終わりに

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終わりに

 その1:読んでくれて有難う。誰も読んだことのない言葉なのに。誰も書いていなかったのだから。
 その2:この本に書いてあることの全部、あるいは一部についても、誰にも同意する必要はない。同意は肝要ではない。インシャアッラー、ただの一言も同意できないだろう。肝要なのは、これが考える最後ではなく、最初になるということだ。皆がここで読んだことをもう一度考え、友達とそれについて話し、彼らの意見を聞き、語り、議論して貰いたい。そうして絵を完成させ、色を塗るのだ。
 その3:おお主よ、偉大なる御方、運命を下される御方よ、この本を読んだ人皆の頭に、ただ一言でもよいから、新しい考えが生まれますように。
 その4:この本と同じ「名前のない本」という名前のグループがフェイスブックにある。
 読む前には名前はなかった。今なら、好きなように名前を付けて頂ける。
 平安と共にあらんことを。

謝辞

 この本は、わたしが人生で出会った人々、影響を残してくれたすべての映画、本に負っている。
 この本は、地球の歴史の中のこの色とりどりに照らされ輝く僅かな期間に負っている。
 この本は、一度も会ったことのない友人、サラーフ・ジャーヒーンに負っている。
 この本は、この世で最も美しい言葉「自由」に負っている。
 この本は、わたしのすべての友人、この世で何事かを共にしたすべての人々に負っている。
 この本は、わたしがちょっと経つごとに書いたものを送りつけられ、疑いを入れてもらおうとし、責め苦を負わされたすべての哀れな人々に負っている。
 この本は、この世のすべての女性に負っている。というのも、彼女たちの存在にわたしは食いつくされるので。
 この本は、それまで存在すら知らなかった新しい種類の愛を教えてくれた娘に負っている。
 そして我が妻。主がお送りくださった美しき抱擁。わたしの心配ごとはいつも負ってくれているのに、決してわたしに心配事を負わせることがない。
 この本は、わたしのためにドゥアーしてくれた母と父に負っている。主は聞き入れて下さる。
 この本は、わたしの肩を叩いて慰めてくれたすべての人、わたしに素敵な言葉をかけてくれた人、わたしを好いてくれた人、わたしを信じてくれた人に負っている。
 この本は、太陽、生の秘密、顔を出してくれない日には自分が植物なのではないかと思うほど恋しくなる太陽に負っている。
 この本は、この美しきもの、この醜きもののすべてに負っている。
 最後になってしまったが、この本は我が創造主、我が造り手、我に教え我を育まれた御方、最初にして最後の功徳の主、世界の主たるアッラーに負っている。

著者について

 この本以前に、著者による著書はない。以下がこれまでの仕事である。
・FMTV
 音楽チャンネル、ヌグームFMでのテレビ番組
  第一期(2004-2005)
  第二期(2005-2006)
・木曜八時
 ヌグームFMでのラジオ番組(2006)
・イシーリーの粒
 OTVでのテレビ番組
  第一期(2007-2008)
  第一期(2008)
・ラジオのイシーリー
 ヌグームFM(2008)
・ラマダーンのラジオのイシーリー
 ヌグームFM
  第一期(2007年ラマダーン)
  第一期(2008年ラマダーン)
・雑誌「我ら」での月刊連載(2006年より)