女子割礼がイスラーム的に是か非か、という問題はシェイフたちの間でも色々な意見があります。
主なところでは、
①女子割礼はイスラーム的なもので、義務または推奨行為である
②女子割礼はイスラーム的なものだが、義務ではない
③女子割礼にイスラーム的根拠はなく、単なる習慣である
④女子割礼にイスラーム的根拠はなく、かつ悪弊であり、やめるべきだ
といったものがあります。
このうち①はかなり少数派で、あまり聞いたことがありません。また③の立場を採る人は大抵④まで言うので、大勢としては②か④のいずれかではないかと思います。
このうち「イスラーム的である」という立場を根拠付けるものとして、まず、クルアーンには女子割礼についての言及はまったくありません。ですから、ハディースに典拠を求める訳ですが、よく持ち出されるのが、
إذا التقى الختانان فقد وجب الغسل
というものです。
これは、ファジュル近くに女性と交わり射精しなかった場合、いつグスルが義務となるのか、と問われ、直訳的には「二つの割礼が出会えばグスルは義務である」といった回答が為された、というものです。ここでختانانと「割礼」が双数形になっているのは、男性と女性を示し、ゆえに女性も割礼を受けている、という訳です。
このハディースはダイーフ(継承経路が弱い)で、つまり典拠としてあまり強いものではありません。これは女子割礼支持派も認めているところだと思います。また、個人的にツッコミたいところとしては、仮にこのختانانが二人の割礼者だとしても、そもそもこのハディースはグスルについての教えを伝えるもので、割礼が推奨されるとかされないとかいった話は全然していません。
と、ここまでが前置きなのですが、エジプトの人気俗人説教師アムル・ハーリドが、以下で面白いことを言っていました。
彼は女子割礼反対派なのですが、ختانانという双数形は、そもそも女性も男性も割礼を受けていることを示すものではない、と指摘しています。
双数形は、通常二つのものを示す訳ですが、異なる二つのものをそのうち一つの双数形で表す、という用法があります。
たとえとして、العمران(二人のウマル)でأبو بكر(アブー=バクル)とعمر(ウマル)を指す、القمران(二つの月)でالشمس(太陽)とالقمر(月)を指す、という例が取り上げられています。
つまり、この場合もختانانと「割礼」が双数だったとしても、それは男性の割礼を指すだけで、女子割礼については何も触れられていない、ということです。
これはアラビア語的に面白い指摘だなぁ、と思ったので、ちょっと書き留めておきます。
ものすごい需要のなさそうなネタですが・・。