羊動画に現在第九話まで日本語字幕をつけてアップしているクルアーン動物物語ですが(仕事遅くてすいません)、これを批判している動画がありました。前に面白い青年の回を取り上げた、例のイシーリーさんの番組です。
彼女は薬学部の学生で、雰囲気や話し方からして、教育ある普通のエジプト人ムスリマですが、所謂「過激派」ではありません(そんな環境だったら、そもそも女性がテレビに出ることを家族が許すわけがない)。
彼女の主張は、このアニメはクルアーンに忠実ではなく、子供に見せたり、クルアーンを知らない非ムスリムが見ると誤解を招く恐れがある、ということです(例として、ユースフ様と狼の回で、クルアーンでは狼のことなんてこんな風に全然描かれてないじゃないか、と言っています)。
クルアーンにおける記述は極めて断片的なので、それだけでは到底アニメ作品にもドラマにもなりません。ですから、アニメには大いに脚色やオリジナルストーリーが入っていますし、そうでなければ成り立たないでしょう。そのことは彼女も分かっていて、そういうアニメを作るのは良い、ただそれに「クルアーン」の名を冠するのは良くない、と言っているのです。
この意見を取り上げたのは、彼女の言うことにも一理あり、かついかにも一部のムスリムが言いそうな主張だったからです。こういう人がいるのはよく知っているし、気持ちも分かります。
個人的には、こうした形でクルアーンに親しむきっかけが出来るのは歓迎すべきことだと思っているし、だからこそ日本語字幕をつけているのですが、一方で脚色や歪曲に対して反発するのは分からいないではないし、誤解を招く可能性というのも否定はし切れません。
また、こうして「絵」にしたり、役者が演じること自体に対する反発というも、かなり広範囲で見られます。前にイラン発の預言者ユースフ様を主人公にしたドラマがエジプトに入ってきた時も、喧々諤々の議論になったそうです1。アニメ作品中でも、預言者たちは姿も声も一切描かれません。また、番組の最後に声優たち(ほとんどエジプトの俳優)がアフレコしている場面がオマケでついてくるのですが、おそらくこれは「絵が動くんじゃないよ、所詮人が吹き替えてるんだよ」というアピールとして入れられたものと思われます。
何が言いたいかというと、このアニメ作品について、おそらく非ムスリム的に批判したい向きもあるかと思うのですが、同時にムスリムたちの中にも様々な意見がある、ということです。日本における天皇制の話題同様、حساس sensitiveな話なのです。ほとんどの大衆は、実際のところアニメやらドラマ一つで特段の悪影響など受けない、という点も、天皇制の話題と一緒です。
ほとんどの人々は、ドラマやアニメが「偶像」にあたるとまでは考えていませんが、確かにイメージを限局してしまう作用はあるし、また一度許してしまうと際限なくなり、最後にはイスラームに対する侮辱的内容まで許容してしまうのではないか、という恐れがあるわけです。こういうものを、予め予防線を張って防ぐことをسد الذرائع(言い訳封じ)とか言います。当然、「念のため」の方も暴走すると「あれもダメ、これもダメ」で身動き取れなくなりますから、一定の法学的判断に基づいて予防線が張られます。
動画の彼女のような人が出てくることは、ほとんどの人々にとっては全く想定内で、むしろ誰か一人くらいそうやって喚いているヤツがいないと不安になるくらいだと思います。だからといって、これが最大公約数的な意見という訳ではありません。
こうした件とは別に、個人的にも、このアニメについて「これはちょっとどうなの」と感じることもあります。ユーヌス様の回で、鯨が恐竜の末裔のように描かれているのは実に釈然としません。進化論というのも、これまたحساسな話題ですが、こんな間をとった挙句どういう方面から見ても筋の通らないような話にしないでもいいでしょう。民間伝承でこういう考え方があるのでしょうか。
またどうでもいいことですが、動物物語と銘打ちながら、ムーサー様の回の主人公が杖というのも笑えます。杖、動物ですか・・。また、安息日の民の回は、最後に猿が出てきますが、主人公は動物ではないし、動物物語的要素はほとんどありません。まぁ、この辺は可愛いツッコミ所というだけなので、別段問題でも何でもありませんが。
- ちなみに、その後フサイン様を主人公にしたドラマが作られ、これも批判の対象になったのだけれど、これはドラマ自体が面白くなく、宗教云々以前に誰も見なかった、というオチがあります(笑) [↩]