ガザの少年

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 昨日のアル=ハヤート紙のトップにあった写真。

 アラブのメディアは凄惨な写真でも割と普通に掲載するが、この写真の伝える現実は余りにも酷い。
 こんなことが同じ地上で起こっていると思うだけで胸が張り裂けそうだ。
 どうかしている。こんなことが許されるわけがない。

 アラブのメディアが過激というより、日本がとりわけ抑制・制約が強い気がする。一般に「先進国」になるほど、メディアはお上品になり、抑制を効かすようになる。そのこと自体は悪ではないし、わたしも汚いものや怖いものはできるだけ見たくない。
 しかし、そうやって「アメリカナイズ」された世界とは、単に暗渠にフタをかぶせただけのことであって、見えないところでもっと恐ろしいことを展開しているのだ。
 死と暴力が社会から隠されると、生は実感を失い、力は抑制を失う。
 世界は等質化・透明化したように見えるが、舗装道路が高い塀で覆われて、その上しか人が歩かなくなっただけなのだ。水を通さないアスファルトの上を豪雨が濁流に変え、その下で土地がやせ細っていくように、産業資本主義が作り出す秩序付けられた世界では、壁一枚隔てて「実感の沸かないほど凄惨な」暴力と貧困がエスカレートしていく。グローバリゼーションなる「一つの世界」のファンタジーとは、そういうことだ。

 肉眼で見るこの東京の風景の方が、むしろテレビの中の世界のようだ。



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