なぜ人々は互いに異なるのか

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 これは、この世界でわたしを常に戸惑わせる最大のものの一つだ。最近になって、わたしには答えが一つできた。もちろん、この答えがいつまでもつのかは分からないが、今はこの答えだ。
 なぜ主は、人々を、背が高い人と低い人、強い人と弱い人、指導的な人とそうでない人、賢い人と愚かな人、暗い人と明るい人、中傷する者と哀れな者、不幸な者と幸せな者、金持ちと貧乏、というように創られたのだろう?
 今、すっきりと感じる答えは、こうだ。上の違いやその他のものは、そもそも人生を動かすためのものだ。これらの相対する者たち同士のコンフリクト、衝突が、人生を動かし、ドラマを生み出し、感情を作る。もし人々が互いに同じであれば、そもそも人生は見つからないだろう。
 そして、この世界を眺めてみれば、すべてが二つ組、ペア、雄と雌になっている。すべての性質には反対がある。気前の良さと吝嗇、高貴さと下賤さ、強さと弱さ。感情も同じことだ。愛と憎しみ、謙虚さと羨望、悲しみと喜び。すべてが二つ組だ。
 すべてを構成する核には二つあり、電気的なプラスとマイナスがある。すべては二つ組だ。なぜなら、すべてのものは、互いにぶつかれば二となり、互いに理解した時には第三のものとなるからだ。主はこの世界を、生き、行動し、生産し、誤り、新しいものを生み出すべく想像された。何かがあれば反対があり、対立が増し、行動が増し、創意が増し、生が増す。
 もし人々が互いに同じであれば、わたしたちはわたしたちでなくなる。その誰もが、この世界において大切であり、誰もが存在していなければならない、このわたしたちでは。わたしたちがわたしたちであるのは、このすべてのわたしたちの反目、このすべてのわたしたちの間の違い、互いに憎しみあうことになるかもしれない事柄のすべてに依っているのだ!