裏切りについて

 これについても、他のすべてと同じく、自然は素晴らしい。すべてにおいて、いかに行動すべきか自然が教えてくれるのは、どういうことだろう。例えば美味しい果物が綺麗に見えるのは、それを僕らが選んで食べるためだ。魅了されて食べれば、それが役に立つ。抗酸化成分やビタミン、ミネラル、様々な繊維、その他すべてのものが有益だ。
 その同じ果物が痛んでくると、警告を発する。色が少し変わって、柔らかい染みができる。でもまだ痛みきっていないので、食べられる。まだ役に立つものがあるし、それを摂取できるだろう。それからしばらく経つと、すっかり痛んでしまって、何も有益なものはなくなり、害にすらなる。その時も警告してくれる。もう良くないから、あなたが嫌いになるようにする。嫌な臭いがして、すっかりぐちゃぐちゃになる。それでもしつこく食べたなら、警告はちゃんと発したからね、という訳だ。お腹が痛くなって、果物の言葉に耳を傾けなかった報いを受ける。
 この件については、自然はいつも誇り高く誠実だ。常に本当のことを言う。食べて欲しければ美味しいと言い、食べて欲しくなければ不味いと分からせてくれる。本当に正直だ。
 ついでに言えば、自然は、形だけを追い求め、目にするものを総て信じる馬鹿になって欲しがっているわけではない。きちんと観察しないとダメだ。良いものを手にするには、目を開かないといけない。自然の中には、形は普通だけれど毒なものもある。僕たちが食べているものと並んで、何百何千もの毒のある植物がある。じゃがいもや玉ねぎやトマトの葉が毒なのをご存知だっただろうか(死ぬような毒という訳ではないが、害がある)。あんずやさくらんぼや桃やアボガドの種も、中には有害な物質がある(しかし誠実なことに、これらの種は固くて簡単には食べられない)。自然は誠実だ。人間に対しても動物に対しても、毒であるものは彼らが自身を守ろうとしているだけだ。別に邪悪だからというわけじゃない。
 人間は自然のように誇り高くはない。財を得るために、違う行動の仕方をする。例えば果物の遺伝子を弄り、長持ちするけれど不味い不味くて風味のないものを作る。有益な成分を減らしてしまうことすらある。得るものもなく害のあることだってある。癌になることだってある。相手はどうでもいい、自分がその相手の癌のお陰で稼げればいい。
 健康を害し、太らせ、身体に毒になるものを人間は作っている。それから美味しくなるようなものを加えて、本能を騙して誘惑し、本当のことを知らない間に食べさせられることになる。
 あなたの同胞たる人間の大多数は、あなたのことなど考えていない。金が欲しいだけだ。しかし自然はあなたの友だ。真の友だ。
 自分が作った食べ物すら、自然なもので作ればより美味しい。発がん性のあるもので作れば不味くなるだろう。自然が残っていれば、それは危ないと教えてくれるのに、保存剤と見栄をよくするホルモン剤でその声を黙らせ、長持ちするようにする。押し黙って何も語らないようにさせて。
 美人だけれど中身は邪悪な女性を食べているようなものだ。あるいは、見た目は素敵だけれど魂のない女性のように。
 皆さんはこれを大したことと受け止めなかったり、僕のようには感じないかもしれない。でも僕はとても気にしている。なぜなら、裏切りというものをとても感じるからだ。
 僕たち皆んなが、安全のために自分の食べ物を耕作するという訳にはいかない。自分で耕したものを与えて牛を育て、牛乳や肉の安全を確保することはできない。皆が鶏を飼う訳にもいかない。本物の蜂蜜を食べるために養蜂場をやることもできない。変なものが入っていないか確かめるために、化学を勉強する訳にもいかない。安全かどうか確かめようと分析することもできない。そんなことをしたらパラノイアで、精神病院に行くことんある。こういうことをやってくれる政府を持っている人々も沢山いるのだが、それでも世界には多くの腐敗がある。
 この件における基本的な問題は、周りにあるものや周りいいる人々に対する信頼なしには、人は良く生きることなど不可能だということだ。疑心暗鬼になりながら心安らかでいることなど不可能だ。その為にも、誇り高き誠実なる自然に祝福を、良心なき裏切り者には火獄を。
 裏切り者、裏切り、裏切り者・・。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする