『イスラム国とは何か』常岡浩介 高世仁

シェアする

4845113988イスラム国とは何か
常岡 浩介 高世 仁
旬報社 2015-02-11

 シャミル常岡浩介さんによるIS、いわゆるイスラム国本です(この呼称については、エントリ末尾に書いています)。高世仁さんが常岡さんにインタビューする形式となっています。
 結論から言って、素晴らしい一冊です。是非一人でも多くの方に読んで頂きたいです。
 ここのところ、雨後の筍のようにIS本が色々出ていますが、確実に類書とは一線を画するもので、少なくともわたしが現在までに読んでいる範囲の中ではずば抜けて一番に面白かったです。ただ、この地域の歴史・状況について全く予備知識がない場合は、池内恵さんの『イスラーム国の衝撃』が平明で包括的なため、合わせて読んでも良いと思います(池内さんについては、イスラーム界隈では批判する向きもあるかと思いますが、日本の読者におもねった歪んだイスラーム解釈をしないところは評価できると思います)。IS本はとりあえずこの二冊で良いでしょう。

 現在、シリアからイラクにかけて巨大な版図を広げつつあるISですが、軍隊としては別段強くはない、と常岡さんは言います。

 イスラム国の軍隊は強いと報じられていますが、それには大きな誤解があると思います。
 私は、イスラム国は軍隊としてはまったく強くない、むしろ弱いと思っています。

 実際、常岡さんはISの作戦行動に同行取材したそうですが、車で行って目標の空軍基地からかなり離れたところに停め、迫撃砲を二発撃ってすぐ逃げる、というもので、一年くらいルーティンのようにこんなことを繰り返していて成果も上がっていないようです。通信インフラもボロボロで、経験のない兵士による行き当たりバッタリの寄り合い所帯であることがわかります。
 ISというと、派手な映像をインターネット上で公開したりと、メディア戦略に長けているような印象がありますが、内部はかなりの秘密主義で、ローカルのプロバイダや携帯電話会社も禁止されており、「インターネットを使った民衆運動の意義や意味を理解しておらず」「民衆運動を恐れ、憎んでいる」といいます。
 ではなぜ、ISは現在のような勢力を持つに至ったのでしょうか。
 その秘密は、「したたかさ」にあるようです。
 自由シリア軍などのシリアにおける他の反政府武装勢力は、基本的にアサド政権と戦っています。そしてある街を制圧することが出来ると、その先のアサド軍と対峙するために前線を移動します。そのために背後で手薄になった街を、後ろからISが掠め取っているようなのです。つまり漁夫の利です。
 ISはアサド政権とは戦いません。専ら領土の拡大を狙い、手薄で簡単そうなところを削ぎとっていっているのです。
 こうした戦略が可能になった背景には、シリア反政府勢力の退潮があります。
 シリアの反政府勢力は、当初はいわゆる自由シリア軍が優勢に戦いを進めており、市民にも人気があり、国土の七割ほども掌握していました。しかし、亡命シリア人のロビイストらが「シリア国民連合」という支援の受け皿を作り、自由シリア軍の上部団体となったのですが、支援資金がここで消えるようになります(イラクでも同様の腐敗があったことが語られています)。国外で暮らすロビイストらは戦闘の実情も知らず、腐敗して支援金をかすめ取ります。そこで困窮した自由シリア軍は次第にアサド政権におされるようになります。その後自由シリア軍は、イスラーム主義系のヌスラ戦線と共闘するようになりますが、亡命シリア人や欧米諸国はイスラーム主義系勢力との協力に否定的で、支援を渋ります。アサド政権への攻撃も行われません。そうこうするうちに、背後からISに支配地域を蚕食される形となってしまったのです。
 募金詐欺のような酷い構造で、前線で戦っている人々が置き去りにされています。『謎の独立国家ソマリランド』の中で高野秀行さんが「紛争があると援助のお金が入ってくるが、それは大体腐敗した上層部が掠め取って、本当に必要な人には届かない。そして『戦争は金になる』ということを学んだ人々は、戦争をやめようとしない」ということを指摘されています1。世界各地で似たような構造が見られますが、「平和の方がむしろ金になる」という状況を作り出さないと、負のスパイラルだけがどんどん加速していきます。
 ちなみに、イスラーム主義系のヌスラ戦線は、もとはISと同じ組織で、現在は袂を分かった関係ですが、こちらは礼儀正しく市民を助け、割りと評判が良いようです。シリア人はおおむね世俗的で、イスラーム主義系の組織にかなり警戒感を持っていたようですが、やって来てみたら「案外イイ奴」で、自由シリア軍とも共にアサド政権と戦っています。常岡さん自身、以前のシリア取材でヌスラ戦線の支配地に紛れ込み、「えらいことになってしまった」と思っていたら、食事を提供され一緒に礼拝し、好印象を抱いたそうです。

 常岡さんは、早期に米軍が介入しアサド政権を除去すべきだった、と考えています。

 今、オバマ政権が、「イスラム国を過小評価していた」ということをいっていますが、そうではなく、シリア内戦自体を過小評価していた。アサド政権をそのままにして、何もしなくても大事にはならないだろうと、高をくくっていたのでしょう。
 米国の失敗を指摘するならば、アサド政権が、すさまじい住民虐殺をつづけていたとき、すぐに介入して、立ち上がった反政府運動を効果的に支援しなかったこと。そして、問題解決をアサド政権の除去ではなく、「化学兵器」の除去という筋違いな方向にもっていってアサド政権にお墨付きを与えてしまったこと、です。

 このことにより、当初は親米的であった自由シリア軍までもが反米的になってしまいました。ISは、2014年10月の国連報告書によると「少なくとも9347人」を殺しているそうですが、アサド政権は二十万人以上を既に虐殺していると言われています。

 ではとにかく介入すれば良いかと言うと、ことはそう単純ではありません。
 「誤爆により市民が反米化する」といった説明がよく聞かれますが、これは妥当ではなく、とにかく爆撃が行われ、米兵がやって来れば反米になる、と常岡さんは指摘されます。

 たとえば、アルカーイダが殺されたら「いい気味だ」と思い、女・子供が殺されたらけしからんと憤るのか。そうではなく、アルカーイダが殺されても、その人のために神に祈ったりします。
 なぜ反米になるのか。ここには欧米社会、欧米メディアの大変な勘違いがあると思います。「汝に戦いを挑むものがあれば、アッラーの道のために戦え」。これはコーランにある言葉で、イスラム圏に住む人は、どこかでかならず聞いたことがあるはずです。

 少なくとも空爆開始前の時点では、ISは市民の熱い支持を得ていた訳ではないようです。本書の最初の方でも、ハサン中田考先生と一緒に湯川遥菜さんの裁判のためISに呼ばれた際、市民らが脱出している様子が語られています。

 中田さんは二〇一四年三月にもラッカに行ったそうですが、「あのときと全然違う。これは町の人が逃げていますね」といっていました。(…)イスラム国の処刑などを見て、逃げたのでしょう。
 インターネットに写真があがっていましたが、ラッカの中心部に、イラク政府軍兵士の首五十個をさらしたこともありました。残酷な処刑が市民の目の前で展開されて、おびえてしまったのだと思います。まだ米国の空爆の前でしたから、空爆を避けて逃げたというわけではありません。
 その意味で、イスラム国は住民から支持されていないと思います。

 
 恐怖で市民を支配しており、処刑を多用についても「サダム・フセインのコピーキャットではないか」と言います。

 イスラム国の指導部にはサダム・フセインの残党がいます。サダムはひたすら国民を粛清して権力を維持しました。統治の手段としての恐怖政治であり、イスラム国の中枢は、バグダディ本人は何を考えているのかわかりませんが、その周辺は、そもそもカリフ制の意義など考えてもいない人たちで、恐怖で支配する手段だけ知っている人たちだと思います。

 しかし下手にISを攻撃すると、市民感情については逆効果となってしまう可能性があります。

 イスラム圏では、異教徒から攻撃されるとイスラム教徒同士の戦いはどうでもよくなり、同盟して結びつくというケースがよくあります。イスラム国はイスラム世界でもひどく嫌われていますが、異教徒から攻撃されたという実績によって、逆に聖戦のヒーローになってしまうかもしれない。

 そればかりか、イスラム国を攻撃したことにより、「テロの輸出」が促進されてしまう危険性が指摘されます。

 義勇兵たちは、シリアに家族までよびよせて暮らそうとしているわけです。現地でローカルに戦っているかぎり、米国など海外に危害は加えないはずでしょう。逆に、その人たちを攻撃すれば、欧米の国に戻っていく。むしろ危なくなる。それに米国がシリアを攻撃すれば、もともと反米でなかった義勇兵が、反米になります。米国自身が反米テロリストを製造しているのです。

 こうなってしまうと、何をやっても裏目に出るようで、アメリカが可哀想になってきます。アメリカだって、限られた予算の中で余計な戦争はしたくない訳です。介入の機を逸したと言って怒られ、介入したと言って怒られる。ちょっと気の毒にすら思います。

 「アサド政権とイスラム国、これは両方ともつぶすべきだと考えていますか」という質問に対し、常岡さんはこう答えています。

 私の立場というより、実現可能性の問題としてお答えします。
 アサド政権は、受益者や支持している人たちはいますけれども、つぶすことは可能です。
 でも、イスラム国はつぶせません。イスラム国やアルカーイダなどは、つぶしても、その十倍ぐらいのものがどこかから湧いて出てくるような存在です。
 米国はイスラム国を「撲滅する」と言っていますが、絶対に無理だと思います。アフガニスタンで「タリバンを壊滅する」といっていましたが、これもできなかったばかりか、いまやタリバンはさらに勢力を増大させています。
 イスラム国の撲滅などというのは、それよりもさらに不可能です。

 そしてこの戦争が失敗に終われば、米国の経済は大きな打撃を受ける訳で、超大国としての米国の役割に一定の期待を寄せている常岡さんとしては、米国の弱体化を心配されています。「失敗のスパイラル」をどこかで断ち切らないと、取り返しのつかないことになってしまう可能性があるのです。

 わたし個人の考えとしては、もう遅すぎるのかもしれませんが、今からでも米国はアサド政権に攻撃を加えるべきではないのでしょうか。大規模な介入や地上部隊の派遣は、おそらく反米感情を煽るだけになってしまいますが、アサド政権の強みは空軍力です。空軍施設を限定的に空爆する等であれば、市民感情の反発を最小限に抑えることが出来るのではないでしょうか。そうすれば、自由シリア軍やヌスラ戦線は、ISとアサド政権の二つの前線のうち、ISとの戦いに勢力を向けることが出来るようになる筈です。後のことは極力現地に任せた方が双方の為です。もちろん、アサド政権が倒れたらそれで即平和実現、とはならないでしょうし、多分今度は自由シリア軍系とイスラーム主義系が小競り合いを繰り返す構図になるのでしょうが、ISのような巨大な化け物がこれ以上肥大化するのは抑制できるように思います。ある程度の範囲であれば、変にイスラーム主義系を警戒忌避するのではなく、ムスリム同士の喧嘩だと思って現地に任せておく方が安全でしょう。せめてISとアサド政権を両方叩く、という方向には出来ないものなのでしょうか。
 また、ISそのものが、一旦劣勢になればおそらく分裂四散していくのでは、と個人的には考えています。本書中でも、彼らが「スパイ」を恐れる様子について、こう指摘されています。

 「スパイ、スパイ」とさかんにいう組織は、内ゲバを始めるだろうと私も思います。

 もちろん、わたしは軍事のことなど全く素人ですから、トンチンカンなことを言っているかも分かりませんし、常岡さん自身も「遅すぎる」と考えているようですが、このままISだけ叩いても泥沼的消耗戦を強いられるだけのように見えます。誰も手を出したくない最悪のスパゲッティコードに何かするとしたら(そして何かしない訳にもいかない!)、それくらいしか手がないように思います。

 次に、しばしば話題にのぼる義勇兵らについて。
 実際、ISには外国人の参加者が非常に多く見られ、彼らを通じてISの実態を感じることができます(ただし、他の反政府武装勢力にも多くの外国人が参加しており、アサド政権も外国人傭兵を数多く利用している)。
 常岡さんが会った義勇兵の出身国は29ヶ国にのぼり、参加の理由も様々です。エジプト革命に参加し「次はシリアだ」とかけつけたら、地元でクーデターが起こって帰れなくなってしまったエジプト人。西サハラ出身でモロッコの支配を打ち破るため、その過程としてシリア解放を戦っている人。
 非常に興味深いのは、中国の新疆ウイグル自治区出身の義勇兵で、彼はカンボジア、ベトナム、マレーシア、インドネシアと移動しそこで一回逮捕されて服役、さらにそこからトルコ、シリアという長大な旅を経てIS入りしています。彼はここに戦いに来ているというより、逃げてきているのです。
 カザフスタン出身の義勇兵も、同様にムスリムへの弾圧から逃れてきたもので、「生きていくために来るしかなかった」と言います。

 日本人の目には、シリアは、内戦でめちゃめちゃになり混沌としているようにみえるかもしれませんが、ウイグル人はじめ世界各地で抑圧されているイスラム教徒には、身の危険から逃れるために避難する場所でもあるのです。

 IS自ら「ユダヤ人におけるイスラエル」のような役割をアピールしているところがありますが、実際、部分的にではありますがそのように機能してしまっているところがあるようです。
 当然ながら、このことでISの性質をすべて説明できる訳はありませんが、背景の一つとしてウイグルやカザフスタン、ウズベキスタンにおける弾圧、さらにアラブ諸国におけるイスラーム主義勢力に対する弾圧等があることは、真摯に受け止めて良いかと思います。イスラエルにせよISにせよ、奇形的国家組織の暴走には、共通の要素があるのかもしれません。
 また、よく話題になるヨーロッパからの義勇兵(主に移民二世・三世)ですが、その背景として貧困を挙げるのは妥当ではない、と指摘されます。「むしろ社会からの疎外感が大きな問題」とし、ドイツやフランスでの差別的状況についての冷徹な意見が聞かれます。一方、ヨーロッパでも国によりかなりの違いがあるらしく、ノルウェーやデンマークでは比較的良好のようです。
 また、ドイツ出身ながらドイツのことは大好きで、純粋にISの理念に共鳴して参加している若者もいます。彼は人定法によって支配される世界に疑問を抱き、「時と場合の都合によって決められる偽物の正義ではなく、本物の正義、真実の正義のために生きたい」と語ります。
 この青年に、アサド政権打倒のために米国と手を結べないのか、と尋ねると、パレスチナやアフガニスタンで米国によりイスラム教徒が殺されている状況ではそれは出来ない、と答えます。「私たちは米国人を殺したいと思っているわけではないが、いま米国がナイフをイスラム教徒の体に突き入れている最中に手を結ぶなんて無理で、まずそのナイフを抜いてくれとわれわれは言いますよ」と語ります。
 一方、典型的な「中二病」でやってきた白人のヨーロッパ人もいるのですが(結局病気治療のために帰国する)、こうした人々は流石に少数派のようです。外国からの参加者の多くは北アフリカなどのムスリムが多数派を占める地域の出身です。

 本書全体を通じて、わたし個人がぼんやりと感じていたことは、「金で動く」ということの二面性です。「金」というより、多くの日本人などにも分かりやすいような世俗的損得をもって行動する、という意味です。
 お断りしておきますが、「金(のようなもの)で動く」ことが汚くてダメだ、などと言いたいのでは「全く」ありません。お金は必要ですし、食べ物がなければ人は生きていけません。そして重要なことに、損得で動くということは、一定の安心感を相手に与え、関係をスムーズにもするものです。「タダより高いものはない」です。何が目的か分からないような人より、お金が欲しいならお金が欲しいとはっきり分かっている方が、お互い気楽でやり取りも滑らかでしょう。基本的に、世の中損得で回って間違いではないと思います。
 ただし、こうした関係というのは、広い意味でのインフラがある程度整備されている状況でしか成り立ちません。「ある程度」と言っても、かなり低レベルでも問題ありません。カイロは東京と比べるとあらゆる点でインフラがボロボロで、水も電気もしょっちゅう止まっていますが、まだ全然大丈夫です。もっと遥かにポンコツな状況でも、ここで言う「ある程度」には足りています。
 しかし現在のシリアやイラクの一部のように、もうまったく壊滅的に社会インフラが破壊され、誰も信用できず明日には死ぬかもしれない、というところまで来ると、「金で動く」系のものはまともに機能しなくなります。
 こういう状況では、整備された世俗社会では絵空事のように見える「理想で動く」「信念・信仰で動く」ものの方が機能するのです。いわゆる災害ユートピア的な状況というのも、これと同様ではないのでしょうか。わたしたちは信念や信仰心で行動するような態度を、中二病的だとか、空想的な理想ばかり掲げる現実感のない振る舞いとして見てしまいがちですが、状況によってはそちらの方が機能するのではないかと、考えています。ヌスラ戦線がよく戦っていることには、こうした印象を抱きます。
 おそらくISには、「金で動く」と「理想で動く」の二面があるのでしょう。彼らは狡猾で、領土的野心に燃えていますが、だからといって「金で動く」の一点で解釈すると、対応を誤るように思います。少なくとも彼らの一部には「理想で動く」ことを本気で考えている人たちもおり、しかもある程度の範囲までそれは機能するのです。この二つのどちらか一つだけ見ていては、ことの本質を見誤ることになるでしょう。

 最後に、本書とは関係ありませんが、いわゆる「イスラム国」の表記について、少しだけ書いておきます。
 このエントリでは試しにISと表記してみました。その第一の理由は、ISと書くのが一番タイプ量が少なくて楽だからです。また、一部のイスラーム系団体や国が、「イスラム国」という日本語呼称を避けるようメディア各局などに求めており、実際、日本政府や一部メディアが呼称を変更していることもある程度考慮しました。
 この日本における呼び名の変更について、池内恵さんは「バカバカしい、ことの本質ではない」といった内容のブログを書かれています。また、これはおそらくなので、違っていたら申し訳ないのですが、表面的には真逆の立場のように思われているハサン中田考先生も、同じような感想を抱いているのではないかと思います。わたし自身も、筋としてはその通りだと思っています。この二人は、最終的な主張については全然違いますが、物凄く頭が良くて筋を通し、ことの本質を見極められる人たちだということでは共通しています(そしてイスラームについて語っていることでも、どちらにも真理があると思います)。
 ただ、世の中のほとんどの人は筋など理解しないし、多分これから先理解することもないだろうし、そういう世の中で生きていくしかないし、ここで生きていてISのとばっちりを食っているムスリムたちがいるのも事実です。そしてわたし自身は、筋を通すだけの度胸も能力もありません。
 わたし個人はなぁなぁで生きているいい加減な人間ですし、呼び名を変えるのはタダなので、とりあえずここではISと言っておくことにしました。
 わたしは言葉について、真剣な人間ではありません。正確には、真剣にならないよう、日々気をつけている人間です。

関連記事:『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』常岡浩介

  1. 関連記事:『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行、氏族社会、アル・シャバーブ []