受け取ったよりも多くの魂を返すこと

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 正しいことの一つでもできたか確信がないが、この本を書き始めた時から、最後のタイトルはこれにしようと決めていた。これを最後に話すことにしたかったのだ。その理由はすぐに分かる。
 この行を書いている時に僕が確信しているのは、この巨大で広大な世界には、人間にとって根本的な一つの目的があるということだ。すべてのものはその周りを回っている。人生はその周りを回っている。人間は母の子宮に創造され、全知なる創造主が魂を吹きこまれ、それから大きくなってある日この世の光の元に出てくる。人生の母胎へと現れる。長いものであれ短いものであれ、人生が始まる。時が流れ大きくなり、学び理解し(あるいは理解せず)、それからいずれにせよテストを受ける。多くの人々が、これを信仰のテストだと思っている。僕にとってもその通りだが、信仰というものは概念であり、これは測ることができない。主のみが信仰を測れるのであり、あなた自身にはできない。しかしあなたの行いを測ることはできる。あなたが行ったことは何であれ、いくらかの努力でその自分の周りの世界に対する影響を評価することができる。一番大事なのは、あなたの魂への影響を測ることができる、ということだ。
 このテストを、とても映画的なイメージで考えてみる。この人生を別の面、この「壁」の向こう側、向こうに行った後から眺めてみれば、成功したか否かの分かれ目は、生まれる前、母親のお腹にいる時に主から受け取った魂を、受け取った時より良くして返すか(それが可能なら)、そのまま返すか、錆びつかせて埃まみれにして返すか、ということだろう。
 魂は神から来るのだから、健全で正しく良いものだというのが筋だ。しかし魂は、他のすべての美しいものと同じく、簡単にダメになってしまう。よく心を砕いていれば、大きく広く広がっていくこともある。人間は魂を運ぶが、その本能と心は魂の本性とは異なっている。僕が強く感じるのは、魂は人生の間、これらに影響されていくということだ。行ったすべてが影響する。
 間違いを犯さなければ、魂をもっと良くして返せる、などと言いたいのではない。間違えないのは人間ではないし、人間は間違えるようにできている。そういう本性なのであり、人間は過ち間違える存在だ。言いたいのは、間違えた時に叱る良心があること、過ちを測る知性があること、魂に対して行ったことの影響を測ることのできる眼力があること、だ。この魂に対し、用心深く純真であろうとする、ということだ。この魂が堕落したら、あなたは本当に堕落したのであり、その時はもう正す見込みはない。
 言いたいのは、あなたが選択の場面に立ち、それを選択だと知っている度に、その選択があなたの魂に影響する、ということだ。毎日、少しずつ。善行が報われることがなくても、正義を防衛し忠実であったということだ。誰も祝ってくれる人がいなくても。こうしたことをするのは、すべて自分のため、あなたの魂のためだ。
 魂の健全さを保つ、という考えで気に入っているのは、人間の魂というのは、何がそのためになり、魂にとって何が良くて何が悪いのか知っているように見える、ということだ。あなたの魂は生きている限り共にあり、何かを背負う度にそれに尋ねる。魂が何か言った時にはその言葉を聞く。もし聞かなかったら、僕が周囲を観察する限りでは、魂の方も話しかけるのをやめてしまう。
 魂が話しかけてこなくならないようにしなくてはならない。来た時より良くして返さなければならない(それが可能ならば)。
 
良い文章か否かは、説得力で決まるのではない。惹きつける力で決まるのだ。人に考えを与え、ひらめきを与えるかどうかで。
マルコム・グラッドウェル(アメリカの現代作家)
 
個人的謝辞

人生の困難に感謝する。壁に頭を叩きつけさせ、理解しようとさせてくれる困難に。
困難な旅に感謝する。その終点で、この旅が困難に値するものであることを願う。