イスラム教 (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 36) 小関 俊一 武田 三省 現代書館 1986-01 |
独特のちょっと怖いイラストが印象的な現代書館のFOR BEGINNERSシリーズ。特にシリーズ一巻目の「フロイト」は、テーマがテーマなだけに素晴らしい出来栄えです。いきなり話がズレますが、最近のFOR BEGINNERSシリーズは割と普通の入門イラスト本になっていて、調べてみると2001年くらいからデザインが変わっているようです。少し残念です。
さて、「大人のための図解本」とも言えるこの現代書館のFOR BEGINNERSですが、テーマがイスラームとなると、話は変わってきます。周知の通り、イスラームにおける偶像崇拝の禁止はキリスト教等と比べて厳格で、地域や個人にもよりますが、預言者の肖像はもちろんのこと、動物のぬいぐるむすら忌避される場合もあるほどです。
そのイスラームを図解で解説しよう、というのだから、それだけでリスキーです。こうした目的でイラストを用いることが偶像崇拝に該当するというのは、キリスト教における根本派的なスタンスがイスラームに逆輸入されているようで本義に沿わないのではないか、という気もしますが、許せない人がいる、というのもまた事実。
著者は弁護士としても活躍される日本人ムスリムの安倍治夫さん。大分以前に書店でパラパラと眺め、「大乗イスラーム」という独特のイスラーム観が描かれていたのが印象に残っており、これだけ忘れないのも縁のように思え、手元に置いておくことにしました。
イスラーム概説自体は、幾多あるイスラーム入門書とそれほど変わりがないのですが、注目すべきは二点。
一つは、安倍氏による独特のクルアーン翻訳がほんの一部だけ見られること。安倍氏の『聖クルアーン〈アンマ篇〉―日・亜・英対訳』は、日本語としての韻文的リズムが重視されたユニークな翻訳で、今では古書でしか手に入らないのですが、部分的にその引用が眺められます。
もう一点は、「大乗イスラーム」という、これまた独自の視点について触れられていること。これはイスラーム概説という本書の目的に対しプラスアルファの部分であって、巻末に少しだけ見られるばかりですが、他では読むことのできない貴重なテクストです。
最初にこの本を見つけた時には、「大乗イスラーム」というキーワードだけが引っ掛かっていて、組織的?背景などは認識していなかったのですが、安倍治夫氏はシャオキ二木秀雄氏の日本イスラム教団専務理事、と奥付にあります。
日本イスラム教団とは、1970年代に一世を風靡したものらしく、その思想は、
「アッラーのほかに神はなし」「ムハンマドは預言者である」の二聖句の念誦により、何人もムスリムになり、ついでイスラームの道をゆっくりと登り詰めることによって何人も救済にあずかるという簡明平易な宗教哲学が人気を博したが、多面、戒律主義者の外国人ムスリムから反発を受けた。
と記されています。五年間で五万人の信徒を獲得、とのことですから、多少サバを読んでいるとしても相当な人気です。
そんな一大ムーブメントであったにも関わらず、二木秀雄氏の逝去後はなりをひそめ、その後のイスラーム主義の隆盛もあってか、今では情報を見つけることも困難です。ウェブ上で唯一見られたのは、浜中彰先生のサイトの日本イスラム教団というページだけです1。
詳細な思想や具体的な活動についてほとんどわからないので何とも言えませんが、本書から受け取られる「大乗イスラーム」的なエッセンスは、確かに日本での布教においては有効だったと思われます。多くのムスリムにとって容認しがたい姿勢であったことは容易に想像がつきますし、個人的にも全面的にyesとは言い難いですが、問題提起として一面の真理は射当てているでしょう。少なくとも、そうした活動が可能であったというのは、時代の空気が今よりは寛大であったのではないか、と想像されます。
日本ではイスラームというと戒律主義的な面ばかりがイメージされますが、実際のところは十二億のムスリム皆が厳格なスタイルを守っているわけではないですし、昨今のイスラーム主義的な風潮というのは、むしろ二十世紀も末頃になって盛り上がってきたものです。イスラーム復興の流れも故あってのものでしょうし、これもまた否定はできませんが、少なくともこうした「緩い」イスラームの一潮流が極東の地に存在し得た、ということ自体は肯定的に見るべきように感じます。
最後に、本書中に引用されている安倍治夫氏によるクルアーン翻訳を、孫引きしておきます。سورة العصرです。
恵みあまねく 慈悲ふかき
神・アッラーの み名により
傾く夕陽に われ誓う
人 おしなべて 救いなし
ただし 信心 善行し
たがいに真理(まこと) すすめ合う
忍苦の信徒(とも)に 救いあり
クルアーンの翻訳には、本当に色々な問題があり、この訳文にも是是非非の意見がありましょうが、個人的には、日本語としてとても美しいと思います。
クルアーン本来の美しさに比べ、某有名日本語訳などはまったく荘重さの欠片もなく、こんなことではクルアーンが退屈だと思われても仕方がない、と常々感じている者としては、こうした翻訳があっても良いのではないかと思います。
もちろん、翻訳されたものは「本物のクルアーン」ではないですが、逆に言えばあくまで解釈、学習のガイドなわけですから、一つはアラビア語読解の際に参考とする正確なもの、いま一つはもう少し崩れていても訳文として美しいもの、と何通りかある方が好ましいと言えます。前者は三田先生の翻訳があるわけですし、一般向けにはこのような日本語としての文学的美しさや読み易さに重点をおいたものがあって良いのではないでしょうか。
- 日本ムスリム情報事務所の宗教団体一覧ページに以下の連絡先がありましたが、未確認です。
日本イスラーム教団
03(205)1313
東京都新宿区歌舞伎町1の5の4 第六荒井ビル4F [↩]