目を覆わないでいるには、覆っている手を別のことに使うしかない

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 カイロの地下鉄。
 両足と片腕のない男性が、左腕と足の切断部分を器用に使って、車内を移動してくる。
 もちろん、電動車椅子などない。あっても、この町では使い物にならないだろう。
 女性専用車両だけれど、もちろん咎める人はいない。
 若い女性たちは、ケラケラとお喋りに夢中だ。

 正直、気が重い。目を逸らしたいと思う。
 日本なら「あるべきところ」に押し込められて蓋をされている風景が、むき出しになっている。
 逃げるように、小声でドゥアーを呟く。身体が僅かにこわばる。

 と、隣の女性が立ち上がり、男性に施しを与えた。
 そこでふと、目が覚めた。
 わたしも立ち上がり、施しを与える。
 男はふてぶてしい態度で小銭を受け取り、視線も合わせないまま内ポケットにしまう。
 少しだけ、楽になった。

 グロテスクな光景、悲惨な風景には、誰でも目を覆いたい。なかったことにしたい。
 しかし、その目を覆っているものは何か。
 わたし自身の手だ。

 だから、その手を別のことに使えばいい。
 目を覆う代わりに、差し伸べることに使えばいい。

 恐怖にかられ、防御しようという気持ちが強くなると、わたしたちはどうしても、心身をこわばらせ、ヒステリックになり、遂には目を閉じてしまう。
 しかし、それでは恐怖から逃げることはできない。

 怯えているのは、なすべきことをしていないからだ。
 本当は気づいているのに、あたかも今あるこの命と生活が当然の権利であるかのように胡坐をかいて、主の僕としての義務に知らないフリを決め込んでいるからだ。
 「義務などない」「わたしが何をしたっていうんだ」とヒステリックに憤るのは、それが防衛反応にすぎないことを証している。

 心身のこわばりは、力が内に向かっていることを示している。
 「力を入れる」のではなく「力を出す」のでなければダメだ。

 まず、手を伸ばせ。
 そうすれば、後は勝手に視界が開く。
 視界を閉ざしているのは、自分の手にすぎないし、それは所詮二つしかないのだから。

 あなたにはたった一本の手しか残されていないが、手の正しい使い方を教えてくれた。

 主よ、はからいと巡り合わせに感謝します。



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