この本はまったく相応しい場ではないのだが、前のテーマで52年7月1に続いて起こった国有化について語ってみたくなった。国有化は、良いことだ悪いことだと人々がよく話題にすることの一つだ。しかしわたしは、55年以上前に、エジプト人と、エジプトに住んでいた外国人の財産にもたらされた国有化について、ややグレーな考えを持っている。
個人的には、国有化という考え自体は、まったく悪いものではないと考えている。というのも、その目的は公正の実現にあるのだから。腐敗によって自分のものではないものを手にする人々が現れ、それから状況を改善したいと願う人々が現れ、彼らからもう一度取り上げる。簡単だ。しかし、良いままでいるためには、本当に公正な考えでないといけない。革命が起こり、例えばかつて宮殿であった土地を好きな者に与える、というのでは、真理の実現ではない。王が気に入った者に、エジプトやエジプト人のものである土地を与えているだけだ。これはもちろん、かつてこの世のすべての王国が陥った過ちだ。そしていつも、革命やクーデターが起こると、似たようなシナリオが繰り返されて、人々や国に、そもそもが彼らのものであったものが返されるのだ。
しかし、ナセルの国有化について言えば、わたしの考えでは二つの間違いが起こった。一つは、自分のものでないものを手にした者と、祖先が骨折り苦労して手に入れたものを受け継いだ者を区別しなかったことだ。これは、商店にも口上にもその他のものにも、等しく適応された。工場を作って功労しお金をつぎ込み、人を使って仕事をしていたら、人がやってきて国家に差し出せ、と言うのだ。国家がこれに何の関係がある? 何故国家が取り上げるのか? これはわたしと後に続く子供たちのものだ。
この功罪あいまった過ちはもちろん、すべての富裕層が初めから革命と対立する原因となった。これには、エジプト社会に対する、今日まで続く非常に悪い影響があった。
二番目の間違いは、わたしとしては、決して許されるものではない。というのも、これこそがわたしたちの置かれている状況の最も重要な原因だからだ。これはまた、わたしたちの未来を制限している問題の最重要のものでもある。それは、土地の農民への分配、フェッダーン2、5フェッダーンずつと、すべての国民に配ることだ。なぜか。これは、王政の行ったのと同じ過ちの、さらにずっと酷いものだからだ。少なくとも王は、土地を一人に相続させ、この者は土地を管理した。この土地から稼ぐのだから。しかし農民たちは、土地を得てもこのようにはしない。貧困や無知などのためだ。基本的に、土地がバラバラに分割されると、その三分の一程度は失われる。それぞれが土地に道やら柵やら家やら喫茶店等々を作るからだ。悪いのは、レンガを作るのに根こそぎにしてしまうことだ。かつては最重要の生産源であった何十万フェッダーンのエジプトの農地が失われた。それだけが永久に残るものだったのに。それだけが、わたしたちが、わたしたちの力で、未来を統べることを可能たらしめるものだったのに。この時以来、わたしたちは砂漠を耕作しようと、膨大な努力とお金をつぎ込んできたが、同じ成果は得られなかった。もし、共和国が、土地をすべて所有したままで、農民には利益をあげる権利だけを与え、百年でも分割も売却も荒廃させることもなかったら、どうなっていただろう。わたしたちの状況は、何の努力もなく、まったく違うものになっていただろう。
もちろん、国有化によって害を受けるのは、土地だけではない。国有化された多くの組織が、何年にも渡って劣悪に運営され、関心をはらわれず、国にのしかかる重荷となった。国有化は、最終的に、その弊害が益を上回った。もちろん、土地こそが最大の損失だった。他で埋め合わせることができないのだから。
最後に、言い残すことがないよう、もしわたしがこの手でことを左右できたらどうするか言っておこう。皆がエジプトの土地を少しずつ盗み、この国の孤児から財産を盗むなら、わたしは国有化する。しかし、かつて行われたように、分配はしない。国家のもののままにしておき、今現在そこに生きている者、その子供、孫が永遠に活用できるようにする。一方、もう壊れてダメになってしまったものについては、ことはずっと甚大でややこしく難しい。この手でことを左右できなくて、良かったというわけだ。