転がり大きくなり、あらゆるところで危機的な汚職が見られるようになった。時と共に、状況は汚職の中にも汚職、という様相を呈した。そしてアル=バラーダイー17という名の男が、長い旅から帰ってきた。国際原子力機関事務総長で、ノーベル平和賞受賞者、ナイル首飾り賞受賞者だ。そして、この国は変革と真の改革を必要としている、と述べ、大統領選挙に出馬する可能性をほのめかした。
 すぐさま、社会的抹殺を測る謀議が始まった。国営新聞、偽情報の流布、力づくの批判。アメリカのイラク侵攻が彼のせいにされ、オゾンホールの拡大さえ彼のせいにされる勢いだった。
 謀略をかけられたこの男こそ、ガマール・ムバーラクとその仲間たちにとって真に危険なものだった。彼の帰還から、新しい運動が始まった。彼を今、完全な形で評価することはできないが、この本を読み理解してくれれば、読者諸兄こそ評価を下せるだろう、インシャーアッラー。

 2010年、世は退廃の極みにあった。
 アスワンハイダムの国で停電。
 忌々しい汚職。
 政治のチンピラどもがエジプトを掌握し、まるで自分たちの財産であるかのように振る舞う。腐敗した警察は決して過ちを認めない。
 そんなある日、ある若者がアレキサンドリアのネットカフェでコンピュータを前にしていた。
 警察という名の犯罪者がやって来て彼を殴り、カフェの外に引きずり出し、隣の建物の入り口で暴行した。
 まだ若い青年で、その名はハーリド・サイードといった。
 暴行と拷問の末、彼は死んだ。
 彼らは殺した上、この面倒を、他の多くの面倒と同じく隠そうとした。
 しかし彼の件は痛ましく、皆が殉教者ハーリド・サイードとその母、家族の味方をしてデモに打って出た。ことをネット上で公にし、警察のやったことを暴きたてた。
 この時、フェイスブックで「我らは皆ハーリド・サイード」というページが作られ、250,000人がメンバーになった。ハーリドの件が伝えられ、拷問の禁止と汚職の摘発、変革の呼びかけと汚職を法の裁きにかけることに向けて、人々が集まった。
 これに対し、恥というものを知らない警察は、ハーリド・サイードは徴兵を逃げていて、殺されたのではなく、警察から逃げる時にマリファナの包みを飲み込もうとして喉につまらせたのだ、と発表した。
 警察はこうして、無数の事件を闇に葬ってきた。誰もが知っている犯人に、誰一人手が出せなかったのだ。犯人が精神障害ということにされたり、自殺したり、ある時など漏電が原因の火災で焼死させられたりした。
 この手の事件にはだんまりを決め込む恥知らずの国営新聞だが、この件では黙っていなかった。といっても、彼らがハーリド・サイードの件でやったのは、警察の言い分を広めることだ。国営新聞のあるよく知られた卑しい嫌われ者は、すべてのデモはマリファナのせいだとまで書いた!
 この青年は一度ならず殺されることになった。殺された後も何度も殺された。司法解剖ははっきりせず、まるで意を得ないものだった。
 この件も似たような事件と同じ経路をたどっていた。被疑者不明とか、被害者が被疑者になったりとかだ。通報もあり、世界中がこの件を語っていたのに、誰も青年の権利を取り戻すことができなかった。しかし若者たちはこれを拒んだ。ハーリド・サイードを殺した諜報員たちを突き止めて、無視することのできないほどに問題を大きくした。今に至るまで解決をみていない追撃をぶちあげた。人々が立ち上がり始めた。この音楽が好きだった好青年の場に自分を重ねあわせ、同じような目にそのうちあうかも知れないと考えたのだ。被害者を被疑者にし、殺された者を殺した者にし、虐げられた者を不埒な犯罪者に仕立て上げるような汚職に。

 この年の終わりに、議会選挙が行われた。
 ガマール・ムバーラクの筋の者たちが類例を見ない不正を押し通し、結果人々が目にしたのは、同じ腐敗したヤツら、押し付けられたままの同じうんざりの顔ぶれだった。
 前と同じ泥棒どもが、また人民議会に入った。ムバーラクは公正な選挙を約束し、保証すると言っていたが。
 何が保証する、だ。不正は誰の目にも明らかだ。司法は、複数の選挙区での選挙中断を求めたが、実行されなかった。チンピラの助けを借りた警察が、事務所を閉鎖し、その様子も撮影されたのに、権力、すなわち大統領宮殿には、誰一人これを気にかける真っ当な人間がいなかった。間違いなく、こいつらは自分の考えでやったのではなく、大統領宮殿からの命令でやったのだ。はっきり言えば、ホスニー・ムバーラクだ。

  1. エジプトの小さな村の一つ []
  2. これらは作家名 []
  3. 六年制だった小学校を五年制にした。その後六年制に戻された []
  4. エジプトはサーダートが暗殺されムバーラクが就任して以来、ずっと非常事態令が発令されたままで、不当逮捕の温床となっていた []
  5. マクハー。アラブの伝統的喫茶店で、男性の社交の場。 []
  6. エジプトでは公務員の副業は禁じられているが、バス事業を運営している者もいる、ということ。 []
  7. トシュカ計画はエジプト政府による上エジプト巨大灌漑プロジェクトで、一時期は国の未来を背負うものとして大々的に宣伝されたが、結局頓挫した。 []
  8. アル=ワリード・イブン=タラールはサウジ王族の一人。ディルハムはモロッコやUAEの通貨で、サウジの通貨はリヤールだが、湾岸の金持ちイメージでディルハムと言っているものと思われる。 []
  9. エジプトの実業家。なお、同姓同名で文学者がいるが別人。当サイトにも文学者アフマド・バフガトの著書翻訳がある []
  10. 旧体制においては政党結成に政府機関が介入しており、政府はすなわち国民党のため、実質的に見せかけだけの野党しか成立し得ない状況だった []
  11. ギニーはエジプトの通貨 []
  12. ムスリム同胞団系の反体制紙 []
  13. エジプトの文学者 []
  14. キファーヤとは、「十分、もう沢山」という意味。 []
  15. ここで使われているリエリアリァリエル韓ュという言葉の好例がこの映画の中に登場する、ということ。 []
  16. エジプトの伝統的帽子、老人のイメージがある []
  17. エルバラダイ []