『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』ニコラス・ハンフリー

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4314009683喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
Nicholas Humphrey 垂水 雄二
紀伊國屋書店 2004-10

 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』。この本を手に取ったのは、山形浩生さんが絶賛していたからです。そうでなければ、まず読まなかったでしょう。
 というのも、まったくの個人的偏見ですが、「進化心理学」なるキーワードのある本を避けているのです。これにも一応理由があって、以前読んだ『人が人を殺すとき―進化でその謎をとく』という進化心理学の本がさっぱり面白くなかったからです。
 面白くない本は沢山あります。
 しかし、わたしにとっての「進化心理学」のつまらなさは、ちょっと独特です。
 まず、『喪失と獲得』『人が人を殺すとき』、どちらをとっても、書評や概要を見る限り、非常に面白そうです。極私的ツボにヒットしそうな匂いがします。
 読んでみると、支離滅裂なことが書いてあるわけではなく、当たり障りのない正論が並べてあるわけでもなく、それなりに刺激的な要素はある。素人についていけない程難解なわけでも、退屈するほど大衆向けなわけでもない。それなのに、「で、なに?」という印象しか持てないのです。もう、読み進めるのが辛くて仕方がないくらいに、一体何が面白くてこんなに真面目に「面白そうなこと」を書いているのかわからないくらい、つまらない。
 しかも、ある種の人が読んだらとても面白い本だろう、というのはヒシヒシと伝わってくるのです。どちらの本も評価が高いし、興奮して読んでいる人の顔が浮かびそうなくらい、ヒットする層には堪らないでしょう。そしてその「ヒット具合」が理解を越えているわけでもない。なんとなくわかる。でもわたしにはものすごくつまらない。
 一体どうしてこんな印象を抱いてしまうのかよくわからないのですが、長々と本題と関係ないことを書いておいて、一言で感想を言ってしまえば、この本もつまらなかったです(笑)。山形さん、ごめんなさい。
 繰り返しますが、ある種の人にはとても面白いだろう、ということは十分感じるのです。でもつまらない。悲しいです。

 それでも、何か所か個人的にヒットする部分はあって、気になるところだけちょっと取り上げてみます。

 なぜ人々は他の人間を嫌うのか。私たちは自分に害をなしたあるいはなすかもしれない他人を嫌うからというのが明らかな答えだと、あなたは思うかもしれない。しかし、驚くほど異なった答えが名乗り出てくる。私たちは、他の人々を、彼らが何かしたからではなく、私たちが彼らに何をしたかのゆえに嫌う傾向がある。言い換えると、敵意や嫌悪は自己充足的なのである。(…)
 もし私がほかの誰かを傷つければ、その人に対してやさしくする気持ちになるだろうと、あなたは考えるかもしれない。しかし研究、とりわけ子供についての研究は、まるっきり逆のことを示している。ほかの人間を傷つけた子供は、たとえ事故であった場合でさえ、犠牲者の悪いところを考え、要するに、その子がそういう報いを受けるのは当然なのだという理由を考え出す。そして大人は一般にもっと手の込んだ感情をもつが、同じことがいえる。
 (…)私たちはそれを、ヴェトナムにおいて、戦慄をもって見た。そこでは、アメリカ軍兵士がますます多くの農民を殺し、障害者をつくりだすにつれて、彼らに対するますます大きな嫌悪を募らせていったのだ。

 これは非常に興味深い指摘ですし、スケールの小さいものなら、誰にでも少しは心当たりがあるのではないでしょうか。わたしたちは、人を害してしまった時、自分自身を正当化するように相手の問題点を見つけ出し、しかもしばしば、自らが合理化のような行動を取ってしまっていることに気付かないのです。悪いことに、与える「害」が大きければ大きいほど、わたしたちは盲目になる傾向があります。
 一方で、これに続いて指摘されているのは、より一層興味深い現象です。

 しかし、(…)この「おこなうことによって学ぶ」に対するもう一つの側面がある。心理学者が発見したことは、ちょうど敵意が自己充足的であるのと同じように、友情も、愛もそうなりうるということである。
 (…)たとえば、学校の先生にすすめられて、病院にいる可哀相な子供のために玩具をつくった子供は、その患者が自分の助けに値すると思いはじめるのである。八十年代の半ばに、飢えるエチオピア人のために金を寄付した何百万という人々は、ほとんど確実に、彼らを人間として気づかうようになったのである。

 この下りを読んでいて連想したのは、チャック・パラニュークの『チョーク!』という小説です(パラニュークは『ファイト・クラブ』の原作者)。この物語の主人公は、レストランで食べ物を喉に詰まらせた演技をして、お金を稼ぐのです。喉に詰まらせ死にかけた彼を、居合わせた客が助けます。もちろん、予め小金を持っていそうな客を見定め、その前で「窒息」するのです。彼を助けた「命の恩人」は、その後何かにつけ、彼を気遣うようになります。そして適度な関係が出来上がったころに、「実は借金があって・・」というような話を切り出すのです。恩人は命を助けた上、お金まで与えるようになります。
 自分を助けた人ではなく、自分が助けた人を、人は愛するようになる。これは、とても納得できる面白い心理です。
 以前お友達と「男の子は沢山お金をかけた女ほど離れられなくなるらしいよ」という話をしたことがあるのですが(笑)、これも同じ原理のように思います。

 ですから、何であれ、とにかく与えてみるのです。理由はありません。まず、与える。
 なぜ与えたのか、その理由は後からやって来ます。そしてやってきた理由は、あなたの生に意味を与え、幸せにするでしょう。
 そのカラクリが、例えつまらない心理学で説明できるものだったとしても、依然としてあなたは幸せです。
 愛が「自己充足」であったとしても、敵意の自己充足よりはずっと良いですし、少なくともわたしはそれで十分満足です。