『トッド 自身を語る』エマニュエル・トッド 石崎 晴己

 本屋さんで見掛けて読んでみたエマニュエル・トッドの『トッド 自身を語る』が結構面白かったので、気になったところをメモしておきます。

4865780483 トッド 自身を語る
エマニュエル・トッド 石崎 晴己
藤原書店 2015-11-20

地域における家族的価値観

価値観というのは、地域の中で強力に働き、永続して行くが、個人のレベルではそれほど強力ではない(・・・)つまり個人個人が価値観を抱く度合いは強くないが、個人の数が多いので、システムはなかなか変わらないのだ、個人がこの価値体系から抜けだそうとしても、システム全体には何の影響も及ぼさない

獰猛な資本主義とマルクス主義

資本主義の近年の変遷は、われわれを十九世紀の資本主義へと、はるかに個人主義的で、はるかに獰猛で、生活水準の低下を伴う、あの資本主義へと連れ戻している(・・・)今日、利潤率に取り憑かれた人たち、資本の蓄積の虜となった人たちが再び姿を現しています。マスクスが考えたような人間が、再びわれわれに混じって生きているのです。そこで今や私は、ついに真剣に『資本論』を読む態勢になっています。ですから今や私は、疎外現象と経済的・心性的自己破壊の現象の分析のゆえに、マルクス主義に関心を寄せるのです。こうしたことすべてを考えるには、マルクス主義を参照しなければなりません。

自由貿易とユーロ

ヨーロッパ諸国の経済活動を組織しているゾンビ・コンセプトが二つあります。一つは自由貿易で、これは世界を、そして特に先進国を景気後退に引きずり込みます。もう一つはユードで、これは機能していません。ユーロが機能しないのは、ヨーロッパの統一性を強化するものと考えられたユーロは、極めて異なる国々を単一の通貨地域に維持していますが、実際はドイツを全能にしているからです。(・・・)要するにユーロというのは、鶏小屋の中に狐を放り込んだようなものです。

 この二つの要素を両方抱え込んでいることはできないので、少なくとも1つを諦める必要がありますが、ここでトッドが語っているのは、「ユーロを諦める」ことです。

各国がグローバリゼーションに対応するそのやり方は、超先進国と新興国が相争うというものではなく、それぞれの発展水準と地理的近接性の範囲内で相争うという形をとる(・・・)例えば、中国人が人民元を極めて低い水準に抑えているのは、ヨーロッパに対抗するための政策ではなく(・・・)実はタイやヴェトナムやインドネシア、ASEANに対抗して、日本やヨーロッパやアメリカの産業拠点の外国移転を迎え入れる競争に勝つため(・・・)グローバリゼーションの全世界的メカニズムは、同質的な発展水準の空間や地域をばらばらに分裂させることになる

なぜユーロ脱退は抵抗を受けるのか

通過というのは、神秘の宿る所なのです。金本位制の時代にもすでに神秘でした。(・・・)何の担保も持たない通過(・・・)という段階に至って、通貨は、万人を恐怖に陥れる世界全体を覆うような神秘となったのですが、これはなかなか理解できません。人々は、自分の銀行口座に書かれた数字が蒸発してしまうという恐怖の中で暮らしています。人々は、強くて安定した通貨のみが何らかの価値を持つと考え、平価の切り下げが必要なこともあるということを理解しません。

 その結果、例えばフランスでの世論調査を見ると、人々は自由貿易に批判的で、80%もの人が保護主義に賛成している一方、ユーロ脱退には大きな抵抗があります。

現段階で、ユーロからの脱却は極めて可能です。保護主義に移らないのなら、ユーロからの脱却が妥当な手ということになるでしょう。(・・・)もちろんギリシアがユーロから抜けるなら、一年間は極めて厳しい状態が続くでしょう。(・・・)しかし、ひとたび外科手術が実行に移されるなら、本当に存在しているのは通貨ではなく、ギリシアなのだ、ということに気づくでしょう。ギリシア人が存在しているのです。(・・・)要するに、ユーロから抜け出たら、一年は極めて厳しいことになるでしょうが、それ以降は、為替レートが極めて有利なものになり、その恩恵を受けて、彼らは再び生き始めるでしょう。

 しかし実際には、ユーロの終わりを多くの人が恐れています。ギリシア人もフランス人も。そしてもちろん、とりわけドイツ人が恐れています。

ユーロが爆発したら、ドイツは、強すぎるマルクを抱えて、万事休すとなってしまいます。ですからユーロの問題というのは、貨幣の神話化の頂点なのです。全く異様な不合理性そのものに他なりません。

アラブの春について

イスラム諸国で革命を起こしたのはどんな勢力か、と言うと、自由主義者、自由を要求する者たちが、さまざまな動機や勢力が組み合わさったデモを行い、その結果、普通選挙を獲得しました。(・・・)そこで、かなり統合的なイスラム政党がイスラム主義を支配的傾向とする多数派として浮上すると、それを理由に、彼ら自由主義者たちはまんまと騙されて利用されたのだという気がすることにもなるわけです。
しかし普通選挙が普及した1900年頃のヨーロッパにも、同じことが起きたのです。普通選挙は、自由主義者によって、つまりブルジョワ的、エリート主義的、等々の自由主義の形でものを考える人々によって推進されたのですが、オーストリア、ベルギー、オランダ南部、ドイツのカトリック部分全体では、キリスト教民主主義が、大幅な多数を獲得し、超支配的となり、要するにセイジの舞台を横領したわけです。(・・・)
ですから、人々が機体を裏切られたと感じるのは分かりますが、ヨーロッパの観点からして本当に重要なのは、忍耐強く見守るということです。

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