子供たち

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 我が愛しき愛娘アルヤ・アフマド・アル=イシーリーを個人的に観察してきて、人間のこの時期について、いくらかのことを学んだ。それをお示ししたいと思う。
 その1:愛が最初にあり、それから話。子供の魂は、必要な一番大切なものは愛されることだ、と知っている。その小さな知性は、愛されるために出来うる限りのことをする。
 その2:この世のすべての父親と母親に対するイタズラは、子供がする一番大切な活動だ。イタズラを封じ込めてはいけない。もちろん歯止めはかけないといけないが、殺してしまってはいけない。イタズラによって子供は世界を発見し、その限界を知り、物事に対する小さな考えを形作るのだ。発見し、また発見する。イタズラは子供の目だ。覆ってしまっては見ることができない。
 その3:この時期に子供が示す他のことがらは、すべてダメなことだ。人間の基本的な短所だ。強欲、利己主義、近視眼。それだからこそ、主は子供たちをその家族、社会にまかせられ、短所にも関わらずまっすぐな人間に育つようにされたのだ。人間の本性は強欲で利己主義的で近視眼的なものだ。しかし、子供のころからの訓練で、こうした短所を克服することができる。自分を否定することを学び、自己犠牲を学び、勇敢さを学び、計画と未来を予想することを学ぶ。
 その4:人間はそもそも自由になりたいもので、選択する能力を持ちたく、自分が選ぶ者になりたがる。加えて、わたしたちがいる現状の原因の一つは、エジプト家庭が幼少時から子供を扱うその方法にあるかもしれない。主が彼らの本性に与えられたものを奪う、というやり方に。この喪失のしていで、犯した過ちの代償を払い、為したことの責任を負う能力が失われているのだ。
 その5:自らを誇り、良いことをなし、好きな人に応援されることより、人を幸せにするものは、この世にない。
 その6:このやんちゃな小さな娘からは、教えるより多くのものを学んでいると感じる。