『イスラーム 生と死と聖戦』中田考

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4087207641 イスラーム 生と死と聖戦 (集英社新書)
中田 考
集英社 2015-02-17

 北大生渡航未遂事件のお陰で、一躍時の人になってしまったハサン中田考先生の新書。
 中田先生の本というと、個人的には『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』をまず挙げます。中田先生は法学の専門家ですから、その専門バリバリの著作は非常に取っ付きにくいのですが、『イスラームのロジック』は一般向けの網羅的なもので、かつ日本の読者に擦り寄ったご都合主義的な面が全くありません。文化人類学的に外から眺めた「イスラーム」ではなく、イスラーム内部のロジックをそのまま日本語で語っている、という、類書のない一冊です。最初に読んだ時はかなりインパクトを受けました(現在は絶版で手に入りにくくなっています)。
 この『イスラーム 生と死と聖戦』は、『イスラームのロジック』が一周回って更に平易になって帰ってきたような本です。これ以上ないくらい平易で、まるで子供に話しかけるような優しい口調ですが、全く「文化人類学的」ではなく1、どこまでもイスラーム内のロジックです。『イスラームのロジック』は中田先生がまだお若かったせいか、結構トゲトゲしたところがありますが、『イスラーム 生と死と聖戦』では語り口調も丸くなっています。中田先生を直接見知っている人からすると、この本はかなり本人の与える印象に近い感じを持っていると受け取るでしょう。

 とはいえ、あの中田先生の本なので、わたしなどは読んでいてちょっとしんどくなるところもそれなりにあります。日本人としてはある程度イスラームについて知ってしまったにも関わらず、相変わらずできることとできないことがある自分などは、全く無関心な大多数の日本人より、遥かに地獄行きの確率が高いと思います。個人的には、すべてがすべて中田先生の考えに共感する訳ではなく、疑問に思うところもそれなりにある訳ですが、常識的に考えて、この二人の意見が違っていたとしたら、まず間違いなく中田先生の方が正しい訳で、なかなか暗澹たる気分になります(両方間違っているという可能性もありますが)。

 そういう落ち込むところを除けて、わたしが手放しで絶賛したいのは、第二章「神」の部分です。
 この本は池内恵さんが解説を書かれているのですが(この一点だけでも、かなり奇書なのは間違いなく、わたしは大笑いしてしまいました)、その池内さんも驚いている「アニミズムの一神教的解釈」という下りがあります。
 アニミズムとイスラームなどというと、一般の方の印象としてはまるで正反対のようですが、中田先生は「イスラームの世界観は基本的にアニミズム」と語ります。
 イスラームにおけるアッラーとは、日本語で言う「神々」の神とは異なり、「自然界と人間界を貫く普遍的な原理」です。

イラーハは神を意味する一般名詞、アッラーはムスリムが信ずる唯一神のことですが、たくさんの神様がいて、そのうちの一柱がアッラーという名前の神様だと考えるとイスラームを誤解することになります。

 一方、日本の「神々」のようなものは、イスラーム的にはジンなどに近い、と言います。

日本神道の八百万の神々というのは、イスラーム的に言うイラーハにはあたらないので、イスラームの宗教観からはあるとかないとかの議論の対象にならないのです。あえてイスラーム的に考えていくと、日本の神々は、たとえばアラビア語で「ルーフ」と呼ばれる霊や、「ジン」と呼ばれているものに似ています。中国の道教の神々、インドのヒンドゥーの神々、ギリシャ・ローマ神話に登場する神々なども、ジンに近い性格を持っています。

 そればかりか、イスラームではすべての動物、さらに無生物までもが「言語」を持ち、互いにコミュニケーションを図っていると言います。

たとえば、椅子はわたしたちの言葉とは違うけれども言葉を持っている。椅子には、ネジやクギが使われています。ネジ穴とネジが合うと入るわけですが、合わないと入らない。イスラームでは、それはネジとネジ穴にとってコミュニケーションだと考えるのです。

 ここで言う「言葉」「言語」は、一般に言われている言語とは違いますが、それぞれのものの持っている道理というか、この世界において在る道筋、その道筋を介したやり取りのようなものです。こう考えると、鳥には鳥の道理があり、人間だけが例外的に理性的な訳ではありません。イスラームが人間を他から区別するのは倫理的な面においてです。
 この下りは、池内さんも仰るとおり、ムスリムが多数派の地域ではまず考えもつかない発想であるにも関わらず、非常にイスラーム的です。中田先生の真骨頂です。個人的には、非常におこがましいことを言えば、まるで自分が書いたのではないかと思うくらいで、本当に「これを書いて下さってありがとうございます」という気持ちです。これを中田先生に書かせた我らが主に感謝します。
 電子書籍版『数えられなかった羊』の「シルク、残りのもの」で、「アッラーと書いてしまうと、他にホッラーとかヒッラーとか色んな神様がいて、まるでその中の一つのようなイメージが生まれてしまう」というようなことを書いています。しかしアッラーはそうしたイメージ的な神様ではなく、「並び立つものが想像できない」という原理そのものです。翻せば、「神々」としてイメージ可能なものはイスラームで考えるところの神ではありません。日本語の「神」は、ネットスラングで単に「すごい人」を意味しているように、単に「卓越した者」「超常の力を持つもの」といったイメージがあります。それは確かに、アラビア語の文脈で言うところの「ジン」にむしろ近いです。
 この一章だけでも、読む価値のある本です。

 皆さんが気になるいわゆる「イスラーム国」についても、最終章で述べられています。バグダーディの統治のあり方については明白に否定的な見解を表しています。
 個人的には、もうこの件は沢山で、毎日胃がキリキリ痛むような思いをしているので、これ以上何も言いません。

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  1. 当たり前ですが、別に文化人類学が悪い訳ではありません。学問的価値は当然ながら、個人的には、そうした視点もそれはそれで面白いと思っています []



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