よくわからないものについて、無価値と断じるのも噴飯ものなら、理解してやろうと、すなわち彼彼女の持つ枠組みの中に合わせて矮小化して呑んでやろうというのも傲慢に過ぎる。
道の向こうから半裸でダンビラぶら下げたシャブ中のヤクザが歩いてきたら、「どうしたんですか」「服着た方がいいですよ」とか声をかけるだろうか。まず距離を取るだろう。ヤクザだかなんだかわからなくても、わけのわからないおっさんがピーとかプーとか絶叫してたら、とりあえず近づかずに、その場を立ち去るとか様子を見るとかするだろう。
よくわからないものに対して一旦距離をとるのは、生物として極めて真っ当な対応だ。
それを(猫をも殺す)好奇心丸出しであれこれ口を挟むのは、「こいつはポントウ持ってないしいざとなればヤッちまえばいいだろう」ということで、要するにナメているのだ。
単にネジが足りなくてフラフラ近寄るのも、ナメきって近寄るのも、どっちも褒められた振る舞いとは思えない。
世界はわたしやその他のポンコツどもが理解するために存在しているわけではない。
世の中のほとんどはわからないもので、ポントウぶら下げてる時も下げてない時もあるが、ドスの一つくらいは忍ばせていてもおかしくない。
わかんないなら黙ればいい。とりあえず放っとけばいい。世界はそれほどお前に関心などない。
一度でも粘着されて一日着歴百件とかを経験すれば、愛されないことの素晴らしさを知るだろう。
手遅れにならないうちに、愛されない自由を使っておこう。