不滅のものは増殖してはならない

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 利子の禁止、あるいは「腐る貨幣」の導入とは、決して「不労所得はよろしくない」などというお説教ではない。
 その目的はもちろん、「お金を回す」ためだが(渋滞解消)、より核心に迫るなら「不滅のものは増殖してはならない」ということだ。

 サンボリックなものは、永遠不滅で変化しない。なぜなら、それは最初から死んでいるからだ。
 一方で、形あるものはすべて壊れる。量も増減する。ただし、それ自体で自己増殖するわけではない。これがイマジネールな機能だ。形あるものの領域とは、水槽の中に作られた「小さな生態系」、閉じた中で変化する宇宙、熱力学の第一法則、といったものだ。
 この閉じた世界に対し、力を注ぎ込み回転させるものがある。「形あるもの」が変転しつつも総体では等量であったのに対し、世界そのものを一方向に推し進めていく、不可逆的な力がある。この外部から来る力は、熱力学の第二法則を彷彿させる。
 増殖する力とは、この外部の領域に由来する。形あるものが増殖するように見えるとしたら、これは外部、世界を一方向に解体し続ける不可逆な力に由来する1

 そして、不滅のもの、変わらない定点、航海を導く星座、「人間の外にあって実は人間が作り出したものだが、むしろ人間を作ったものと感じられる時だけ有効に機能し、人間を越えるもの」、これは増殖してはならない。不滅の者は死に続けているからこそ不滅なのだ。
 逆に言えば、増殖するものは必ず滅ばなければならない。すべての生き物がそうであるように。
 利子の禁止とは、永遠不滅の絶対者から、生の汚染を取り除く法だ。
 一方、「腐敗する貨幣(スタンプ貨幣)」とは、お金を不滅の領域から形あるものの領域へと移行させる方法だ。
 両方に共通しているのは、不滅性と増殖性が同居してはならない、という点である。
 この二つが併せ持たれた時(本当は並存などしていないのだが、そのように見える時)、「増える死」は致死のウィルスのように、あるいは癌細胞のように、わたしたちの世界を蝕んでいく。

 お金を変えなければならない。
 不滅のものは不滅のものに、形あるものは形あるものに、そして増やす力、不可能でありながら外部から注ぎ込まれる力については、不可触なままに。

岩明均『ヘウレーカ』 科学のディスクールと<真理>の鏡

  1.  外部の力は洪水のように圧倒的であり、この力をそのまま受けては、生と死を同時に引き受けることになる。だから、切り刻みフィルタリングする必要がある。目が、眼差しに焼かれないために「見ない」ことで、視覚を実現する器官であるように。見ることを可能にしているのは光だが、太陽を直視すれば目が焼かれる。虹彩を絞り、視線をそらすことで、「遅延効果」が実現される。この遅延こそが、わたしたちが受け取る生だ。
     だから、形あるものが増殖したとしても、増殖の力はイマジネールなものに内在するわけではないし、また増殖の力に身を任せたままでも、生は維持されない。わたしたちが「生」と感じれているものは、余りにも圧倒的なパワーを、死によって刻んだ結果である。 []