物凄いアホの子のようなことを言えば、神様がいないと思い込んでいる人には「ほな、なんでアンタがおるん?」とまん丸な目で問いたくなる。
 「お父さんとお母さんがセックスしたからやろ」というのは、それはそうかもしれんけど、そういう問題ではなく、「ほなお父さんとお母さんがセックスしたらなんでアンタがおるん?」とも問える、そのような問いの向こうにあるものを言っている。
 朝になると日が昇るのは、地球が自転しているからだろうし、地球が自転して日が昇るのは、太陽と地球の角度がなんたらと、いくらでも言えるが、いくら言われても「ほな、なんで?」と問える。
 そんなことは子供でもできる。というより、子供しかできない。いい年してずっと「なんで」と言っていると、アホの子だと思われる。
 だからアホには神様は自明だ。
 順序が逆なのだ。
 扉の中の扉の中の扉の中の扉の中の扉を開けたら神様がいて「ああ、いてはったんですか、すんません」というのが神様だ。
 神様がいなかったら、子供は気狂いになる。
 しかしまだ気狂いは、よく躾けられなかっただけ、神様に近い。アホの子に近い。
 質問というのは不躾なものだ。大人は簡単に質問してはいけない。「ググレカス」と罵られる。
 質問しない立派な大人になるには、扉の中の扉の中の扉の中の扉の中の扉を開けて「すんません」と言わないといけない。何度も開けると怒られるので、どうしても我慢できない時以外は、最初の一回でこらえておいた方が行儀が良いが。
 そうでないと、よく躾られはしているけれど、暗い顔でつまらなそうな大人になる。
 アホには神様は自明だ。そして人生は楽しい。


