وَلاَ تَسُبُّواْ الَّذِينَ يَدْعُونَ مِن دُونِ اللّهِ فَيَسُبُّواْ اللّهَ عَدْوًا بِغَيْرِ عِلْمٍ كَذَلِكَ زَيَّنَّا لِكُلِّ أُمَّةٍ عَمَلَهُمْ ثُمَّ إِلَى رَبِّهِم مَّرْجِعُهُمْ فَيُنَبِّئُهُم بِمَا كَانُواْ يَعْمَلُونَ
あなたがたは、かれらがアッラーを差し置いて祈っているものを謗ってはならない。無知のために、乱りにアッラーを謗らせないためである。われはこのようにして、それぞれの民族〔ウンマ〕に、自分の行うことを立派だと思わせて置いた。それからかれらは主に帰る。その時かれは、かれらにその行ったことを告げ知らされる(6-108)
多くの人々が、自らの価値と尊厳のために、他者を否定しないでいられない。
わたし自身もそうだ。
そういう人々に、お題目のように共存だの相互理解だの美辞麗句を並べても、あまり意味がないように思う。人間はそれほど強くも賢くもない。
だから、否定したくなったときは、むしろ自らの価値を守るために、否定しない方が賢いのだ、と自分を説得してみる。
これは少し詭弁で、本当のところ、戦うべき時は戦わなければならない。
ただ、中途な理解で喚いたり、弱いのに吠えるだけでは、結局我らの価値を損なうだけなのだ、という風に受け止めておこうと思う。
人間は弱いが、本当に悪辣な人は限られているし、噛み付かれもしないのに噛み付いてくるほど暇な人も多くはない。
あなたの価値は、別に人々が決めるのではない。そちらを向いても、価値は上がりも下がりもしない。
だから、価値を確かめるために向くべき方向は、一つしかない。