時間

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 わたしたちが小さい頃には、「時は剣の如し、斬らざれば斬られる」と言われてきた。この言葉を聞いて、わたしはずっと時間は敵で、戦って勝たなければならないと思ってきた。そして終始急ぐようになった。学校から帰ると、服も着替えずに急いで終わらせるべく宿題にとりかかった。歩く時は早足に、運転する時は飛ばす。敵なのだ。その後最近になって、この問題を違う目で見るようになった。ずっと時間を敵だと考えていると、ゆったりと楽しむことができない、と気づいた。わたしたちがその中を生きているこの安らぎを。終始時といがみ合っているのだ。いがみ合いながら楽しむことなどできようか。
 学校では留年しないように落第に気をつける。大学では軍役が遅れないよう落第しないようにする。仲間たちに先を行かれないよう遊ばないようにする。結婚できるよう余所見をしないようにする。どこかへ行ってしまわないよう、その娘とすぐ結婚する。安定して自分自身を築くために、早く結婚する。早く子供と遊ぶために、急いで子供を作る。大きくなる前に、歳が近くなるよう兄弟を作る。値段が上がって数年後に針の穴ほどの土地も見つけられなくなる前に、息子が住む土地を早く買っておく。四十人しか取らないのに列ができているから、子供たちを決めた学校に早くやる。値段が安いうちに、証券取引所で株を買う。何だろう、この嫌いようは。これは人生なのだ。わたしは少し立ち止まりたいし、自分の周りを見回して、匂いを嗅ぎ味わい考え、自分が何をやっているのか知りたい。
 人々はまるで、二回生きるうちの予行演習の方を生きているかのように振舞っている。これは一回だけなのだ。自分で味合わないといけないし、自分がしているすべてに耳を傾けないといけない。
 歳を取りたくなく、死にたくなく、生についていきたくないから、このようにするのかもしれない。八十年この世にいるとしても。だが八十年走って、何にも心を砕かないなら、そもそもどこを走っているのか。大方、そうやって走った後にどこかにたどり着くと思っているのだろうが、本当のところ、たどり着くのは全く別の場所なのだ。
 個人的には、少し前に、歩いて行くことを決めた。立ち止まらず遊ばず時間を無駄にはしないが、走りもしない。後悔しないと思っている。