二冊目

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二冊目
アフマド・アル=イシーリー

الكتاب التاني
أحمد العسيلي

はじめに
やってみる、ということについて
「器は中身によって熟す」について
ある手紙について
僕は一人で、他の誰とも抱き合わせではない
言葉の言葉
考えの一致について
荷を運ぶロバ
(いわゆる)愛について
父性について(テイク2)
またまた父性について
「いかなる代償を払っても」について
人々を信じることについて
犠牲獣について
終わりなき歓び
世は窮する者に与えず、について
人生という名の映画
チーズの詩
自然について
裏切りについて
肌の露出の多い服装と少ない服装
知っていることは常に知らないことより少ない
民主主義について
宗教的統治について
宗教の独占について
闇の中で道を探すこと
知恵について
受け取ったよりも多くの魂を返すこと
 
 アフマド・アル=イシーリー氏は、エジプトのテレビ・ラジオで活躍する文化人です。コメンテーターというか、日本語で言うと何にあたる職業なのかよく分かりませんが、活動の主なステージはメディアで、著者は名前のない本に続いてタイトル通りこの本が二冊目です。
 テレビ番組では『ストリートのイシーリー』などが知られ、これはエジプトの様々な地区の街路に大きなソファを置き、普通の人々とイシーリーが対談する、という企画です。非常に様々な社会階層の人々がテレビで自分の意見を述べる、興味深い番組です。
 思想的にはエジプトで言うところの「リベラル」寄りの人ですが、本書中で自ら述べている通り、氏自身はそうしたレッテル貼りを嫌っています。また、「リベラル」だとしても「世俗主義」とは異なります。名前から一目瞭然ですが、ムスリムです。また、彼は風刺詩人として知られ何度も投獄されたサラーフ・ジャヒーンの甥にあたるらしいです(著書中で示唆する箇所があるのですが、本人に確認してみます)。
 原則としてアーミーヤ(エジプト方言)で書かれた評論という、エジプトではまだ珍しい部類の本ですが、部分的にフスハーも使われています。一つの文の中、時には一つの単語の中ですら両方を混ぜる実験的?な手法が使われていますが、このような「フスハーとアーミーヤの混在」は話し言葉ではそれほど珍しいものではありません。特に文化人が丁寧なアーミーヤで語る時は、両者の要素が入り交じることがよくあります。
 
関連エントリ:
イシーリーさんに会う
アフマド・アル=イシーリー『二冊目』翻訳アップ開始
人々の目線と神様の目線
アフマド・アル=イシーリー『二冊目』全訳公開