潮田文『写真を見るということ』に、「(赤穂浪士の)大石親子が切腹した場所」のエピソードがある。四十七士の墓所として知られる泉岳寺近辺にあり、人間ほどの大きさの石が四つほど点々としているという。潮田氏は、自然石にしては不自然な並びをしているその石の謂れを聞かされ、あたかも切腹の現場写真を見ているような異様な気分を覚えたそうだ。
潮田氏はこの体験を、写真のノエマを「<それは=かつて=あった>あるいは<手に負えないもの>」とする『明るい部屋』におけるロラン・バルトの写真論と結び付ける。
写真は「かつて=あった」ものをそっくりそのまま再生させることができると自ら喧伝することで、外が内にとって「手に負えないもの」であることを象徴的に暴露するのであり、その象徴性が写真を第三者に向けて開くのである。
写真が外部を暴く、あるいは暴かれたかのような体験をわたしたちに与えるのは、「見たままに映る」からではない。写真は過去のある時点でのモノの反射光を残すが、それは当然、ヒトの視覚が捉えるものではない。そればかりか、カメラはいつも、自分が何を見ているのか知らない。知らないがゆえに「届かざる外部」が確かにそこにあったことを証す、と言いたくなるが、それも正確ではないだろう。わたしたちは写真を、自分たちの視覚を通じてしか見ることができない。何者かが世界に到達していたとしても、わたしたちはその到達点を直接目にすることはない。ある種の写真がわたしたちに突きつけるのは「依然到達できなかった」という不気味さではないか。
潮田氏が「切腹の石」を「切腹の現場写真」と表しているのは、それらの石が「なにか不自然ながらもただの石」だったからだろう。これらの石が、見るからに切腹現場であったり(それがどういう石なのかは想像できないが)、予め「切腹の石」と知って赴いていたら、たぶん「現場写真」という感慨は抱かなかったのではないかと思う。「切腹の石」というイメージが、「手に負えない」外部を先回りして予め塞いでしまうからだ。単なる石であり、しかしなにか不自然である、というズレ、時間差が、「現場写真」における「生々しい遠さ」と比されている。「現場写真」が証明するのは、わたしたちが現場に居合わせなかったこと、「現場」に対してほんの少しだけ手遅れであったことである。
一つ引っ掛かるのは、潮田氏がこの後すぐに「CG映像は―それがどんなに精巧であっても―人間にとって『手に負えないもの』とはなりえない。CG映像はしょせん『絵』なのだ」と続けていることである。
予めことわっておけば、おそらく潮田氏は、この下りがある一定の人々にとって「引っ掛かる」ことを予期していたのではないかと想像する。そう考えるのは、本書全体を眺めると、発想のやや暴力的なまでの飛躍的転換が潮田氏には見られるからで(後述)、この飛躍は、仮に命題内容としてinvalidであったとしても、validな言明によっては近づきえない真理への道標となっている。ついでに言うなら「CG映像」がどの程度のものを指しているのか判然としないが、そこは全然大切なところではない。
以上を承知の上で続ければ、「義経公お手植えの松」や「家康腰掛け石」のような「ゆかりの地」は日本中にあり、弘法大師関係の「記念物(≒現場写真)」となると、弘法大師千人でもちょっと足りないのではないかと思うくらいありふれている。言うまでもなく、これらのほとんどはまがい物で、実際に義経が植えた松や家康が座った石の方が珍しいだろう。もしかすると、件の「切腹の石」もたまたま変わった形に並んだだけの石かもしれない。しかしその時、これらはただの松やただの石になるだろうか。
イスラームの預言者言行録「ハディース」にはマトン(本文)の他にイスナードという伝承経路を示す部分(〇〇が言ったと〇〇が言ったと〇〇が言った…という形式)がセットになっていて、伝承の正当性を示すものとされているが、最近の研究ではこれらのほとんどが疑わしいらしい。だとしても多くのムスリムにとってハディースの価値は変わらないし、「疑わしい」などと言えばひっぱたかれても文句は言えない。
とは言え、ここでいきなり「信じられているなら価値がある」とすれば勇み足であるし、ナイーヴに過ぎる。そもそも「信じられている」という事態について、少しもその実相に近づいていない。
状況を整理するなら、ここにはまず石(≒現場写真)がある。一方で、それを巡る語らい(≒イスナード)がある。石が即、家康や義経を示しているのだとしたら、石は単に記号的水準に留まり、外部の<手に負えなさ>について何も触れることがない。片や、語らいが無条件に石を現実と結び付けるわけではない。人々の間を巡るお喋りは、言わば現在時に漂う根無し草で、<それは=かつて=あった>という不可能性には接地しない。「信じられていれば意味がある」の短絡とは、個の集合に全体を還元するナイーヴさに等しく、衆愚政治的な判断停止により世界の複雑性に対し目を閉ざしてしまう。
たぶん、石と語らいのそれぞれの不確かさが、時折不気味な焦点を結ぶのである。
家康腰掛け石の多くは、歴史的観点から見て実際に家康が座ったかどうか怪しいだろう。だからと言って、その辺の石を拾ってきて「家康が座った」とする主張が成り立つかと言えば、もちろんそうではない。尚且つ、石の「正当性」は、語らいの「確からしさ」にはリニアに紐づかない。
日本美術の世界では「伝何某」という言い方があり、例えば「伝運慶」であれば「運慶の作品であるとされている」ことを示すが、この「伝」はあまり確からしいものではなく、「運慶作であると伝えられている(が十中八九そうではない)」ものも「伝」としてしまうらしい。西洋美術の世界で「attributed to(〜に帰属)」といえば客観的科学的に誰々の真作であると推定されることを意味するが、日本美術の「伝」にはかなり確からしさの幅があるという。それでもわたしたちは「伝運慶」の作品を見て「なるほどこれが運慶か」と得心してしまう。これを素人の眼力のなさと言ってしまえばそれまでだが、むしろ固有名というものの不確かさ、そしてその不確かさゆえに<それは=かつて=あった>という不可能性へと回路を開いているとは読めないだろうか。
ここからはクリプキの『名指しと必然性』を連想しないでいられない。固有名を確定記述の束へと還元する、つまりアリストテレスとは「アレキサンダー大王の教師」等々の集合体と考える論に対し、クリプキは固有名には固定指示子という概念で表そうとする。例えばアリストテレスが実はアレキサンダー大王の教師ではなかったり、極端な例ではアリストテレスに関するすべての記述が誤りであったとしても、アリストテレスは依然としてアリストテレスである。歴史上アリストテレスとされてきた人物は実は二人いて彼らの活動が総称されていた、あるいはアリストテレスとはそもそも架空の人物であったとしても、わたしたちは依然としてアリストテレスという名を使用することができる。だからと言って、記述論以前の素朴固有名論(?)に飛躍すれば、「信じられているなら意味がある」にも似た愚を犯すことになるが、ここには石と語らいが相まって時に現実(の不可能性)を指し示す作用に似たものを感じないでいられない。わたしたちはむしろ、「アリストテレスは二人いた」という研究を前にした時こそ(もちろんそんな研究は聞いたことがないが)、アリストテレスが<かつて=いた>ことを感じ取らないだろうか。
話を写真に戻すと、世の中に存在する無数の写真のうち、極一部がアートの文脈で評価されている。あたかも無数の石の中で特定の石だけが「家康腰掛け石」であるように。これらの写真には、ストレート写真もあればPhotoshopを駆使して作り出されたあり得ない風景もあろうし、高温現像などにより生み出された抽象的な写真もある。それらの「作り物性」は、「家康腰掛け石」の胡散臭さに等しい。そして「あの石」は良いけど「この石」はダメである、その法については、アートの外部のどこにも明記がない。なぜなら、その証明作業の全体、長い長いイスナードこそが、アートという人間活動だからだ。
小説家の川上弘美が、海岸で拾った見たこともない貝殻の話をしている。この貝殻に、簡単に名前をつけない。じっくり時間をかけて観察し、これに相応しい長い長い名前を考える。その長い長い名前、長い長い語らいこそが小説なのだ、といったことを語っている。「長い長いイスナードとしてのアート」とは、そのようなものである。
潮田氏の件の下りは、写真の「ストレート性」と「正当性」を取り違えているようにも見える。しかし一方で、正にこの「取り違え」自体によって、写真の不可能性を示していると読みたくなる。写真は常にヒトならぬモノの目、自分が何を見ているか知らない者の目によって像を残し、それゆえに外部を直接指示するかのように偽装するが、正にこの嘘、人々の(胡散臭い)語らいへと着地するまでの隙間の時間において、<手に負えないもの>を扱う。グラフィック的な作品についても、それが「ストレート性」といかなる関係性(敵対や絶交といった関係を含む)も結んでいないとしたら、早々写真ではなくなるだろうし、少なくとも面白い写真ではないだろう。
まだ少し話を続けたい。
以上で終わってしまうと、語らいの向こう側にモノ自体、あるいは歴史の唯一性とでも言いたくなるものがあり、それを語らいと「証拠品」が手に手を取り合って包囲している図となってしまうと危惧するからである。いささか手垢にまみれた言い方をするなら、「否定神学」の誹りを免れ得ないだろう。
『写真を見るということ』の別の箇所に、「ジェロームの写真」の話がある。『明るい部屋』冒頭の引用から始まる。
ずいぶん昔の話になるが、ある日、私は、ナポレオンの末弟ジェロームの写真(一八五二年撮影)をたまたま見る機会に恵まれた。その時私はある驚きを感じてこう思った。「私が見ているのは、ナポレオン皇帝を眺めたその眼である。(ロラン・バルト『明るい部屋』)
潮田氏はこの下りに「大いに共感」し、以下のように続けている。
私は最初、ここに書かれている「ジェロームの写真」とは「ジェロームを写した写真」のことだと思っていた。しかしこの解釈は少し陳腐ではないかと思い、「ジェロームの写真」とは「ジェロームがうつした写真」のことではないかと考えた。つまり、いまだ写真が存在しない時代に生きたナポレオン皇帝を公私にわたる場面で直接、見ていただろうナポレオンの弟、ジェロームがうつした写真に内在しているジェロームの視線と一体化することで、その視線の延長線上に「写真にうつされうるナポレオン=実在するナポレオン」を想像することができるように思えることにバルトは驚いたのだ――と。
これは驚くべき発想の飛躍である。
最初にことわっておけば、バルトが見た「ジェロームの写真」とは、潮田氏が当初素直に受け取った通り「ジェロームを写した写真」であり、現在ではパブリックドメインとなっている。
André-Adolphe-Eugène Disdéri / Public domain
しかし史実がどうあれ、潮田氏の採った「ジェロームがうつした写真」という解釈には、大いに知的興奮を催すものがある。皇帝の弟が発明されたばかりの大型カメラを庭に据え、アジサイか何かにピントを合わせ、長い長い露光時間を待っている。そんな風景を思い浮かべないでいられようか。ジェロームが撮影したという当の写真すら目に浮かぶようである(不分明な画像の奥にぼやけた木々が映っているのだ!)。そして確かに、皇帝の弟が撮った素人写真は、その肖像写真などより、バルトの驚きを素直に伝える。この像が露光される時を待った目、それがナポレオン皇帝を確かに見たのだ、と。その目が、写真の発明以前に、写し取られることのなかった皇帝を見ていたのだ、と。
そして、ここで潮田氏が自ら示した驚くべきロジックこそ、家康腰掛け石が胡散臭い語らいを通じることでこそ確かに家康を伝える「現場写真」的な作用と、パラレルな関係にあると思えてならない。ジェロームが撮影した(存在しない)写真は、そのあり得なさを通じて、ナポレオン皇帝の実在という<手に負えないもの>を射当てていないか。
しかし言うまでもなく、あり得ないものがすべて現実に接地するわけではない。写真はしばしば「あり得ないもの」を写す。佐藤時啓がペンライトを上下させて作り出した風景、杉本博司が映画館に三脚を据えて捉えた風景、いずれも「あり得ない」。人の目はそのような世界を一度も見ていない。そして同時に、これらの「あり得なさ」は、それぞれが「この石」「あの石」のように個別に語らいと関係を持つのであり、「あり得なさ」の向こうに一つの不可能性という総体があるわけではない。
わたしたちは「誰もいない森の奥で大木の倒れる音」の向こうに、(誰も見ていなかったが)神の見ていたものとして世界を考えたくなる。諸視覚の同時的統合として世界を見る目は、象徴的なものの文脈ではほとんど必然的に演繹される。しかし一方で、これらの「石」は、諸々の(胡散臭い)語らいとの関係をもってのみ、現実的なものと触れ合い、なおかつ、語らいは気まぐれで、総体を持たない。後者を見落として、様々な視覚に対し「それでもそれは、そこにあったのだ」という、モノの唯一性をすり替えてしまうと、容易にホーリズムに招かれ、「語り得ないもの」の(唯一の)総体という幻想が現実を塗りつぶしてしまう。脈絡なく散らばる家康腰掛け石や義経お手植えの松という歴史的偶然性は、これらの石や松を俯瞰し「歴史性」を抽象してしまった途端に霧散してしまう(蛇足ながら、この無慈悲な偶然性こそ、理神論を越え信仰が成り立つ唯一の場所ではないかと思う。神の見ていたものとしての世界は、その神の理解し難さを通じてのみ倫理的に成立する)。
このすり替えは、「多様性」という社会的ワードが、多様とされる諸物を抽象することで、その外部となる視点をかえって絶対化してしまうのにも似ている。決まり文句となった「多様性」「共存」とは、多様なるものの基体に対する暗黙的な期待であり、「手に負えない」雑多な諸物に対する足切り試験でしかない。「いかなる生き方も自由である、人に迷惑さえかけなければ」においてアプリオリに想定される「自由」にも似て、ポストモダンな支配を下支えしてしまう。
話を戻せば、様々な視覚が可能であったにも関わらず、想像的な語らいによって「正当化」された諸「現場写真」が点在する、という不連続性を、予断なく眺める必要がある。「この松」「あの石」の不連続な島々だけが、無関係に浮かんでいる。
「島々」を通じてここで示そうとしているのは、例えば千葉雅也が以下のように語るものである。
世界においてあらゆる事物は互いを多少なり象徴している(すなわちシニフィアン連鎖の接続過剰)というサンボリックな全体性ではなく、関係束の有限なまとまり=共立性=個体性。すなわち、(a)イマジネールで、(b)共立的、すなわち、複数の関係づけの連言であり、(c)それらのまとまりとして一つである、という、想像されるー関係束のー個体性。こうした個体性こそは、<否定神学 vs 他者の複数性>ないし<単数的な外部性 vs 複数的な外部性>という、九〇年代末から日本の現代思想/批評において橋台であった対立の途中に介入する、第三項である。(千葉雅也『動きすぎてはいけない』)
この有限のまとまりとしての個体性こそ、家康腰掛け石であり、スティーグリッツの馬車であり、真っ白に飛んで何も写していない劇場のスクリーン(とそれを巡る語らい)なのではないかと、わたしは考えている。これらはそれぞれ、自らのイスナードに身をもたせているが(イスナードとはsndの語根から成り、この語はアラビア語において「寄りかかる」「支える」「体をもたせる」といった意味を持つ)その支えの向こうに唯一なる歴史を期待すると、世界の実相からはかえって遠ざかってしまう。かといってそれは、あらゆる考証を抜きにして無作為に石を拾ってくることでもない。「現場写真」が世界と取り結ぶのは、倫理的で個別的な関係である。倫理は、倫理の総体に対し常に遅れを取る、または一歩先走ることにおいてのみ、つまり相互に切断されている限りにおいて、法未満の法、法を成り立たせる暴力として作用する。
千葉雅也と小泉義之の対談の中に、小泉氏のこんな発言がある。
小泉 (・・・)池に石を投げるでしょう。あの波紋は岸まで届きませんよ。必ず消えます。何の影響も残さない。(・・・)その説明方式は、水の粘性とかエネルギーの散逸とか色々あるでしょうが、とにかく消えている。跡形もない。
風が吹いて桶屋が儲かったとき、その間のステップは有限数ですね。風の原因性は、その有限回数分で割り引かれて薄まりますよね。風は、その分だけ責任を取ればよいのです。(『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』)
この小泉氏の発言の勢いに、対談の中で千葉氏もエクスキューズを入れようとしているのだが、その中和も容れないような速度の乱れ、不均衡さに、潮田氏の「ジェロームが撮った写真」に感じたのと似た愉悦を覚えないでいられない。
奇しくもここでは、「石」が投げ入れられている。石は波紋を起こすが、岸までは届かない。一定の影響を与えるが、無限ではない。
家康が腰掛けた石、または腰掛けなかった石は、人々の語らいという想像的なものを通じて、確実に水面に波紋を描く。それは現場写真として、間違いなく世界の「水面」に触れる。それでも岸には至らないし、岸があるのかはわからないし、岸という一つの総体も保証はしない。
これ以上は比喩が過ぎるので黙ろうと思う。