映像になく写真にだけあるもの

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 昔人生の一時期を映像に捧げ、最近素人写真を撮って遊んでいて、当たり前ですが、共通していることと違うことがあります。
 構図や画角の選択、色の配置等々といったことは、比較的通底していることでしょう。
 乏しい経験の中でわたしが「スティールを撮る時気を付けるべきこと」として学んだのは、以下の二つです。

・何が言いたいのかハッキリさせること
・物語はあるか

 ものすごく素朴です。
 「何が言いたいのか」というのは「何が撮りたいのか」と多くの場合一致しますが、静止画では動画に比べてこれを強く意識する必要があるように感じます。動画の場合、絵一枚で成り立つわけではないので、キャメラの動きや前後の文脈から、瞬間瞬間の主題を前景化させますが、静止画では一枚の絵の中で「何が言いたいねん」を言い切る必要があります。動画に慣れた人間は、ここの意識が弱く、捨てるべきものを捨てられずに主張のない絵を作ってしまう、という傾向がある気がします(動画でだってこれは大事なわけですが)。

 「物語はあるか」というのは、極めて写真的なお話で、静止画は絵一枚で終わりですから、その中で物語が描けていなければ、もうどこにも語る場所はありません(キャプションでも付ければ別ですが)。
 別に物語のない写真でも構わないのですが、嗜好として物語の強い匂う写真の方が好きなので、ここはもっと意識しないといけないなぁ、と感じています。

 上の二点は、撮っている時に考える、というのもありますが、撮ったものから取捨選択する時にも、(わたしは)もっと意識しなければなりません。
 動画ですと、切って切ってパンパンつないでいくことの力をよく知っているので、割と大胆に捨てられるのですが、静止画ではまだ情に流されて捨てる覚悟ができていません。
 何事も修行で実に面白いです。



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