不快の交換による利子

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 「不快がないから不快が貨幣になれる」で、内田樹先生の貨幣としての不快という指摘に触発され、機能的な「不快」が低減しているが故に貨幣として使われるのではないか、ということを書きました。
 これについてもう一つ全く別の観点として、「悪い話」に対する禁忌度の違いがあるのではないか、と気づきました。
 「悪い話」に対する禁忌度というのは、要するに「縁起でもない話をするな」という力です。もう少し広げて「グダグダ不平ばかり言うな、後ろ向きのことをやたら口にするな」くらいまで含めて良いかもしれません。
 「縁起でもない話をするな」という圧力は、おそらく世界中どこにでもあるのでは、と思うのですが、アラブ世界ではこの力がかなり強いです。医療や軍事などの場面ではそうも言っていられませんが、日常的な場面では死や病気にまつわる話はかなり婉曲的に表現されますし、悪いこともちょっと無理があるくらいにポジティヴに語る傾向があるように見受けられます。
 縁起でもない話をしてはいけないのは、悪いことを話すと悪いことが起こる(と信じられている)からです。言霊的なものも同質でしょうが、予言の自己実現という範囲では、本当にある程度の相関はあるように思います。この話をあまり膨らますとただのオカルトになってしまうので、程々に捉えた方が良いですが、要は言葉とモノがペッタリ張り付いている感じが、より強い文化圏が存在する、ということです。
 注意したいのは、ここで「言葉には力がある」系の話に流れると、途端に倒錯してくる、ということです。「言葉には力がある」言説は、一旦世界が言語から引き剥がされて仮想された上で、発話という「人間的」行為が、他の個体-群に影響する、ということを言っているにすぎません。もの自体の想定から構築される近代的言説の上澄みのようなお話ですが、これは話の順序が逆なのであって、寧ろ「力には言葉がある」とでも言った方が正しい。わたしたちが象徴言語の内側からしか認識できないということは、通常わたしたちが「世界」と表象するものが、それ自体言語と一体である(一体としてしか扱いようがない)ということです(ただし世界の総てではない!)。世界は最初から喋っており、人間が後からトコトコやってきて言葉を話し始めた、というのは、発達論的には正しくても言語行為のロジックにおいて間違っています。
 話を戻すと、悪い話をすること自体が、悪い事態の呼び水になるとしたら、「悪い話」は素直に交換されたりはしてくれません。観測行為自体によって対象が変化するように、「悪い話」はそれ自体が力を持っているので、貨幣としては機能しないのです。
 そして、実際のところ「悪い話」は本当に力を持っているので(言語は世界とかなりペッタリ張り付いているので)、「悪い話」を貨幣として使う、ということは、知らない間に利子を支払っていることになります。この利子はそれほど大きな額ではない、つまり、アルハムドリッラー、「悪い話」をしても実際に悪いことが起こることは稀なので、わたしたちの多くはこの利子に気づかないのですが、地域によっては高利子がまかり通っているせいで、皮肉にも利子の危険に気づき易い、と言えます。
 件のエントリで「イスラーム的言語活動におけるアッラーというのは、この「不快」にちょっと似ている」と触れながら、涜神を畏れて語らなかったのですが、赦しを請い敢えて危険を冒すなら、アッラーは「悪い話」のような利子を取らない貨幣なのです。正確に言えば利子は取っているのですが、利子分はまとめて審判の日に決済されるので、現世的には、アッラーの望み給わない限り増えも減りもしません。ズィクルというのは、「悪い話」によって偶像に利子を吸い取られる代わりに、増えも減りもしない不動のものを「交換」していると言えます。
 いと高きアッラーは、金貨と銀貨を貨幣として認められ、今日の不換紙幣経済と対立しますが、厳密には金貨もアッラーの赦しを得て代理を務めているにすぎません。本当に「交換」されているのはアッラーです。こういう言い方をすると、多くの敬虔なムスリムの怒りを買いそうで胃が痛いのですが、脳をキリキリ使って意味を拾って下さい。
 まぁアラブ世界ほど「悪い話」に敏感ではないにせよ、縁起でもない話や不平ばかり言っている人はどこでも嫌われるかと思いますので、まだまだ人類も捨てたものではないかと、信じています。

َإِنَّ مَعَ الْعُسْرِ يُسْرً
إِنَّ مَعَ الْعُسْرِ يُسْرًا
فَإِذَا فَرَغْتَ فَانصَبْ
وَإِلَى رَبِّكَ فَارْغَبْ
本当に困難と共に、安楽はあり、/本当に困難と共に、安楽はある。/それで(当面の務めから)楽になったら、更に労苦して、/(只一筋に)あなたの主に傾倒するがいい。(94 5-8)