音読すべき聖典、カルトと識字能力

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 多くの宗教で、聖典というのは詠唱されるものだ。マイケル・クックも「自分の正典的テクストを詠唱しないプロテスタントのキリスト教徒の方が、風変りなのだと考えるべきであろう」と言っている1。クルアーンは文字通り「詠むもの」だ。
 これは単に音読するというだけでなく、そもそもは文字が読めない人が、節をつけて暗記するよう構成されていた、ということだ。これについては別エントリでまた触れようと思っているが、文字を読めないことを前提に紡がれたテクスト(?)は、文字として書かれるテクストとは根本から異なる。わからなくなった時に、戻って読み返すこともできないのだ。何よりもまず、暗記のし易さが優先される。その結果、現代的な視点から見ると冗長で反復が多く、大げさな文章になるわけだが、これが音読してみると実に心地よく、素直に頭に入ってきたりする。
 識字能力が一般化する以前のテクストとして、中心にあったのが宗教的聖典だ。ほとんどの聖典は、音読はもとより、文字なしで暗記することを前提にされている。
 クルアーンは翻訳を許されないが、お経だってサンスクリット語のまま音読される。キリスト教の聖典が特異な位置にある、と考えるべきだろう。どんどん翻訳されて、元の音を喪失しても「意味」が伝えられる、というのは、聖典としては奇妙な扱いだ。
 そんなキリスト教徒でも、教会学校では音声で学ぶし、やはり音で学ぶことが長い間中心にあったはずだ。識字能力が一般化する前なら、そもそもそれ以外に方法がない。
 音として暗記することを前提にしたテクストは、音声的に美しく覚え易いが、文字に起こして仔細に眺めていくと、矛盾する箇所や大げさすぎる部分がある。音として詠唱して「あぁ神様は素晴らしいなぁ、善行に励まなければならないなぁ」という気持ちになるためのものだったのだから、そういう細かいところは最重要課題ではなかったのだ。
 もちろん、古代から字の読める人はいて、聖典は文字に起こされ、多いに研究された。そうした知識人の中には「ここちょっと変なんちゃう」と感じる者もいただろう。
 しかし、識字能力が「特別な力」であった時代、彼らの教育は顔の見える狭いコミュニティで行われ、そこでは音声的なものが支配的だった。音声というのは、必ず発している「相手」がいる。音声コミュニティで識字能力を学び聖典にあたるということは、その「世間」の解釈にそうそう歯向かうことができない、ということだ。だから、いくら字が読めても、突飛で極端な「独自の解釈」を立てて暴走する者はあまり現れなかった。

 いわゆる「カルト宗教」というものが出現したのは、識字能力の一般化以降だろう。それ以前にも「異端」と呼ばれる宗派はあったが、今日的な意味での「カルト宗教」と同列に並べられるかというと、違うと思う。
 字が読める人間が沢山いるということは、聖典を独自に読む、つまり宗教コミュニティの外にいながらアクセスする者が現れる、ということだ。文字として仔細に眺めれば、音声的本義から外れる内容も含まれるのが聖典だ。おそらく、こうした環境の中から、極端なカルト的宗派が生まれてきたのだろう。

 いっそ聖典は音声のみとし、文字化された聖典は限られた人々にしか見せない方が良いのではないか、と思いもするが、デメリットの方が大きいだろうし、すぐに文字に起こす人が現れることは想像に難くない。
 「原理主義」の本場アメリカキリスト教は、そうした環境の中から根本派を生んでしまったのだろうし、カルト的なものの創始者が、往々にして宗教コミュニティの外部出身であることも偶然ではないだろう。宗教的ではない環境に育った者が、ある時宗教的関心を抱き、一足飛びに顔と音声を欠いた聖典にあたる時、カルト的逸脱の萌芽が入り込む。
 9/11実行犯の顔ぶれを眺めていると、多くの者が知識人であり、かつあまり宗教的ではない環境に育っている。それが留学などで孤独感や差別を味わい、アイデンティティの危機に直面した時、カルト的思想の誘惑に負けてしまうのだ。

 文字が読めることは素晴らしい。また、聖典が文字として保存され、多くの人々にアクセス可能である状況も、基本的に肯定的に捉えるべきだと思う。
 しかし、聖典には聖典の使い方がある。あらゆるテクストには、本来「それ用」の使用法があったはずだ。
 文字となり透明な情報となったテクストは、時に危険を孕む。
 テクストは、今日わたしたちが活用しているような形態、本やwebが登場するよりはるか以前より存在し、様々な状況で、その状況を前提として紡がれてきたのだ。それを今日的「読み」の元に水平化しては、単に誤読というだけでなく、「誤用」とでも言うべき隘路にはまり込むこともある。
 そしてある種のテクストは、単に「味わう」ためでなく、何としても声に出して読み、できれば暗記しなければならない。

  1. 『コーラン』マイケル・クック []