努力するものは見出し、耕すものは収穫するが、人生は辛いもの

 まず初めに、人生は辛いということについて話し、それから耕すことと収穫に行こう。
 人生は辛い。仕事が大変でしんどいから。しかし、自分自身のためのことや、仕事やお金のことを諦めてしまったら、もっと辛い。どれほど多くの人が、尊厳や主義や、夢までさえ、職を気にしたり、毎月仕事から得る僅かばかりのお金が心配で、押し殺してしまっていることか。
 自分について自慢をしようというのではない。ただ、人から聞いたのではなく自分の目で見たことを語る。わたしは93年から働き始め、この行を書いている時点で16年になる。アルハムドリッラー、アルハムドリッラー、アルハムドリッラー、仕事で本意に沿わないことを言わされたことはないし、自分の権利について口をつぐんだこともないし、自分の尊厳をないがしろにしたこともないし、仕事を失うことを恐れたことはないし、他の仕事を見つけられないのでは、と恐れたことはないし、誰かのことを恐れたこともない。とても小さい時に、主の恵みを理解し、その報奨に後悔したことはないし、尊き主が後悔させられたこともなかった。最悪の時でも、例えば破産したことはないし、誰かを必要としたり、借金したこともない。全く明瞭に確信しているが、これは、自身を信じ、主を信じ、心から本当に信頼し、お任せした者すべてを、待ち受けているシナリオだ。
 『タクシー』の作者ハーリド・アル=ハミーシーは、この本の中で天才的な物語を語っている。最初の物語だったと思う。登場人物(タクシー運転手)がこう語るのだ。「漆黒の夜の黒い岩の上の黒い蟻、主はそれすらにも恵まれる」。
 エジプトの大衆文化には「恵みは主のもの」という考えが強い。信じていると感じない理由はない。わたし個人は、恵みについてわたしたちのものは何一つないと、完璧に信じている。主が与えようと望まれた者は、何人たりとも阻むことはできない。望まれなかったものは、何人も手に入れられない。不可能なことを成し遂げても、映画のような勇気を見せても、何をしても、だ。主の与えられるものを受け取る。それだけだ。一イルシュ1多くも少なくもなく。
 しかしここで、このことを本当に信じた時、問題が生じる。それなら努力はどこに行ったのだ? 苦労はどうなったのだ? 耕した者が収穫する、というのはどこに行ったのだ? これらはすべて、どこにも行っていない。どこにでもあるし、何についても全く本当のことだ。ある時、ある女友達にこう尋ねられた。「夢を実現するのに、何をしなければならないのかしら?」。
 わたしはこう言った。まったく、その質問の問題は、すべての人々に対し一つの答えがあるわけじゃない、ってことだね。
 例えばわたしは、率直に、これまで自分の道を見つけるのに苦労したことはない(多くの道を通ってきた)。わたしが「こうしたい」と思うと、簡単に実現された。時には、自分がそれをしたいと気づかぬうちに、手に入れた。それからこう納得した。例え最初に考えがあったとしても、それは自分の考えではない、と。そうではなく、主がわたしに、何が起こるかを感じさせ、そのためこれを求めているのだ、と。このことは、ことがすべてお膳立てされていて、何もする必要がなかった、という意味ではない。多くのことをする必要があった。わたしが仕事を好きである必要があった。よく学び、優秀にならなければならず、お金を求めなければならなかった。できることは何でもしなければならなかった。三日間寝ずに働かなければならなかった。何ヶ月も友達に会わずに過ごさなければならなかった。やらなければならないことは沢山あったが、リッラーヒルハムド2これらすべてを成し遂げ、蒔いた種の成果を手にした。わたしとしては、主がチャンスを下さり、残りのことは任されている、と感じている。もちろん、残りのすべてではない。よく働けば、主が成功させて下さるのだ。苦労すれば、見出させて頂ける。常にこうだ。主が第一で、それからあなた、あるいはあなたが採最初で、それから主が行われる。
 そうはしない人たちもいる。とても小さな頃から「こうなりたい」と思い、努力し続けて、不可能と思われたことを成し遂げるところまで至りつく。
 これは全く異なるテクニックだ。わたしのことではないのでよく知らないが、主は、あなたが成し遂げたいことができるかどうか、当然ながらご存知だろう。そしてできることについては、それができると、主がお知らせになるのだ。だから努力し続け、誰もが不可能だと思うことを信じ続けられるのだ。主ご自身がお知らせになっているのだから、人にとって不可能かどうかなど、どうでもいいのだ。知らせを与えられた上で、報奨は努力次第だ。知らせを信じ、自身を信じ、なすべきことを成せば、間違いなく成功する。
 では大して苦労せずに成功した場合は?
 そんなことは関係ないことだ。あなたが彼に何かを与えたのか? 与えたのは主ではないか。
 ではとても苦労しても成功しない場合は?
 分からない。色々なことがあり得る。主がお望みでないからかもしれない。主が好いていないとかそういったことではない。主はわたしたちすべてを好んでいらっしゃる。わたしたちをお創りになって、憎むなどということがあろうか。そうではなく、別の理由がある。例えば、その人物が善人で謙虚なのに、成功すると自惚れてしまうから、主が彼自身から彼をお守りになっているのかもしれない。
 その人は良い状態にあるのに、お金があるとどうしようもない人になってしまうので、主がそうなるのをお望みではないのかもしれない。あらゆることがあり得るが、根本は正しいことで、疑いようもなく正しい。努力するものは見出し、耕すものは収穫する。例え成功しなくても、血を流すほど努力しなければならない。それらすべてによって、その後何が起こるか? それはあなたの仕事ではない。
 それだけだ。

  1. 最小の通貨単位。100イルシュは1ギニー。現代エジプトでは一番安いサンドイッチが1ギニー程度で、1イルシュでは何も買えない。 []
  2. アルハムドリッラーと同義。賞賛はアッラーに、神様のお陰で []

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