虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) 伊藤 計劃 早川書房 2007-06 |
普段ほとんどフィクショナルなものを読まなくなり、SFからも遠ざかっていたのですが、近しい人に勧められて読みました。故伊藤計劃氏の『虐殺器官』。
サラエボが手製の核爆弾によって破壊された後の近未来。先進資本主義諸国は個人情報認証による厳格な管理体制を構築、社会からテロを一掃するが、いっぽう後進諸国では内戦や民族虐殺が凄まじい勢いで増加していた。その背後でつねに囁かれる謎の米国人ジョン・ポールの存在。アメリカ情報軍・特殊検索群i分遣隊のクラヴィス・シェパード大尉は、チェコ、インド、アフリカの地に、その影を追うが…。はたしてジョン・ポールの目的とは?そして大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは?
雰囲気としては押井守の映画のようで、実際当人はファンだったそうですが、SFファンでなくても十分に楽しめました。ややチープな面はあるものの、わたしたちが住む現実の世界が抉出されていると言えるでしょう。「ネタバレ」してしまうともったないないタイプの作品なので、詳細については敢えて触れないでおきます。ただ、ここで描かれている虐殺の「機能」については、現実と何ら変わりがないものでしょう。
いくつか、心に残ったフレーズを引用しておきます。
「アメリカ人がそう意識しているかどうかにかかわらず、現代アメリカの軍事行動は啓蒙的な戦争なのです。それは、人道と利他行為を行動原理に置いた、ある意味献身的とも言える戦争です。もっとも、これはアメリカに限ったことではなく、現代の先進国が行う軍事的介入は、多かれ少なかれ啓蒙的であらざるを得ませんがね」
「それは誉めてもらっているんでしょうかね」
「いいえ」ルーシャスは正直に言った。「いいとか悪いとか、そういった価値判断は、いまの話の中にはありません。啓蒙それ自体は、誰かの側からの独善的な啓蒙でしかないのですから」
CEEP、という言葉がある。幼年兵遭遇交戦可能性(チャイルド・エネミー・エンカウント・ポシビリティ)。
そのままだ。初潮も来ていない女の子と撃ち合いになる可能性だ。
その子の頭を、肋骨の浮き出た満足に乳房もない胸を、小銃弾でずたずたにしなければならない可能性だ。トーレサビリティ、エンカウンタビリティ。サーチャビリティ。ビリティ。ビリティ。ポシビリティ。世界にはむかつく可能性(ポシビリティ)が多すぎる。そして実際、その言葉が使われた場合の可能性は百パーであって、そこではもはや「ビリティ」の意味など消失している。ビリティは詐欺師の言葉だ。ビリティは道化師の言葉だ。
「ビリティ」は蓋然的にしか物事を語れなくなった時に、それでも何がしかの因果めいた確言を紡ごうと、もがいている人間が口走るものです。その背後にあるのは、あらゆるものにエヴィデンスが張り付き、「確実めいたもの」だけが流通する世界です。
わからないことが、そんなに恐ろしいのか。本当のところ、未来についてわたしたちが何を知っているのか。わからないことで破綻する世界の方が、どうかしているのではないか。
「ビリティ」は要らない。神様と愛があれば、あなたの言葉が嘘になっても構わない。