闇の中で道を探すこと

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 誰でも分かっていることかと思うが、闇のなかを手探りで進んでいると感じると、もう到達することは不可能なのではないかと感じる。そればかりか、方向を定めることさえできないように。
 なぜ重要な選択はすべてこう難しいのだろうか。人間が貪欲なせいかもしれないが、間違いないのは、人間は未来を知らないからだ。知っていたら、選ぶのも簡単だ。
 問題は、何が良く何が悪いか知るだけでは不十分だ、ということだ。僕にとって良いことでも、あなたには良くないかもしれない。何が一番良いか知ってもまだ不十分だ。なぜなら今日一番のものでも、明日には最良ではないかもしれない。また、自分にとって良いことだと思っていても、実はちっとも良くないことかもしれない。闇、闇だ。
 もし主とお話することができて、お返事してもらえれば、人生は簡単だといつも想像する。イスティハーラの礼拝をして何か示すものが現れるとか、そういうのではない1。本当にお話できるようになりたかった。「主よ、これが良いでしょうか、それともあっちが良いでしょうか」「これをやったら良くなりますか」「じゃあこれをやったらお怒りになりませんか」「もしこれを選んだら後悔するでしょうか」等々といった質問だ。想像して欲しい、お創りになったその御方、創造主ご自身、全知なる御方ご自身とお話できるのだ。もう闇も目隠しもない。
 しかしそんなことはできないし、迷いがあり、選択は難しく、必ずテストがある。知っていること、信じていること、なりたいことのすべてがテストだ。毎日何かする度、何か口にする度にテストだ。何か考える度にテストがある。
 未来を知らず、知の及ばないことが闇なのか。いや、まったく本当に闇だ。だがそれなしに、光を知ることもない。
 では皆で闇の中くつろぐとしようか。願わくばこの闇を好きになり、いつの日か視力を与えられ道を見いだせるように。

  1. イスティハーラとは、悩み事がある時などにアッラーに問いかける礼拝 []