固有名詞の誘惑は、死の欲動に由来する。
何か欠片のようなもの、言語経済の外に根を張ると想定されるもの。
しかし実は、その欠片が正しく欠片として機能するのは、言語の臨界という意味で、正しくそれが言語に依拠しているからに他ならない。むしろ普通名詞という幻想こそ、意味というイマジネールなものを媒介している。
わたしたちが必要な象徴経済とは、そのほとんどを縦横無尽に意味の肉に絡めとられたものだ。
そして意味に依拠しない、象徴そのものに依拠せざるを得ないものは、その外部に由来すると想定されなければならない。
言語に少なくとも一つの盲点がなければ、意味と世界は区別が付かなくなる。