クルアーンのバンク

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 「クルアーンのバンク」と書くと、いわゆる「イスラーム金融」のことかと思われるかもしれませんが、全然違います。
 「初代ガンダムは分かりやすかった」なんて嘘っぱち? 当時のアニメ雑誌記事より – Togetterまとめというページのはてなブックマークコメントを眺めていたら、次のようなコメントを見つけました。

t-oblate ぼくはリアルタイムの1st世代じゃないけど、ガンダムに限らずほんとうにちっちゃいころはアニメのストーリーなんかまったく理解してなかったよ。特撮も含めて大抵の場合一番楽しみなのはバンクだった記憶。

 「バンク」というのが一体何なのか分からなかったので、検索してみたところ、どうも「バンクシステム」というもののことらしいです。

バンクシステム(bank system、造語)、略してバンクとは、映像作品、中でもアニメや特撮において、特定のシーンの動画、あるいは背景を”バンク”(銀行)のように保存し、別の部分で流用するシステムである。違う作品にも使われることがある。一部の漫画家も、このシステムを活用している。
バンクシステム – Wikipedia

 ヒーローの変身シーンなど、毎回同じ画面が使われる「使い回し」部分のことを指すようです。
 確かにそういう画面というのがありますね。今まで特に意識もしていませんでしたが、見せ場になったところで毎度おなじみのシーンが登場し、その後にバトル、みたいな構成がよく見られると思います。
 映像そのもの使い回しということを越えて広義に解釈すれば、水戸黄門が印籠を出す場面のように、大体同じくらいの時間にやってくる同じような場面、というのもあります。これは多分、「バンク」には含まれないのでしょうが、「子供が注目し易いおなじみのシーン」という点では共通しているでしょう。
 要するに歌謡曲の「サビ」みたいなパートです。歌詞全体は覚えられなくても、サビだけは耳について暗唱できる、ということはよくあるでしょう。
 キャッチーで覚えやすい箇所ですし、毎度おなじみの場面が来ると「キターッ!」という盛り上がりもあります。このコメントをされた方が、子供時代に「バンク」を楽しみにしていた、という心理はよく理解できます。

 ここから飛躍するようですが、クルアーンのことを連想しました。
 以前に「音楽と信仰」というエントリで音楽と聖典の近親性について触れましたが、そこでこんなことを書いています。

イスラームを(あるいは別の宗教を)戒律の集合のように考えている漫画チックな人たちは、聖典とは六法全書のようなもので、ページをめくると「鶏肉はOK、豚肉はダメ」みたいなことが並んでいるとでも思っているのでしょうか。そんな要素はびっくりするくらい少ないですし、クルアーンに限って言えば(聖書と異なり)物語的具体性も極めて限定的です。では何が大半かといえば、アッラーは偉大だとか信仰者は礼拝するとか気前よく施すとか、同じような抽象的内容を繰り返しているのです。

 実際にクルアーンを紐解いて頂ければよく分かるのですが、何か個別的な語らいが述べられた後に、「まことアッラーは至大なり」「まことアッラーはすべてに知悉され慈悲深い」みたいな定番フレーズが繰り返される構成が非常に多く見られます。ほとんどクルアーン全体がこの調子と言っても良いかと思います。
 日本語訳などを散文的な視点で読んでしまうと、わたしたちは情報を得る用具としての文章に慣れきってしまっていますから、その「定番フレーズ」の部分は「内容のない」部分としてスルーして、個別情報の方に目を向けてしまいがちです。しかし元々クルアーンは暗誦されるためのもので、声に出されて読む、聞く、ということが大前提としてあります。そして現在でも、翻訳はあくまでタフスィール(解釈)であり、「本物」はアラビア語のものだけ、ということになっています。これは丁度、歌を翻訳しても元の歌そのものではなく、原曲はあくまで原曲、というのと並行的です。
 そして、この「原曲」を忠実に聞いてみると、耳にこびりつくのは「定番フレーズ」、つまり「サビ」の部分です。どんな音楽でもサビが一番残るように出来ていますし、クルアーンもボーッと読んだり聞いたりしていると、サビだけがやたら心に残ってきます。
 特に、アラビア語話者ではないわたしたちが頑張ってアラビア語を勉強して読んだりすると、「情報」に富んだ個別部分は非常に難解な箇所が多いですから、サビが格別よく残ります。というより、サビしか分からない状態です。実はアラビア語話者にとっても、クルアーンのアラビア語は古くて難解ですから、やはりサビのインパクトが大きいです。あまり教育のない人達にとっては、サビ比重が非ネイティヴに近くなってくるケースもあるでしょう。
 宗教というのは、基本的にアホな人たちのものです。少なくともわたしはそう信じています。アホでも出来ないと宗教ではありません。当然、アホでなくても信仰を持って良いのですが、「ワイはアホやから神様は分からん」となっては困るのです。ギリギリ最底辺のところでもひっかかるセイフティーネットのように、アホでも貧乏でも子供でも出来ないといけません。
 そしてアホになればなるほど、サビ、つまり「バンク」的なところばかりが残り、他のところはよく分かりません。よく分からないでも、サビだけ分かればまぁいいや、というのが聖典なのです。いや、こう断言してしまうと専門家から怒られるかもしれませんが、わたしはそう信じています。
 何が言いたいかというと、近代的教育を施され日本語ペラペラなわたしたちが日本語訳クルアーンなどを読んでしまうと、つい「情報」の出てくる部分にばかり気を取られてしまいますが、実はそんなところは一番大事ではなく、サビ、「バンク」のところがミソなのだ、ということです。ミソといっても、はっきり言って大したことは言っていません。基本「神様すごい」とか「悪いことしたらアカン」とか、そんなのです。歌謡曲で要するに「I love you」しか言ってないみたいなのと一緒です。そこだけは子供でも分かるのです。

 イスラームに関心を持ってクルアーンを紐解いてみよう、という方もいらっしゃるかと思いますが、その時はなるべくアホになって、アホでも分かるところにまず目を向けていただきたいです。「音楽と信仰」でも述べた通り、基本的にアラビア語です。アラビア語が出来なくても構いません。聞くだけならMP3がその辺に転がっています。意味は分からないでしょう。構いません。何度も聞いていれば、サビは多少残る筈です。サビだけでいいのです。何度も聞いてサビが気になった辺りで、タフスィールを見て「そんな意味だったのか」くらいで丁度良いです。
 「バンク」が出てきて「キターッ!」くらいが、正しい接し方だと思います。