責任の取れることしか言わないのは、もう十分に無責任だ
責任の取れることしか言わないのは、もう十分に無責任だ。 責任の取れないことを言う人を守れないのは、もう十分に無責任だ。 取れる責任...
アラビア語、現代思想、精神分析、信仰、雑記
責任の取れることしか言わないのは、もう十分に無責任だ。 責任の取れないことを言う人を守れないのは、もう十分に無責任だ。 取れる責任...
「言行一致させる」倫理と「言うべきことを言う」倫理を区別しなければならない。 「言うべきことを言い、なおかつ言を裏切らない」のが一番称...
自殺が殺人より罪が軽いというのは奇妙な考えだ。 自殺は常に罪だが、殺人は場合により正義にもなる。 正しい戦いというものは存在する。 わ...
努力したからといって必ずしも報われるわけではない、などということは、普通の大人なら誰でも知っています。子供でも知っているでしょう。 「...
信仰とは、大人が子供であることではないか、と気付く。 「誰にでも心の中には子供の自分がいる」ということではない。むしろ、子供の自分を捨...
人に自信をつけさせたければ、優しくすればいい。 優しくするというのは、甘やかすということではない。良くも悪くも、介入しまくることで、要...
我ながら、奇妙極まりない人生を歩んできて、今も歩んでいる。 こんなラグビーボールのような転がり方をして、よく今でも生きていると思う。 ...
「信仰の必要ない人間」というのは、ほとんど「人間ではない」のと同じことだ。 信仰を必要から考えてしまった時点で、既に見当違いな場所を見...
カイロの地下鉄。 両足と片腕のない男性が、左腕と足の切断部分を器用に使って、車内を移動してくる。 もちろん、電動車椅子などない。あ...
すべてに意味があるなら、すべての意味を知っている者に一任してしまえば、わたしたちは安心して無意味を享受できる。 「すべてに意味があ...