エジプトの新型乞食

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 少し前に友人から、エジプトで新手の乞食が流行っている、という話を聞きました。
 乞食と言っても道端で物乞いしているのではなく、一見キチンとした格好をした女性(男性もいるのかもしれない)で、何やらもっともらしい理由を述べて「すぐに返せるのでちょっとお金を貸してくれないか」というのです。要するに寸借詐欺ですし、実際、詐欺という言い方もするのですが、「乞食」という概念がアラブでは割と広く、こうしたちょっとした詐欺の類から大道芸人まで似たグループとして考えているようです。
 アラブ圏のおける乞食については、保坂修司さんの『乞食とイスラーム』という本が非常に面白いので、是非読んでみて欲しいのですが、物乞いもあの手この手で財布を緩ませようと工夫していて、また一般市民も、比較的乞食に対して寛容なところがあります。施しを与えるのは主の報奨を受け取ることであり、乞食の方もあんまり卑屈ではなく、感謝するとしてもまず第一にアッラーに感謝するものです(実際はにこやかにお礼を言ってくれる人も多いけれど)。そもそも、アッラーの前ではわたしたちは皆か弱き貧者であり、主の施しによって生きているようなものです。「アッラーから恵まれたものを気前よく施せ」というのは、クルアーンの中でも数えきれないほど繰り返されています。
 とは言え、何一つ生産的な行いをせずにひたすらお金をせびるような乞食は、エジプトでだって歓迎されません。エジプトだと、街でティッシュを売っている準乞食のような人が大勢いて、明らかに通常のティッシュ価格より割高に売っているのですが、買う方も「事実上乞食だが、何も売らないよりはずっといい」と捉えていて、実際、お金を渡してティッシュは受け取らないで行ってしまう人も結構います。友人は「西洋だと大道芸みたいなことをしてお金を貰う人がいて、昔はエジプトでもいたのだが、最近はほとんど見かけない。ちょっとした芸でも、何もしないよりずっと良いのだから、エジプトの乞食ももっと工夫すればいいのに」と言っていました。まぁ、ストリートアーティストが聞いたら怒るかもしれませんが、主の御前において人間皆乞食だと考えれば、「乞食呼ばわり」も日本語の語感におけるほど酷いものではありません。むしろ、狭義の乞食に属さない程度で、自らに「乞食性」をまるで見いだせなくなくなって、所謂乞食を見下しているような人の方が、よほど哀れです。
 
 と、前置きが長くなりましたが、噂の「新型乞食(単なる寸借詐欺)」に、わたしも遭遇してしまいました。
 わたしが会ったのは女性二人組で、噂通り割とキチンとした格好をしていて、所謂乞食には見えません。十代くらいの女の子と、その母親らしい女性の二人組でした(歳の離れた姉妹なのかもしれません)。
 その時わたしは、カイロのモハンディシーンという地区にいたのですが、「すいません」と声をかけてきて「ラムスィースはどう行くんですか」「ここから遠いんですか」と尋ねてきます。
 もう、この時点ですごく怪しいです。わたしはアバーヤにヒガーブで、上から下までまるっきりエジプト人の格好ですが、顔を見れば外国人と分かる筈です。気づかずに声をかけたとしても、ちょっと喋ればすぐエジプト人でないことくらい分かります。実際、途中でフスハーに切り替えてきたので、分かった上で道を尋ねているのです。普通のエジプト人は、これくらいでフスハーにまるごとシフトチェンジはしないので、これも演出のうちなのだと思います。
 「ラムスィースは遠いよ、キットカットからマイクロバスに乗った方がいい」と、教えようとすると、ものすごいベタな芝居で「え、なんですって、それは困った」みたいな素振りをしてから、「わたしたちはアレキサンドリアから仕事を探しに来たのだが、お金がなくて困っている」と語り始めます(地元民がモハンディシーンからラムスィースへの行き方が分からないなどというのはあり得ない)。
 もうとにかくベタベタに見え見えの芝居で、どこからツッコんでいいのか分からないくらいだったのですが、そんなもの指摘しても始まらないので「いやぁ、わたしは外国人だしちょっとねぇ」とお茶を濁すと、今度は英語に切り替えて粘ってきます。結局「アッラーが易くされよう」と、乞食を追い払う時の決まり文句を言うと、すぐに諦めて去っていったのですが、なかなか面白い体験でした(この台詞で速攻退散するところからして、ちゃんと乞食と自覚してる。そのへんのルールはわきまえている)。
 
 別段暴力的な手段を使う訳でもないし、工夫して可愛い小芝居を打ってくれているので、5ギニーくらいならあげてもよかったのですが、設定的に取るならガッツリ取りそうで、一応敬遠しておきました。
 当然ながら、詐欺は詐欺であって、決して褒められた行いではないのでしょうが、いわゆる普通の仕事をしている人間が、社会のクズかのようにこういう連中を糾弾するのは、詐欺などより余程罪深いです。最初に書いた通り、わたしたちは多かれ少なかれ乞食のようなもので、それが分からないというのは、筆章の果樹園の民のような傲慢に他ならないでしょう。
 大体、「真っ当」とされている仕事にも、体の良い詐欺のようなものが沢山あるし、力のある側が都合の良いルールを決めて「ルールに従ってもらわないと困る」としたり顔をしている例もいくらでもあります。ボクシングの選手に「柔道で勝負しろ、それがルールだ」と言っているような連中に比べれば、寸借詐欺なんて体張っている分、余程「真っ当」に見えますけれどね。

 そう言いつつ、寸借親子には一円も払わなかったのですが。とりあえず、もうちょっと演技は勉強した方が良いと思います。ドリフみたいな人たちでした。