「ブレードランナー2049」

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 「ブレードランナー2049」を観てきました。
 ネタバレを含みますし、ただの無邪気な感想しか書きませんので、未見の方は読まない方が良いです。

 言うまでもなく、無印の「ブレードランナー」はあのキラキラゴテゴテした無国籍的近未来都市像を確立した記念碑的作品な訳ですが、ディックの原作が好きだったわたしとしては、「こんなキラキラしてないのになぁ」という思いがあったのです。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 原作のイメージですと、時代が時代というのもありますが、もっと乾燥した隙間の多い郊外的な印象で、「ブレードランナー」のような過剰な密度と淀んだ生気に溢れる感じとは違うのですね。勿論「ブレードランナー」は「ブレードランナー」で素晴らしい作品なのですが、あの寂しく儚げな感じに対する愛惜も捨てがたかったのです。
 「ブレードランナー2049」は「ブレードランナー」の世界観の延長線上にある作品ですから、当然あのギトギト都市の風景はあるのですが、全体として見ると少し原作寄りになった印象があります。都市風景も無印「ブレードランナー」に比べると多少抑えめになった感じ。やはりあのキラキラ感があまりに定番になってしまい食傷気味で、また時代も下って直線的に繁栄を極めていく歴史イメージが解体されてきたこともあり、敢えて外しにいったのでしょう。
 それが一番はっきり出ているのが冒頭シーン。まず目のアップ、それから太陽光発電設備が延々と続く俯瞰映像になり、地平線まで広がる農場へと移っていきます。一作目のいかにも80年代風なペタッとした色彩とは対照的なモノトーンの風景で、なおかつ現実世界の僅かに先を行く非現実感。一気に引き込まれました。
 そしてKがこの農場を営むレプリカントのサッパー・モートンを尋ねる場面。木の床を踏みしめるサッパーの足取り、足音が金属のように重厚で、人間ではないことが暗示されます(ってここまでバレバレなのに虹彩見ないとわからんのかいッというツッコミはおいときます)。
 この場面で示されるのは、一作目同様主人公がレプリカントを狩るブレードランナーであること、そして一作目とは反対に、狩っているK自身レプリカントであることを最初から自覚している、ということです。つまり、自分は人間だと思っていたら実はレプリカントだった、という自己同一性への問いを主軸とする一作目とは異なり、レプリカントだと思っていたら実は人間でした、という展開を見せるのか、と予想できます。
 事実、物語はそのような構造を展開していきます。Kは人間ではないですが、レプリカントの産んだ最初の子、作られたのではなく産まれた存在かもしれない、デッカードとレイチェルの息子かもしれない、ということが示されていくのです。
 わたし個人はひねくれた嫌な観客ですので、このまま「僕は選ばれた子だった!」とはならないだろう、と思いました。何故なら「僕は選ばれた子だった!」という神話構造は古典的な雛形であり、「ブレードランナー」はそれを反転させることで自己の背負った意味と歴史性を解体・再発見する物語であったのに、それを再反転させてはただのベタな神話的焼き直しになってしまうからです。
 Kは人工記憶だと思っていた木馬のエピソードが事実であることを知りますが、観客はここで、「事実なのは間違いないにしても、それは本当にK自身の記憶なのか、別の人間にとっての事実を移植されているのでは」と疑いを差し挟むでしょう。実際、その「事実」はKの「事実」ではなかったことが明らかにされていきます。奇しくも、彼が「選ばれた子」でなかったことがはっきりするのは、虐げられたレプリカントたちが集結し革命を語る、少年漫画的な場面です。ターミネーターじゃないんだから、と言いたくなるようなコテコテの場面で、Kだけが逆に物語から脱落し、再び「何でもない者」に落とされます。Kはラケルの子ベニヤミンではありませんでした。
 その「何でもない者」が手二本足二本の弱き存在として決断するのがブレードランナーの世界観です。Kは決断し、レプリカントらの意志に逆らってデッカードを救い、本当の「選ばれた子」に引き合わせることを決めます。
 ちなみにこのデッカードの登場シーンも実にシビれますね。別主人公で作成された続編に、元祖主人公が登場するシーンというのは何でも盛り上がるものです。Ζガンダムで海辺で転がってるアムロが映る場面みたいなものです。そしてデッカードは、アムロと違って骨太の強いオッサンのまま生き延びています。
 デッカードが暮らしている放射能汚染された都市の風景には、どことなく原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」的な寂寥感があります。ブレードランナーの世界観と連続的な大都市でありながら、ただの打ち捨てられた都市という手垢のついたイメージも外し、清潔でモノトーンな廃都市の光景が演出されています。そこで共に暮らす犬について「本物か」と尋ねられ「さあね、聞いてみな」と答えるデッカード節もたまりません。
 そしてラストシーン。圧巻だったのが、Kが雪の階段の上に横たわる横からの映像。この絵が本当に本当に美しかった!
 そのあとカメラは上方に移り俯瞰となり、それからデッカードと「娘」の対面の短いシーンが入って終わるのですが、あの横からのショットでバツン、と切ったら真の名作だったでしょう。
 勿論映画全体のバランスとしては、俯瞰を入れて終了を暗示し、再会シーンでオチをつける、というのはお約束だとわかっています。それを認めて尚、あの横からのショットの美しさが圧倒しています。俯瞰から天使に引き上げられる存在ともならず、ただ地面に這いつくばる惨めな一人の男として降る雪に沈んでいくK。そんなイメージで終わって欲しかった、と思うのはわたしだけでしょうか。

 他に細かいことですが、一緒に見に行った人曰く「二次元嫁の話は余計」。まぁわたしも同感ではありますが、あれなしだとあまりにハードボイルドにまとまってしまい、興行的にはちょっと厳しかったのかもしれません。
 それからラヴを演じるシルヴィア・フークス。彼女は顔も身体操作も最高でしたね。あの殺陣がどこまでスタントなのかわかりませんが、相当な訓練を積んで撮影に臨んだそうですし、素晴らしいアクションでした。



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