「最高のゴール」エジプトのアーンミーヤ本より

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 以前に紹介したعمر طاهرアムル・ターヘルكابتين مصرキャプテン・マスル(エジプト)1という本の中から、もう一つ面白い一節を翻訳して載せておきます。
 ちなみにこのキャプテン・マスルという本はフスハーとアーンミーヤが混ざった文章で書かれているのですが、非常に平易な口語表現が多く、かつ内容がお気楽キャッチーで外国人が読んでも面白いところが多く、エジプトの口語アラビア語を学んでいる人にはとてもお薦めできます。わたしはこの手の軽い内容のアーンミーヤ本が好きで、色々と読んではいるのですが、その中でもかなり読みやすく、学習者にピッタリです。わたし自身のアラビア語力も相当怪しいものなので、こうやって勉強している訳です。ちなみに、本というとこういうアホなものばかり読んでいるので、俗語は覚えても格調高い古典的フスハーなどは全然分かりません!
 こういう本を読んでいると、当然ながらフスハーの辞書にはない表現が多く、かつアーンミーヤにはまともな辞書というものがないので、エジプト人に尋ねて自分の辞書データを作っていく、というやり方をわたしはしています。これは結構頭に入るので良いやり方かと思います(そろそろ東京外大さんあたりでエジプト方言ー日本語の本格辞書を作ってくれても良いような気がするのですが、そういう流れってないのでしょうか)。

 で、この一節ですが、これはこの本の中で「子供の頃に親戚の子から聞いた話」シリーズの中の一つとして登場します。アラブは親族間のつながりが強く、こうやって親戚の子が集まって過ごす、という機会も日本よりずっと多いのですが、そういう時に停電になって、真っ暗な中でやることもなく、「それなら一人ずつ秘密を話していこう、絶対に内緒だよ」と子供同士語り合った、というお話です。なかなかロマンチックなエピソードです。「秘密」ということで聞いた話なので、このシリーズの冒頭には、親戚の子らに対する謝罪の一言が入っています。
 「最高のゴール」は親戚の女の子によって語られたお話です。

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「最高のゴール」

 わたしは一時期アフリー2のファンで、サッカーがこの世の何より好きだ。人生で一番尊敬しているのはアフリーのキャプテン、ムハンマド・バラカートだ。彼は、オペラ「誰もアブドルワッハーブを見ていない」を歌ったライリー・ムラードの兄弟のムリール・ムラード3に似ていて、目も髪も笑い方もそっくりだ。バラカートのプレイもムニールの歌も、茶目っ気があって最高だ。バラカートが好きすぎて、パソコンの壁紙にしているくらいだ。彼が結婚していて子供がいる、と知った時には、ますます好きになった。彼は最高の父親に違いない。
 死ぬ前にサッカーの試合をやってみたかったけれど、お母さんはもちろん、絶対に許さなかった。もしお母さんに「バルコニーから飛び降りるか、道で男の子たちとサッカーやるか、どっちか選んで」と言ったら、「飛び降りなさい」と言っただろう。女の子がサッカーをやるなんてのは恥さらしで、走ったり跳ねたりしているのを道行く人にジロジロ見られるだけで、要するにサッカーをやる女の子は「ダメな子」だと、お母さんは思っていた。
 外国のサッカーを見ては、ジダンの妙技、ロナウジーニョの巧みさ、ドログバの力強さを楽しんでいた。まったく、エジプトのサッカーはどうして「本物の」サッカーと縁もゆかりもないのだろう。エジプトのほとんどのサッカー選手は、どうしてゴールボール(視覚障害者サッカー)をやっるみたいになるのだろう。同じことが、バルコニーから観戦しているストリートサッカーをやってる子らにも言えた。シュートを打つと地面に打ってるみたいで、ゴールといっても道に止まってる車のガラスに飛び込んでいる。もう最低のレベルで、下に降りて行って教えてやりたかった。「ねえママ、下に行って……」「わきまえなさい、アミーラ、それより台所を手伝って」。
 前の夏休み、お母さんは夏期講座に出るのを許してくれた。コンピュータのクラスに出るためだ。初日に行ってみると、学校の中庭がサッカーグラウンドに開放されていて、男の子たちがサッカーをしているのが見えた。降りて行って一緒にやりたくてたまらなかったけれど、その日はスカートだったし、自分を抑えた。
 次にクラスに出る時は、ジーンズにスニーカーで、髪を長いお下げにくくっていった。降りて行ってゴールを決めたい、それだけだった。でもその日は誰も遊んでいる子がいなくて、サッカーもやっていなかった。クラスに出ていると、中庭の方から歓声が聞こえた。サッカーボールが地面を跳ねる音だ。心臓の鼓動が早くなり、目の前のものが目に入らなくなった。すぐに中庭に降りて行きたい、それだけだった。
 思うに、何人もトイレに行くのを禁じることはできない。歴史の先生にトイレに行かせてもらうと、わたしはグラウンドに走っていった。まさに試合が始まったところだった。
 試合はいつものようにお粗末で、上手い選手は一人もいなかった。走ってぎゃあぎゃあ喚いてるだけだ。ゴールもなかった。じゃあこの子たちは、どうしてサッカーをやっているのだろう。見ると、選手たちの中に、友達のディナの兄弟、アブドッラーがいた。彼に声をかけて、プレイしたいから代わってくれる子がいないか尋ねた。彼は、ムハンマド・ヘニーディー4に話しかけられたみたいに笑っていた。彼がこのことを知らせるために皆を集めると、驚いたことに、一人が言った。「いいよ、一緒にやろうよ。一人足りないでやってたところなんだ」。それからわたしの方を向いて言った。「キーパーでもいい?」
 わたしは嬉しくて泣きそうだった。この男の子は夢のような少年で、ちょっとチビだけど好きになってしまいそうだった。キーパーだって問題ない。何事も一歩一歩いかないといけない。でもわたしたちのチームは優勢で、誰もわたしの方にやって来なかった。このままでは、何のチャンスもないまま試合が終わりそうだった。わたしはゴールの前で退屈しながら、なぜかお母さんがお米を選別しているところを思い出した5。わたしたちのチームは優勢だったけれど、男の子たちは皆焦っているようだった。「ヨーロッパカップの決勝じゃあるまいし」。ゴールの外にシュートを叩き込んだり、他の選手にぶつけたり、そんなのばかりだった。
 わたしはアルジャジーラ・スポーツで見たゴールを思い出した。キーパーが自軍のゴールを放って攻め込み、二人のディフェンスを抜き去ってゴールを決める場面だ。わたしは考えた。いいんじゃない?
 ボールが近づいてきた最初のチャンスを使って、それを手で取る代わりに、選手たちの中にボールと共に走りこんだ。わたしのところに、一人の選手が入ってきた。ザマーレク6のバシール・アル=タービイーのように。彼は素早く走りこんでボールを取って一歩進んだけれど、わたしは彼の足の間からボールを取り返した。見ると、グラウンドの男の子たちは、何が起こったか理解していないようだった。わたしはボールを前に戻し、トーキックでバナナシュートを決めた。見事ゴールし、歓声が上がった。
 最初に思ったのは、男の子たちがわたしのところに走り寄って来て、抱きついてキスされるんじゃないか、ということだった。どんな試合でもやることだ。だからゴールを祝福される前に、走ってキーパーの場所に戻った。だけれど、チームの誰もがわたしに攻撃に参加して欲しいと言った。
 信じられないことに、わたしは最初のゴールと、それから四点目のゴールを決めた。チームの皆んなが「これは四番目のゴールじゃなくて、最高のゴールだ」7と言った。わたしは二人の相手プレイヤーを交わして彼らをぶつからせて、相手キーパーをサアド・アル=サギール8のように踊らせてゴールを決めたのだ。わたしたちは5対0で勝った。五点目のゴールはわたしの奪ったペナルティキックによるものだ。というのも、相手選手の一人が、シュートしようとしたわたしの長い髪を引っ張ったからだ。
 試合の後、わたしはアブドッラーにお礼を言って、わたしが彼らとサッカーをやったことを誰にも言わないで欲しい、と言った。彼は、誰にも言わないけど、毎日いっしょにやらないか、と言った。それは無理だから、とわたしは断った。
 家に帰り、わたしは幸せの頂点にいた。シャワーを浴びて家族と夕飯を食べて、自分の部屋に戻りキャプテン・バラカートのポスターの前に座って、ぼーっと物思いにふけった。

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 日本でも女子サッカー人口は男子に比べてずっと少ないでしょうが、エジプトは女の子が人前で激しいスポーツをすることにネガティヴなイメージがあり、男女のスポーツ選手相の違いは日本のそれより遥かに大きいです。スポーツクラブなど、閉鎖空間でやっている分には特にイメージが悪いことはないのですが、オープンな場所でははばかられる傾向があります。前にも書きましたが自転車に乗ることすら「恥ずかしいこと」です(ただ、カイロの街中では男性でもあまり自転車の人は見ません。子供か、パン焼き職人など労働者が仕事で使っているくらいです。どうも自転車は「貧乏くさい」イメージもあり、二重にネガティヴらしいです)。
 特に近年は保守化の傾向が強いので、女性解放的な動きはむしろ後退していっているようです。
 このお話がどこまで実話なのか分かりませんが、ちょっとイイ話だと思います。女子サッカーが別にネガティヴではない(それどころか世界一!)日本でも、同じことがおこったらちょっと格好良いですよね。
 この本は、こんな感じの外国人でもグッと来る分かりやすいものが多く納められています。もちろん、エジプト独特の文脈も多く入り込んでいて、CMとか映画とか、サブカルチャー的なものに親しむのにも良い機会です(ただ、質問できるエジプト人の知り合いがいないと、永遠に分からないところが多いですが……)。他にも「外食はなぜ家のご飯より美味しく感じるのか」とか、「怖いドッキリビデオを送り付けてくるイタズラ好きの従兄弟にウィルスを送って反撃したら、家までやってきて直接家のパソコンにウィルス入れられた事件」とか、アホなものが多いので、そのうち紹介するかもしれません。

  1. 「マスル」とはエジプトのこと。フスハーでは「ミスル」という感じに読みますが、エジプト方言では「マスル」くらいの音です []
  2. エジプトの有名なサッカーチーム []
  3. エジプトの有名な歌手 []
  4. エジプトの有名なコメディー俳優 []
  5. 米に混じり物がないか選別する作業で、退屈な仕事の例としてあげている []
  6. エジプトの有名なサッカーチーム []
  7. 「四番目」を意味するرابعラービアと「最高の、素晴らしい」を意味するرائعラーイアをかけている []
  8. エジプトの歌手・俳優 []