馬鹿には普遍はわからない、でもそこがいい!

これまでのお話:
良い抵抗と悪い抵抗などというものはない
このフラットな世界でおしっこを漏らしながら兄貴の死体を埋めに行く

 最近なぜか外山恒一さんの名前を続けて出しましたが、以前彼が「犯罪者の人権を考えないなら人権なんか要らん」ということを言っていましたね。まぁそれくらいのことは普通の左翼の人でも言いますけれど。当たり前の話で、どんな人間にも最低限備わっている基体的なものとして人権概念というのはあるんですから、「犯罪者には人権などない!」とか言ったら、そんなもんもう人権じゃないです。お米券持ってる人はお米もらえるけどお米券ない人にはあげません、とかと変わらないですよ。
 もちろん、その人権概念というのはフィクションです。まぁフィクションって言ったら「人間」というのももうフィクションですけどね。しかもそんなに古いものでもない。どっちも割と最近になって皆で一所懸命頑張ってトンテンカンコン作っていったものです。人権なんかつい最近ですね。フィクションです。でもフィクションだからこそ大事にしていこう。先人が苦労して積み上げたものを守っていこう、そういうものとして人権というのは機能しているんです。
 と、昔は思っていたし、今も基本的にはそう思うんですが、やっぱりちょっと高級すぎるんじゃないか、同じフィクションにしてももうちょっと枯れたフィクションじゃないと無理なんじゃないか、と考えるようになったわけですよ。いや、わたし個人とか、割と話通じる系の人なら、人権でもいいんですよ。透明感があっていいですね。軽くてハンドリングしやすいです。でもこの便利さというのが裏腹というか、それこそフラットすぎるんじゃないとも思います。人権は国境を越えて人類みな兄弟、ものすごくグローバルですからね。そういうのは人類全体を救済する可能性があるものの、一方で見通しが良すぎて企画倒れにもなりがちです。地球は一つってのは結構胡散臭くて、だいたいアカンもんなんです。なぜなら、地球は一つになるとふっとんでゼロになるんです。地上には線が引かれて、例えば西側東側とか、その上ではじめて大概の人はまともにものを考えられるんです。二つ以上あって、初めて一が思考できる。
 繰り返しますが、一部の人なら通じますよ、人権。そういえばその外山さんが「エスペラント語を勉強しても世界中の人とは話せないけど、世界中の変な人とは友達になれる」と言っていましたけど、そういう感じですね。グローバルに狭い人たちの間ならオッケーです。でも大概はそうじゃない。なぜか。馬鹿だからです。と言ったらもう、あっちこっちからボコボコにされるでしょうし、左翼の人とか激おこだと思います。でもねぇ、あのねぇ、本当のこと言うと馬鹿だからわかんないんですよ。わたしはねぇ、いい大学出てるの。賢いの。でも君たちアホの子でしょ? だから無理。ごめんね。
 だから馬鹿の方に合わせるんですよ。そっちが人類のメインストリーム、我々少数派なんだから。そういう前提を認めないと、いつまで経っても啓蒙みたいなレベルから抜け出せないの。啓蒙する人らとかは頭が良いんだけど、視野が狭いのよ。自分の信じるbon sensみたいなのが人類全体に普遍的にある、みたいな前提なわけでしょ。そういうの、平等主義的で好きですよ。でも一歩間違えると、その理性がないものは人間にあらず!みたいな暴走もします。そもそも、そんな良識なんてびっくりするくらい狭いエリアでしか通用しないですよ。駅のホームで「あばー」とか言ってる愉快なお友達とか、ドラムがなかったらヤク中で死んでたみたいな人とか、スジの暴れる担当の子とか、挨拶一つかわすのでも大変ですよ。だから夢は持ちつつ、あんまり信じない。別に馬鹿でもいいじゃない。馬鹿でも優しい方がいいよ。
 馬鹿でもわかるものとは何か。昔からあるものです。おしっこ我慢する話をしたでしょ1。それもね、基本人間はおサルさんタイプでおしっこ漏らすんだけど、人類何百万年だか、そういう時間をかけて頑張ってお漏らししないように練習したんですよ。それで今では馬鹿でもできる。わたし、時々漏らしますけどね。まぁでも、だいたいの人はほぼお漏らししないレベルまで行ったんですよ。はぁー長かったー。つまりそういう、枯れた方のものをなるべく活かしてやった方がいいんじゃないか、ということです。時間がかかるんですよ。馬鹿は簡単にものを覚えたりできないんです。なぜなら、馬鹿だから。

 わたしが宗教とかすごく好きなのは、そういうところですね。基本的に、字が読めない人のものです。例によって話がズレて、このブログでアホほど何度も書いていること2をまた繰り返しますけど、宗教ってのは文化とか思想信条とか信念体系とかじゃないですからね。図書館の分類だかYahoo!のカテゴリじゃないんだから。そんな賢くてこじんまりしたものじゃなくて、言語とかに近いレベルで身体的なものです。じゃなかったら無理でしょ。馬鹿には。馬鹿だから体で考えるんですよ。
 だから宗教は音楽なんですよ。イスラームなんかじゃ音楽はハラームって言う人がいるの。そういうの、結構色んな宗教であると思うんですけど、単にビデオクリップで色っぽいお姉さんが踊ってるからイカン、みたいなことじゃなくて、音楽そのものがイカン、みたいに言う人がいるの。なぜか。キャラがかぶるんですね。宗教は音楽なの。いや、大きな声で言うとムスリムに殺されるから小さな声で言いたいんだけど、ほんとはそうなんです。もうほんと、わたしイスラム教徒となるべく会いたくないの。殺される理由が多すぎるから。隠れて生きてるの。仲間からもそうでないのからも。あーやだやだ。それはともかく、そういう、体と言葉の間にあるのが、宗教なんです。
 だからね、聖書とかクルアーンの文言をチクチク取り上げて「こことここが矛盾している」とか「こんなことは科学的にありえない」とか言う人はクルクルパーですよ。そらあんた、SMAPとか椎名林檎の歌の歌詞とりあげて「整合性がない」とか「非科学的だ」とか言う人います? フライミートゥザムーンって言われて第二宇宙速度とか気にします? いや、いたらむしろその人面白いし紹介して欲しいんだけど、そういうものなんですよ。だから聖典は基本的に音読。黙読とかしたってダメよ。まして翻訳読むとか、あんた洋楽のCD買って、あの中に畳んで入ってる白い紙に書いてある怪しげな日本語訳読んで、CDは聞かないでももうわかった、とか思います? その人も面白いから友達になりたいけど、要するにそういうことなんですよ。
 自分の宗教の聖典について音読を重視しないのって、多分キリスト教のプロテスタントだけですよ。あの人ら、教会もすごくシンプルでしょ。カトリックとか単性論系の宗派の教会とかと全然違う。あんまり宗教っぽくないし、すごく観念的で、近代的ですよね。ああこれは新しいものだ、って見れば誰でもわかると思います。あのシンプルな感じ、倉庫みたいな感じが、もっと極められるとあれですよ、サティアンです。だから米国の福音派とか、ああいうの出てくるのすごく納得できますね。内部に外部がイマジネールなものとして現出する、というオカルティズムです。精神病的でも神経症的でもなく、倒錯的なんでしょうね。プロテスタントの人、ごめんなさいね。お宅はそこまで行ってないし全然オッケーだと思いますよ。イスラム教徒って怖いわね。
 で、聖典がなんでそんなんになってるかって、よくよく考えたら当たり前ですよ。字が読めないと想像してごらん。イマジンオーザピープー。一定以上の情報をまとめて処理しようとしても、バッとリスト的に広げて考える空間がないの。そういう人らが多くの情報を扱おうと思ったら、方法は一つ。覚えるしかないですね。覚えるにはどうするか。昔、皆さんもやったでしょ。スイヘーリーベーボクノフネって。ちなみにわたし、無機の暗記得意でした。全部歌にして覚えました。もう全部忘れたし、学問的に一切大事なことを学べませんでしたけど。とにかくそうやって覚えるんです。節をつけて覚えるの。圧縮するのよ。それが一番楽だから。そうやって、音楽は言葉と体の間をつないでるのよ。
 言語はまず歌なんです。『さえずり言語進化論』3って本がありますけど、まず歌があり、文法がある。文法とは何か。ライムを踏むとか、ダンスで決まったパターンを組み合わせていくとか、そういうことです。アラビア語とかロシア語とか、込み入った屈折語系の言語を勉強したことのある人なら、その冗長性にぶちキレそうになったことがあるでしょう。性数格の一致とか。いらないじゃないですか。名詞で女性ってわかってたら、形容詞とか動詞とかそれに合わせて変化するの、意味ないでしょう。情報の伝達のためにはまったく必要ないです。だから、「情報の伝達」なんて方が後付けなんですよ。そっちが後から出てきた使い方なんです。性数格の一致みたいな冗長性、そっちが先。なぜか。かっこいいからです。係り結びみたいなものです。そういう風にセットになってる方が韻を踏んでるみたいでかっこいいし、覚えやすいでしょう。完全に情報伝達に特化した冗長性のない言語があったら、その言語では踊れません。
 だからクルアーンなんか、すごく詩的に美しい、もう感動的な構造になってるのよ。それこそおしっこちびりますよ。難しいとことか説明的なとこもなくはないけど、全然主じゃなくて、そういうのが続くとサビが来て、そこはだいたいおんなじこと言ってるんですよ。要するに「神様すげー」ってこと。馬鹿でもサビだけはわかる。だから当時も「あのおっさん、預言者とか言ってるけど詩人ちゃうか」みたいな批判があったんですよ。だから神様が「いや、詩人ではない」って啓示を下されてるの。そこは譲れないから。でもそういうことわざわざ言うってことは、紙一重ってことですよ。「ムハンマドは八百屋ではない」って啓示はないでしょ。誰も間違えないから。

 大分遠回りしたけど、そういう風に宗教は馬鹿でもわかるようにできています。字が読めなくてもできるんだから、日本のヤンキーなんか余裕ですよ。賢い人は賢いなりに、馬鹿は馬鹿なりに。アメックスみたいで素晴らしいですね。しかも今でも世界中でものすごい沢山の人が宗教を信じてますし、こういうのを足がかりにしたいんですよ。しかも宗教って割と世襲するの。共産党と公明党って、どっちも組織票が強い政党だけど、そういう靭帯で言ったら公明党の方が一歩リードしてる。なぜなら、学会の子は学会だから。自動再生産。いや、なるとは限りませんよ。反発して抜ける人も沢山いるでしょう。というか、わたし自身親とは宗教がらみで山程確執がありました。いいじゃない、喧嘩すれば。元気でよろしい。うちなんか文字通り血が流れましたからね。でもそういう喧嘩も宗教あってこそ。なけりゃ考えるキッカケにもなりません。
 もちろん、狭義の宗教じゃなくてもいいですよ。なんでもいい。任侠っぽいものね。だからね、天皇制もいいと思ってるんですよ。万世一系、いいじゃない。だってもう、今現在結構な人がイイと思ってるんでしょ。大事にしてるんでしょ。
 いや、わたし個人は厳密には違う宗教の人ですよ。正直、天皇制にまつわるエトセトラで「ふわぁーっ!」ってテンション上がる感じとかは全然ないです。でもそれはそれでいい。これも良し、それも良し。ファシズム的ですね。もちろんフィクションだと思っていますが、そんなこと言ったら人権も「人間」もフィクションですからね。キリがない。おおよそ人気のあるところ、馬鹿でもわかるところで手を打つしかない。大体フィクションフィクションって、人の世というのは「嘘から出た真」ですからね、これすべからく。
 あるところで右翼の人が、終戦の日に靖国で黙祷している時に左翼が大音量でデモしてきて、それに対しすごく怒ってたけど、わたしが腹が立つのはそういうところですよ。考えが違うのはいい。でも、なんか知らないけど、それを大事にしてる人がもういるんよ。なんでかは知らんよ。馬鹿の考えることなんか知るか! でもその人らには大事なのよ。そういうの、ぎりぎりのところでちょっと考えないとダメなのよ。仁義というか。平たく言えば空気読めよってことですよ。
 いやほんと、馬鹿の考えることなんか知らんよ。でも馬鹿と一緒に生きていくだよ!

 それからね、宗教っぽいものってそんなに簡単に抜けられないの。ムスリムがお酒を飲むとするでしょ。じゃあムスリムじゃなくなるか。そんなことないですね。その人はただの「ダメな」ムスリムです。わたしみたいですね。抜けられないのって怖いでしょ。ヤクザみたいですね。ブラックですね。
 イヤですね、そういうもの。わたしもイヤだと思います。
 書いてて本当に気持ち悪いのでまた脱線しますが、わたし本当に、ここで書いてる「家族っぽいもの」みたいのからめちゃくちゃ縁遠い人なんですよ。リアル家族からも縁遠いし、その辺、物凄い非情ですよ。知も涙もないです。宗教についても同じく。わたしは宗教ファンみたいな人なので、うるせー、宗教野郎!ってしょっちゅう思ってます。心底ウザいです。だから、ほんわかファミリー志向、アットホームな職場でスキルアップ!みたいな人がその手のものを称揚してるんじゃなくて、それと正反対の北極みたいなクソ人間がなぜか発狂してお話している、という前提でお聞き下さい。
 話を戻すと、宗教やら家族やらのしつこさ、まとわりついてくる性質、筋の通らない性質というのは、理不尽であるがゆえにフラットなものへの抵抗になるんです。
 正義とか正しさというのは、正しいは正しい、そうじゃないものはダメ、というものです。賢いの。でも宗教っぽいものは言語とか身体みたいなもので、家族的というか、そう簡単には勘当しないんですよ。簡単には別れられない。「せやけど、好きやねん」の世界です。
 あのね、友達が犯罪を犯したら、そいつは悪いヤツだから友達じゃないの? 絶交なの? それでもいいですよ。そういうこともある。でも「本当の友達」というクッサイものがもしこの世に存在するとしたら、悪いことをやっても間違ったことをやっても、それをわかった上で友達である人でしょう。めっちゃ怒るけど、刑務所に面会に来てくれる人。それは「悪い友達」ですよ。悪友。だから切る方が本当は「正しい」。でも切らない。なぜか。馬鹿だからです。
 そりゃ切れる時もありますよ。親子の縁だって切れるときは切れる。でも正義とか一貫性とか効率とか、そういうものでは動いてないの。もっと筋の通らないもんなんですよ。なにかと言ったら、偶然ですよ。たまたま近所だったとか、クラスが一緒だったとか。そんなもん、運命です。親子だって偶然ですからね。たまたまそこでコウノトリがおっことしただけの話です。子は親を選べず、親も子を選べず。
 そして本当に信用できるものは、そういう筋の通らない終身保証的な存在です。自分が悪い人の立場に立ったらわかるでしょ。何度も言ってるけど、犯罪者は失敗者で、運が悪かったみたいなものですよ。もちろん、悪い人だから棒で殴ります。それが正義。わたしたちには、運の悪かった人を棒で殴る義務があります。でも、その法に反して殴らないヤツが一人いたら、そいつだけが悪い人の友達ですよ。その人しか信じないでしょう。外山さんなんかリアル刑務所に入ってるから、良くご存知でしょうね。正義とか一貫性とか、そんなもん知るかってもんです。そんなヤツら、いざとなったら掌クルーですよ。殴りたいヤツが沢山いるでしょうねぇ。なんだったらわたしが代わりにヤキ入れてきましょうか。交換テロ的に。
 神様は見捨てないですよ。天皇陛下だって見捨てないと思います。馬鹿前提なんだから。透明でフラットで理性的なものなんか、イザとなったらバッサー切るでしょう。

 大分遠回りしましたが、人権も絶対になくならないものなんですよ。絶対に裏切らないもの。そういう基本的なものとして規定されてるんだから。犯罪者にこそ人権はあります。そういう意味では、人権も本当の友達です。切っても切れないもの。素晴らしい。ほんとにそう思いますよ。でもね、馬鹿にはわからない。馬鹿にはね、無理。
 だから、人権みたいに絶対になくならないもので、馬鹿にもわかるものを考えてるんです。それは人権みたいに洗練されてなくて、もっと便利が悪いけど、どこにもないわけでもないですよ。絶対に裏切らないものというのが、この世界にはあります。この世になくてもあの世にはある。あると言ったらある! 今現在友達が一人もいなくて、仕事もなかったりクソブラックだったり、親にも学校にも社会にも見放されていても、絶対に裏切らないものが必ずあります。だから信じろ! クソが! 馬鹿のくせに考えるな!
 そしてもしそれを見つけることができたら、見つけられなくても頭をガンガン壁に打ち付けて十分にクルクルパーになって見つけたみたいな気分になったら、絶対にそれを手放さないことです。いや、手放したって追ってくるでしょうけどね。逃げられませんよ。執拗なんです。運命ですよ、運命。

 それでですね、そういう絶対に裏切らない系のもの、宗教でもなんでもいいですけど、そういうのってあんまりグローバルじゃないの。人権みたいに普遍っぽくないんです。射程距離が短いの。天皇陛下がいかに素晴らしいとしても、だいたい南鳥島とかそんくらいまでしか届かないの。でもそれでいいんです。世界は一つではないから、一つの世界というものを思考できるんですよ。
 もちろん、革命家はそんなこと言いませんよ。普遍だと言うでしょう。その革命家が怒って叫んで走って、倒れて死んだところが国境線です。それでいいんです。わたしたち下々の者とか馬鹿とかプチブルとかは、そこに革命家のお墓を作ってありがたく拝みながら、残った土地で米とか作って生きるんです。
 ハサン中田先生とかも納得されないでしょうね。国境線をすべてなくせ、という方ですから。それはネイションという偶像、領域国民国家に対抗するということで、少なくともハサン先生の考えるイスラームは人を統治するネットワーク的なもので、グローバルなものなのでしょう。それで正しいと思います。ハサン先生は多分日本で唯一、本当にイスラームの内部のロジックで徹底して思考できる人でしょう。でも実際にはそのイスラームも全世界を覆ったりはしませんよ。してしまったら、その時はもうイスラームも成り立たなくなるでしょう。世界は一つではない時にだけ、一つの世界を思考できます。でもいいんです。革命家だから。ハサン先生の死んだところに国境線がひかれますから。
 ネイションは色々クソですけれど、ネイションすらなくなったペンペン草一本生えないフラットでグローバルな世界よりはナンボかマシです。右翼(≠保守)の人がそこにこだわるのは、それが現状、ギリ残ってる「宗教」だからでしょう。ギリギリ残っている馬鹿にもわかる何かなんです。
 仮に一定の範囲でネイションをボコって神様の国にできても、神様の国にも限界があります。限界があるから、機能するんです。ダールルイスラームとダールルハルブですね(イスラーム圏とそれ以外)。中の人はもちろん、グローバルって言いますよ。そういう理念ですから。だからハサン先生みたいな人が言うのはいいんです。あれこそ真のイスラームのロジックです。文化人類学的に俯瞰してフワフワしたこと言ってるヤツらとは違うんです。「正しさと喧嘩の強さなら正しさの方が正しい」という人に対して「正しさと喧嘩の強さなら喧嘩の強さの方が喧嘩が強い」ってちゃんと自分のロジックで言い返せるんです4。つまり話が噛み合っていない。噛み合った感じで話すヤツらは、フラットな場所から語ってるんです。そいつらは一見相対主義的にどっちも立てるみたいなことを言うんですけど、その語らいの地平そのものによって、透明でフラットでグローバルな視点を強化してるんです。ハサン先生はそうじゃない。話が咬み合わない。だから「ダメだこりゃ、相手にしても仕方ない」ってなる。それでいいんです。そこが国境線。両方そこで死にました。そこから先は話が通じない外部です。
 実際、例えば多くの日本人にとって、イスラームは「よくわからないもの」「話の通じないもの」でしょう。多少説明したって、やっぱりしっくり来るものじゃないですよ。松本健一じゃないですが、わたしたち泥の文明ですからね。あれは砂の文明。もちろん、そんのは全然絶対的な話じゃないですよ。もう日本のすぐそば、フィリピンとかインドネシアとか中国まで、伝統的イスラームの世界ってのは迫ってきてたんですから。日本人ムスリムだって大勢いますしね。ただ大方の人びとにとって、単に知らないとかいうレベルではなく、ものの考え方感じ方のスタイルとしてスッと入ってくるものじゃないですよ。わたしなんかは、その違和感が故に、それを向こう側から感じたかったというのが始まりの一つですけれどね。
 つまり、例えばカラスは黒いでしょう。それを白いという人がいたとします。嘘じゃなくて、その人、心の底から白いと言ってるんですよ。なんかウィトゲンシュタインみたいな話ですが、もしそうだとしたら、その人の感じている「白さ」を体験してみたくありませんか? 「網膜の異常で」とか、そんな知的な理解じゃなくて、その「白さ」自体を体験するということです。わたしは断然したいですね。めちゃくちゃしたいです。滝に打たれて修行したら感じられます、というなら仕事やめて滝行する勢いですね。わたしはそういうクルクルパーです。それはともかく、この「白さ」みたいのが違和感、ザラッとした感触です。そしてハサン先生なんかは、「本当に」カラスが白く見えていてる人です。だから当然「カラスは白い。それがどうかしたの」と言ってるんです。めちゃくちゃ普通です。そういう人に「いや黒いやろ、アホか」とか言ったって、そういう方がアホです。
 で、こういう違和感、ザラッとした感じについて、素直じゃない人というのがたくさんいます。そういう人は大体、良い人です。「イスラームのこんなところが日本のコレと似てますよ、大体一緒、難しくない、人類みな兄弟」みたいに、仲をとりもつ感じで紹介している人たちです。好意なんでしょうね。でも嘘です。池内恵さんなんかは、そういうのを「嘘つくな!」って怒ってるんです。だからあの人は、ハサン中田先生の対偶なんですよ。
 また話がズレましたが、今言いたいのはイスラームがどうとかそういう話じゃなくて、この違和感、話の通じない感じ、そういうのがあるからいいんだ、ということです。「ダメだこりゃ」って思われた方がいいんですよ。そういうのが抵抗です。「カラスが白い」と心の底から素で言ってる人がいたら、ちょっと気持ち悪いし、取引先がそんな人だったら「こりゃ大変なことになったぞ」って思うでしょ。ビジネスも進みませんよ。その壁、その段差というのを、資本もスターリニズムもお上品マダムもそう簡単には越えられないの。ちょっと頑張って、よいしょよいしょってしないといけないの。マダムなんか足腰弱いから落ちて死ぬでしょうね。落ちて死ね! だから理念としては絶対普遍でも、ローカルな絶対だし、一歩離れたら「何言ってんだお前、天皇ってなんだ」くらいでいいんですよ。ちょっと大学出たくらいで理解できてスッと入ってきちゃうような「絶対」じゃダメなんですよ。いや、頭でわかるのは結構だけれど、身体に簡単に馴染むような、そんな無色透明なもんじゃダメなんです。そんなもん、フラットすぎるしキレイすぎます。言語一つ覚えるくらいの修行が必要でいいいんです。
 ハサン先生が大嫌いな国境線の話が出たついでにちょっとまた余計なことを言うと、人の移動の自由が制限されていることは確かに問題ですけれど、真の問題は自由か否かというより、いろいろなものの自由の間にある格差だと思っています。人の移動に対して、モノはもっと自由に移動できます。お金はさらに自由自在です。そして人間は、たとえ許可されたとしても、そんな簡単にホイホイ移動したりはできません。できないからこそ、ムハージルーン(初期イスラームがいじめられた時、預言者と一緒に引っ越しして逃げた人たち)は根性のあるヤツらで、賞賛されたのでしょう。人は一人ではないし、周りの友達とか家族とか角のタバコ屋とか田んぼとか、そいういうものと一体なんです。よく痴呆症になったおじいちゃんとかが、病院ではぼけーっとしてるのに、家に帰ってきたら結構身の回りのことはできたりするでしょう。そういうふうに、環境と一体化してるんですよ。歳をとればとるほど、地縛霊みたいに環境の一部になってしまうんです。だから人の移動にはどうしたって限界があります。だからそっちに合わせる。ダメな方に合わせるんです。モノやお金も、もっと不自由にしないといけない。こいつらが人の頭を飛び越えて好き勝手しやがるから、おしっこ我慢できるスーツ着たヤツらが地域をボコボコにしていくんです。もっと世界中に壁とか凹みとか出っ張りとか作って、手触りのあるものにしないといけません。超電導を防がないといけない。それがフラットな世界に対する抵抗です。そして何度も言っている通り、この抵抗は「悪いこと」としてのみ実現します。正義とか理性とか、抵抗のためにはクソの役にも立ちません。だってそれ、むしろフラットの側のものですから。そっちが正義なんだから。便りになるのはおしっこ漏らす系です。頭が「悪い」のも大変結構。頭が悪いと英語ができません。英語ができなければ、それだけで非関税障壁になります。馬鹿が世界を守ってるんです。

 絶対に裏切らないものはあります。しかし馬鹿には普遍的な絶対はわかりません。せいぜいローカルな絶対までです。そのローカルな絶対を捨てて普遍的絶対に行ければまだマシですが、一番悲惨なのは普遍的虚無に落ち着いちゃうことですね。沢山います。スーツ来たヤツらに踊らされて、田んぼもない訳のわからない場所に追い出された挙句、神も仏もなく野垂れ死にですよ。そいつらは死んでどこに行ったのか。どこにも行けなかったんでしょうね。どうせ死ぬなら田んぼで死ねよ! クソが! こういう馬鹿を守るのは賢さではありません。馬鹿はその馬鹿さ加減自体によって世界を守るんです。
 馬鹿にもわかる全然普遍的じゃない絶対的なものが、世界を訳のわからん話の通じないものにして、抵抗しているのです。もちろん、正義の抵抗ではありません。「悪いこと」です。頭が悪い。でも馬鹿なんだから仕方ないでしょ。好きで馬鹿なんじゃないよ!ってなもんです。「失敗」と一緒です。
 そして残念ながら馬鹿よりは少し賢くなってしまった可哀想な失敗予備軍の皆さん、今からでも遅くありません。ダイソーで買い物してもいいですから、各自適当に神様とか天皇陛下とか信じつつ、おしっこ漏らしてください。心配しないでも、現代日本でなら神様信じてるとかファシスト自称だけでももう馬鹿合格です。

まだちょっと続く?:経験の執拗さとさておかれない冗談

  1. このフラットな世界でおしっこを漏らしながら兄貴の死体を埋めに行く []
  2. 音楽と信仰クルアーンのバンクほか []
  3. 『さえずり言語起源論』岡ノ谷一夫 []
  4. 正しさと可愛さと喧嘩の強さと参照 []
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