多分、どこか知らないところにでも行ったのでしょう

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

リベラリズムの終わり? : 地政学を英国で学んだ

個人の権利や私有財産権、そして自由で開放された合理的な市場の代わりに、彼らはそれに同意しない人間であれば、それは非難に値する「逆行」、つまり単に「間違っている」(wrong)だけでなく「悪」(bad)であるとして、議論をすることさえ禁止してしまったのである。

1,冷戦に「勝利」したリベラリズムの価値観だが、議論をすることも許されない雰囲気が出てきた。
2,ところがこの価値観を受け付けない人間がいることに欧米のリベラルたちは気づかなかった。
3,その価値観の人気は下がったのだが、彼らはまだ古い幻想にしがみついて、かえって人気を降下させている。

 今まったく元気がないので、いつもにもましてただのメモです。
 この著者(マルージック)の感覚には共感を覚えますが、それでもまだ「理性的」に過ぎるようにも思います。もちろんそれが彼の立場なのだし、彼はあくまでリベラリズムの内側にいて、リベラリズムを立て直そうとしているのですから、当然のお話です。
 わたし自身はかなり恵まれたリベラルな環境で生まれ育ち、良くも悪くも中庸な、中道左派的な感覚を長いこと当たり前だと思っていました。今でも納得できる手順で考えていったら、おおよそそんなところにたどり着くかと思います。各論について冷静な意見を言うなら、大体そんなものです。例えばですが、ナイーヴで通俗的な右派(中道右派というよりネトウヨ的なものや極右など)の主張一つ一つを取り上げてみれば、それについて相対化し批判するよう、訓練されてきたと思います。
 これはまったくわたし個人の、例によって論理的でも何でもない物語ですが、わたしはそういう、自らの「正しさ」自体を地面に叩きつけたいのです。
 正しいのはリベラリズムですよ(違う、と言う人も沢山いらっしゃるでしょうが、わたしはそう感じます)。しかし正しいことなどもうしたくないのです。
 これはまったく、筋の通らないお話ですので、人を納得させるように語ることはできませんが、わたしはここで言う「正しさ」の枠の中で生きながら、何か根本的に「間違ったもの」が自分の中にあるのを感じています。そして、その「間違ったもの」を間違ったまま、ただただ示す、ただただ肯定する、そういう暴力を働かなければ、わたし自身が「正しさ」によって殺される、正しい死体になってしまう、と切実に感じているのです。
 もちろん「間違ったもの」が世の中を良くしてわたしたちを救ってくれる、などということはないでしょう。何せそれは間違っているのですから。
 しかし今間違えなければ、「正しさ」はわたしやわたしに似た人間だけを囲い込み、ハリボテの人形に仕立て上げて、彼らだけが生き延びる結果になるのでしょう。
 わたしは単に、こうした世界が「気に食わない」ので、「迷惑をかけてやろう」としています。そこには何の建設的なヴィジョンもありません。正しく細かく具体的に考えようとした途端、わたしはリベラリズムの罠に嵌ってしまうのです。
 仔細に落ち着いて順序立てて思考してもリベラリズムを否定できる人はそれで良いでしょう(もちろん、リベラリズムにとっては悪いですが)。しかしわたしにはそれができません。こういう風に育ってしまった以上、正しいことではこの牢獄から抜け出せないのです。
 ですから、わたしの言っていることは支離滅裂で、極少数のわたしに似た人以外には嘲笑の的になるだけでしょうが、その笑っている理性的人物のところに走っていって、スコップの先をアバラとアバラの間に突き刺してやりたいのです。他は特に、やりたいことはありません。
 こういうのをヤケクソというのかもしれませんが、わたしはここで湧き上がる感情に対して、筋道立ててリベラリズムを肯定するのと丁度似たような感じで、自然に納得させられています。この衝動はわたしの総べてではないし、ある種典型的にリベラルな部分と同様にわたし自身を構成する一要素に過ぎないのかもしれませんが、必要欠くべからざる要素であって、あらゆる「正しさ」もまた、この間違った衝動の果てに結実しているように、直観しています。
 だからわたしは自らの理性を殺して、泣きながらでも、今ここでわたしを突き動かすものの、本当の顔を間近で見てみたいのです。
 近づいて見ればそれは平凡で醜悪な顔なのかもしれませんが、あまりにその顔を想いすぎて、踏まれて踏まれてボロボロになったそれを両手で覆って抱きしめたくて仕方がないのです。
 今この瞬間にも、善人たちがわたしを笑っているでしょう。ならば勝手に一人で死ね、と。戦争でもしたいならシリアあたりに行ってくれば、という調子で。
 それは少なくとも一理くらいはある意見なのかもしれませんが、わたしにはもう一理もないので、どうせやるならここで戦争をしますよ。別にやりたいのは戦争でも人殺しでもないですし、そんな「建設的」なことに興味はないですが。
 暴走族が暴走することに何の意味がありますか。ありませんよ。ガソリンの無駄です。迷惑かけに来てるんです。
 ぐるっと回って帰ってくるだけで、どこにも行けません。そして時々、帰ってすら来られません。
 多分、どこか知らないところにでも行ったのでしょう。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする