世間と神様とTPP

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 TPP盛り上がってますねぇ(笑)。
 わたしは経済はまったくの素人で、経験的に素人以下ですらある自信があるので、言ってる先から間違えている気もするのですが、個人的には「やめといた方がええんちゃう」と思っています。
 その理由として言いたいことを、斎藤環さんが大体言ってくれていたので、貼っておきます。

時代の風:TPP参加問題=精神科医・斎藤環 – 毎日jp(毎日新聞)

 歴史人類学者のエマニュエル・トッドは、近著「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」(藤原書店)において、まさにTPP的な貿易のあり方に強く警鐘を鳴らしている。
 自由貿易で国外市場へ向けた生産が増えれば、企業のコスト意識が高まり、国内の労働者に支払われる賃金もコストカットの対象となる。労働力が低賃金ですむ中国などに集中した結果、どの国でも給与水準が低下し、国内需要が不足しはじめる。それゆえ自由貿易に固執し続ければ、社会の不平等と格差は拡大し、優遇された超富裕層が社会を支配することになる。かくして、自由主義が民主主義を破壊するという逆説が起こる。
 こうしたトッドの見立てが真実ならば、TPP反対運動と、例えば「ウォール街を占拠せよ」と名付けられたニューヨークデモにおける人々の主張とは、格差社会への抗議と民主主義の擁護という点で一致することになるだろう。

 『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』は非常にお気楽に読めるインタビュー集みたいな本なので、是非さらっと読んで頂きたいのですが、わたしもずっとこれを連想していました(もっと真面目にトッドのこの論を知りたいなら『デモクラシー以後―協調的「保護主義」の提唱』を読むべき)。今、アメリカでもほとんど日本と同じ理由で反対論があるようですが(といっても、アメリカ国内での関心度は非常に低いらしい)、要するに自由主義を推し進めていけば、人件費というのはただの「コスト」になってしまい、それなら安いに越したことはないので、金持ちや大企業は奴隷労働のような世界に生産拠点を移し、ますます富の一極集中が進む、ということです。経済がローカルに回っている限り、賃金というのは、払ったとしても巡り巡って戻ってくるかもしれないお金です。実際、高度成長期の日本には、そういう面があったのではないかと思います。
 とは言っても、トッドがこの論で念頭においているのはヨーロッパ、とりわけフランスであり、トッド自身も「この考え方が日本で有効かどうかは分からない」と言っていますから、その辺は慎重に見てあげないといけないとは思いますが。
 
 で、ここからよく分からないゼニの難しい話を離れて、ケーザイの得意な人には益々疎ましがられる話をしますが、恩というか、善行?の位置には三つのレベルがあると考えられます。

①恩を与えると(他人に善行を為すと)、恩を感じた相手が返してくれるかもしれない
②恩を与えても、与えた当人は返してくれるか分からない。でも巡り巡ってどこかから返ってくるものだ
③恩なんか与えても無駄

 ①というのは、非常にプリミティヴな関係で、これはどんな社会でも多かれ少なかれあるし、これからもあるでしょう。要は「交換」の関係で、まぁ実際は交換と言っても柄谷の言う通り一筋縄ではなく、交換には常にそれが「等価」であるかどうかの不安と思いきりがつきまとい、それゆえ②の領域が常に還流してくるのですが、そういう細かい話をおいておけば、とりあえず今後も恩とかゼニの関係で残り続けるものでしょう。
 問題は②です。
 何度か書きましたが1、与える時に大事なのは、与えたものが与えた相手から返ってくるかどうかではなく、巡り巡ってどこかから返ってくる、ということです。逆に、受け取ったものも、その相手に直接返したって良いのですが、別の誰かに返したって良いのです。なぜなら、すべての富は神様からやってきて、与えたものを巡り巡って返してくれるのも神様だからです。
 と、神様と書くと頭がおかしいと思われるのですが、それがイヤなら世間でも共同体でも何でもいいです。恩というのは、与えた相手から返ってくるかどうかと心配していたら、非常にしんどくなるもので、それよりもっとデカイものにバーンと預けて、またバーンと返ってくるのでも待っていたら良いのです。というか、もうバーンと与えてもらってるんだから、今度はもっと困ってるヤツにバーンとくれてやればいい、と考えるべきです。
 以前に、アメリカのハイウェイでタイヤがパンクして立ち往生していたら、助けてくれたのは英語もロクに分からないいかにも貧乏そうなメキシコ人一家で、別れ際に「today you, tomorrow me」と言われた、という話を読みました。エジプトではقدم السبت تلاقي الحد(土曜日に与えれば日曜日に見出す)とか言いますが、要するに「困った時はお互い様」で、助けられた人は今度はまた別の困っている人を助けたらいいのです。
 わたしの知り合いで、ドイツ人相手の観光ガイドをしているドイツ語堪能なエジプト人がいました。彼は以前ホテルで働いていて、当時は別にドイツ語もできなかったのですが、ある時体の不自由なドイツ人が観光にやってきて、心配した彼は、頼まれもしないのに始終彼の世話をして、どこに行くにも付き添って行ったそうです。このドイツ人は別れ際に包みを渡し、「わたしが帰国したら開けてくれ」と言い残しました。その中には多額のお金と「これでドイツ語を勉強し良い職につきなさい、そして、今度はまた困っている人に勉強するためのお金を与えなさい」という手紙が入っていたといいます。彼は言いつけ通りにドイツ語を学び、その後ブラックアフリカから来た人に援助したと言います。
 この精神というのが非常に重要で、恩とか善行とかゼニとか、何でもいいですが、それは与えた相手から返ってくるとばかり考えたら窮屈なもので、そうではなく、全然関係ないところからポーンと返ってくるものなのです。あるいは、与えられたら、必ずしも与えた相手に直で何かするものでもなく、全然関係ないところにまたくれてやってもいいのです。なぜなら、それらは全部神様(がイヤなら別のでもいいですが)から与えられて、神様に返すものだからです。
 そういう大きな媒介項がないと、富の行き来というのは①のギチギチ窮屈なものか、下手をすれば③になって、もう与えるなんて全然無駄、という世界に行き着いてしまいます。余談ですが、日本の販売業などがサービス過剰で、やたら客がデカイ面をしているのは、媒介項的発想が乏しいからでは、という気がします。客はそんなにエライもんでもなく、だいたい紙切れ渡してチョコとかちゃんとくれただけで御の字なのですから、スマイルだの何だの要求するのは気が狂っています。残りの分は神様に期待しないといけません。チョコも紙切れも神様が貸してくれているだけだと考えたら気が楽です。あとは普通にお喋りでもしていればいいのです。
 こういう神様とか媒介項的存在というのは、世間が狭いうちは結構有効です。でも、どんどんスケールが大きくなると、人間の脳みそがついていけなくなります。人間は元々そんなにグローバルに設計されていないからです。グローバルになると、世間もヘッタクレもなくなって、「なんや、あそこでアホみたいな金でアクセク働いてコンプライアンスとかぐちゃぐちゃ言わんところがあるで、あそこでアホどもこき使ったらしまいや」という発想にもなるというものです。
 そうなると、もう①ですらなく、③のペンペン草も生えない世界になっていって、小器用小金持ちで世間を踏みにじれるヤツらは世界を股にかけて仁義なき行いをして、残りの人間は狭い世間に取り残される、という寸法になります。
 時々、そうやって「グローバル化」することで、逆に途上国の人たちには富が還流されるではないか、という論があります。それは多少は言えなくもないですが、実際のところ、その「途上国」では、外国にイイ顔をするこれまた世間を踏みにじる一握りの人間が絞りとり、大多数の人間はこれまた奴隷化する、という構図が、より厳しい形で現れています。別段世の中が広くなるのは結構なことなのですが、こういう人たちというのは世の中というものを踏みつぶして稼いでいるわけで、グローバルになっても世間はどんどん狭くなっているのです。
 これだけでも酷いですが、さらに残った人々も分断させられ、実は自分たちを苦しめるだけの、搾取する側のロジックを刷り込まれてしまいます。要するに、世間と共に生きていくしかない人々からも神様が取り上げられ、①だけの世知辛いギチギチしたところで、疑心暗鬼になりながら生きていくことを強要されます。世間とか神様を持たれると、仁義なきヤツらは仁義なきっぷりが丸見えになって殺されちゃうだけなので、そうやって「能力あるものが貰うのは当然」「役に立つことをしたから金がある」という理屈を貧民どもにも植えつけておくのです。
 これが上手くいってしまうと、デモも連帯もなくなるのですが、仮にあったとしても、この哀れな貧民たちの主張は「我々には能力があるのに、機会が与えられない」というものになります。逆に言えば、能力のないヤツらなら切ってもいい、ただ自分も「持てるもの」の側に入れて頂戴よ、という主張です。これでも何にもないよりマシかもしれませんが、釈迦の掌というものです。本当は貰ってる人々だって、貰うに値するほど何かを持っているわけでもなかったりするし、所詮富なんて神様とか世間から与えてもらっているだけです。我ら皆乞食です。
 だからといって、本当に皆んなが皆んな文字通りに乞食になってしまったら世間もヘッタクレもなくなるので、①の関係で回す部分がメインではあるのですが、基底の部分にうっすらと「乞食と神様」的関係が広がっていないと、世の中どんどん頭がおかしくなってきます。
 
 例によって脱線というか暴走しましたが、そんなわけで、個人的にはTPP反対ぎみです。でも本当のところ、TPPがどうなろうと、別のところを何とかしていかないと同じことのようにも思いますし、最初に書いた通りわたしがゼニについて言うことは大抵間違っているので、TPPそのものはやっちゃってもいいのかもしれませんが。

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