この本を僕に捧げる。
ナルシストなのでも何でもない。一生のうちで誰かが僕に本を捧げてくれることがあるだろうか、と考えて、それならば、と、自分でやることにしたのだ。
第二の献辞
ものを書くというのは、骨の折れる仕事だ。考えを作り出し伝えようとし、表現し近づけようとする。そして何より難しいのは、読者に影響を与える、ということだ。まったく骨の折れる仕事だ。
しかしタダで得られるものなどない。こうした苦労があっても、物書きは素晴らしい仕事だ。それは読者以前に、書き手の魂に益するものだ。書くことは僕の魂を照らし出してくれる。読者の問いに答えようとすると、読んでいる人たちより、書いている僕がたくさん考える。読者に誠実であろうとすると、僕自身に対してより誠実になる。読者に率直であろうとすると、僕自身に対してより率直になる。
自分の中にある言葉に辿り着き、読者に影響しようとするうちに、自分自身に影響を与えている。
読者諸兄が知らないうちに果たしてくれているこの偉大な役割に対して感謝し、この本を皆さんに捧げたい。
アーミーヤで書くということは、ただ多くの言葉の書き方を変えるというだけでなく、多くの場合、この言語の文法のいくらかを、正しくも明瞭に壊さなければならない、ということだ(とりわけ、この本のように、正しいフスハーとミックスしている場合には)。
書かれたままに読んでもらえるよう、タシュキール1には気をつけて頂きたい。厳密には、話されたままに読んでもらえるように。
まえがきは省き、この困難にアッラーの助けを求めて
- アラビア語の母音記号のこと。通常は古典や難読単語などに付けられるが、この本ではフスハーとアーミーヤが混ぜて使われていることが多く、フスハーにシフトする最初のところで、ヒントのようにタシュキールが付けられている箇所がある [↩]