『アラブ革命はなぜ起きたか』エマニュエル・トッド

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4894348209 アラブ革命はなぜ起きたか―デモグラフィーとデモクラシー
エマニュエル・トッド 石崎晴己
藤原書店 2011-09-16

 エマニュエル・トッドのアラブ革命についてのインタビューをまとめたもの。
 刺激的でサクサク読める本ですが、トッドの以前からの読者にとっては、それほど新しい内容はありません。特に『文明の接近』を読んでいれば、ほとんどの内容は既知の筈で、ただ本当にトッドの言った通りになった、ということは確認できます(この辺の「予言」ぶりについては、トッドはちょっと誤解されているように感じますが)。時事的なコンテンツであること、インタビューという形式からして、新書で出ていればもっと良かったと思います。
 良く言えば取っ付きやすく、悪い言えばやや「軽い」。ただ、面白い本であるのは確かですし、トッドを初めて読む人にも薦められます。
 良かったのが、巻末についている訳者の石崎晴己氏による「トッド人類学入門」。おなじみの理論をまとめたものなので、トッド読者にとって新しみはありませんが、簡潔にわかりやすくまとまっていて便利です。トッドを初めて読む人にとっても、良いガイドとなるでしょう。

 トッドが面白いのは、彼が基づくのが人口統計学と識字率、家族形態であり、こうした社会分析で重要な位置を占める経済についてほとんど考慮していないことです(宗教も考慮しませんが)。これが実に明瞭で、かつ説得力があります。

今日の世界は、経済という強迫観念に取り憑かれた世界で、経済がすべてを為すと考える、裏返しのマルクス主義者たちの世界です(私が念頭におくのは、ネオ・リベラリストのことで、彼らは基本的に裏返しのマルクス主義者であって、しかもマルクス主義者より頭が良いわけではありません)。

 彼が用いるパラメータは、識字率、出生率であり、経済的な指標はほとんど話題にものぼりません。
 ただ、当のインタビューでも指摘されている通り、すんなり解釈できないと家族形態の特殊性や外部勢力の介入などの「特例」が持ちだされるので、ややご都合主義的で周転円を重ねているきらいがないでもないですが、それでも非常にシンプルで、十分に広い射程をもった説明力があります。
 そしてお馴染みなのが、識字率が向上し(特に女性識字率!)、出生率がコントロールされるようになった移行段階おいて、社会的動乱期が経験される、というセオリーです。

出生率をコントロールする社会とは、男と女の関係が変容した社会です。そしてこの出生率低下は、若者が読み書きを覚えた社会に起こります。そこで、息子は文字が読めるけれど父親は読めない、そういう瞬間がやって来ます。それは権威関係の破綻を引き起こします。しかも家族の中だけでなく、暗に社会全体のレベルでそうなるのです。(強調は引用者による)

 
 以下、特に気になったところをメモしておきます。
 
 イラン革命にかけられた「ブレーキ」について。

(イラン革命に肯定的である点を指摘されて)
私はホメイニ主義が暴力的で不寛容なことを全く否定しません。しかし彼らが、たしかに完璧なものではないにしても、それでも選挙手続きを早々と実施に移したその熱意、それにシーア派教義の本質を考慮するなら、彼らはもっと早く進んでいたはずだと思います。イラン革命が大国から酷い扱いを受けたことが、ブレーキ効果を産み出したのです。

 
 個人的に最大の関心対象であるエジプトの、アラブにおける特殊性について。

逆に、私が確信しているのは、エジプトにおける内婚の変遷は非常に興味深いということです。エジプトは、典型的なアラブの国ではありません。八千万人の人口を擁し、人口と地政学の面では最も重要なアラブ国ですが、内婚というこの紛れも無い基本的変数に関しては、標準的なアラブ国ではないのです。エジプトの内婚率は、以前は二十五%で、サウディアラビアやチュニジアより十%低かったのですが、最近二十年間で激減し、十五%台の水準に落ちています。下エジプトを見ると、さらに劇的です。私は地球全体の様々な時代の内婚率を調べたことがありますが、その私から見ても、それは驚くべき文化的変遷です。この理由から、エジプトで何が起ころうと、エジプトの社会は、呆気にとられるような仕方で変貌しつつあると言えます。

 
 サウジアラビアやリビアといった、レンティア国家における改革の困難について。

サウディアラビアの識字化と出生率の指標の変遷を取り上げてみるなら、大部分のアラブ諸国のそれとそれほど変わらない変遷がたどれます。出生率は今では三のやや上のはずです。同様にリビアは2.7のはずです。ですから底は抜けたわけで、識字化の水準もモデルと合致しています。しかし石油収入の国では、国家は歳入を住民に依存していません。つまり金は税金として上がってくるのではないのです。ところが革命というのは大部分が、しばしば納税拒否から始まるのです。一般的に、石油収入タイプの収入がない社会では、国家は生き残りのために、極めて住民に依存しています。石油収入の国では、金は人々の頭上を越えてやって来るので、住民とは無関係に、兵器でも傭兵でも何でも好きなものを好きなだけ買うことができます。そして全く住民の手の届かない抑圧機関を編成することができるのです。

 
 いよいよイスラームに多少関わることですが、クルアーンの適用に関するユーモアある指摘。

遺産相続の規則という点で、マホメットが加えた革新は、女性に権利を与え、男の兄弟の取り分の半分を女性に与えるというものでした。それは従来の父系的システムとは矛盾することでした。そしてこのアイデアは完全に挫折しました。イスラーム教は普及しましたが、アラブ国全域、そして場合によってはさらに外側の、中東のムスリムの村落共同体を研究してみるなら、コーランの遺産相続規則は適用されていないのです。ですから、フランスでコーランと共和国は両立しないなどと興奮してわめき散らしているのは、まさに噴飯ものなのです。なにしろコーランはアラブ諸国で、フランスなら民法典に関わるような事項に関して尊重されていないのですから。

 
 最後に、個人的にハッとしたイスラームに関する箇所について、少し触れておきます。
 イスラームといっても、本文では特に「イスラーム」とは言われていません。それをイスラームに関するヒントとして読むのは、わたしの解釈です。
 本文中で、内婚、いとこ婚についてトッドが肯定的な言及の仕方をし、インタビュアーに執拗に掘り下げられる箇所があります。トッドはいとこ婚を「温かい」と形容するのですが、その理由は、権威主義的な社会構造の中で、家長にとって既に姪という社会的ポジションを持った者が、嫁として迎えられることにあります。そうではない場合、女性は全く見ず知らずの家族の中に突然一人で放り込まれ、しかもこの家族は、この場合権威主義的な父権家族です。女性は子供を二三人産んで、特に男の子をもうけた後、やっと家族内の権力を得て、今度は息子の嫁いびりに備える、という訳です。それに比べれば、既に家族構造の中で一定の地位をもった者として嫁ぐというのは、「温かい」「何かしら保護的なものがある」と言っているのです。
 ロシアや中国のシステムが、絶対的に権威主義的であるのに対し、伝統的なアラブ家族のシステムでは、原則は父権的であるものの、「家長の権威は見せかけの虚構」となります。

システムそれ自体は非常に権威主義的ですが、理念的なモデルにおいては、男性は女性平行いとこに対して権利があり、父親が娘を他の男と結婚させようとすると、甥の損害を賠償するために、甥と高尚しなければならなかったのです。(・・・)それは極めて自動制御的なシステムで、権威は極めて強いけれど、いかなる人格にも属していないわけです。

 この流れの中で、トッドは次のように語っています。

私のモデルにおいては、私はつねに、父親のイメージと神のイメージとの関係を打ち立てて来ました。基本的に権威主義的な家族システムは、基本的に権威主義的で憎むべき父なる神というイメージを産み出すことになります。そしてそれが、共産主義革命の強烈な無神論的側面を産み出したのです。しかし、アラブ・システムでは父親は偽の権威ですから、実はそれほど束縛的でなく、むしろ感じのよい、抽象的な、極めて抽象的な、そうした慈悲深い神の姿を見ることになるのです。

 この最後の描写が、わたしにとってのイスラームと非常に通じるものがあったのが気になりました。
 おことわりしておきますが、こうした「文化的な還元」は非常にリスキーなものです。第一に、スリリングで説得力があるように見えても、実は大雑把で仔細を説明できない場合が多いこと、第二に、そもそもわたしたち信仰者にとっては(敢えて「わたしたち」と言いますが)、信仰を文化に還元するような態度であってはならないからです。もっと言えば、当人に信仰があろうがなかろうが、それこそが信仰の理解を阻む第一歩であり、この世界に蔓延している蒙昧です。
 ですから、わたしとしては、徹底的に文化をブチのめす方向で常に考えているのですが、そうしたリスクを分かってなお、この神のイメージは興味深く、個人的にも共感できるものがあります。そして、多くの非ムスリム、特に日本の人々が、イスラームについて今ひとつ理解できないでいるポイントを、絶妙に示しています。
 ほとんどの非ムスリム日本人は、イスラームというと、戒律が厳しくて大変、のようなイメージを抱きます。これに対し、一部の日本人ムスリムや地域研究者などが、「そんなことはない、イスラームはとても優しいよ」みたなことを語ったりするのですが、この両者の間でどうにも折り合いがつかない、というのが実情でしょう。表面的に見れば矛盾している訳ですから、当然です。
 その食い違って見えることが、奥の方でスルッとつながって交通している、そこがイスラームの不思議で面白いところの一つなのですが、ある程度関わり合いにならなければ、そんな内奥まで分かるわけもありません。
 この「奥の方でスルッ」な感じが、トッドの語りでちょっとだけほの見えるのではないか、と思うのです。
 トッドはもちろんムスリムではないし、それどころか「全く何も信仰しない世俗主義者」と断言している訳ですが、割と本質の一面は垣間見ているように感じます。ただ彼は、内側から信仰を理解するという点について、まったく考えていないでしょうし、そもそも興味もないのでしょうけれど。

 繰り返しますが、「文化的還元」は基本的に厳に慎むべきであり、なおかつこの連想は相当に個人的なバイアスのかかったものです。
 
 トッドと言えば『帝国以後』ですが、この『アラブ革命はなぜ起きたか』がトッド初体験で、これで興味を持ったようなら、次は『文明の接近』を読む方が楽しめるでしょう。



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