仮想戦争―イスラーム・イスラエル・アメリカの原理主義 レザー アスラン 白須 英子 藤原書店 2010-07-16 |
かなり読ませる本です。
著者はテヘラン生まれでアメリカ国籍を持つムスリムの新鋭宗教学者。しかし学問的なテクストというより、躍動感のあるジャーナリスティックな文体で、アメリカの一般読者に好まれそうです。キャッチーな反面、読み続けているとちょっと暑苦しく鬱陶しくなってくるのですが、それを差し引いても値打ちのある本だと思います。
扱われているのは、いわゆる「イスラーム原理主義」だけではなく、シオニズムとアメリカのキリスト教原理主義も覆っていますが、重点はやはりイスラームにあります。
本書を通底しているテーマは、シオニズム、キリスト教原理主義、ジハーディズムのいずれにおいても、ナイーヴな善悪二元論的「仮想戦争」が戦われている、ということです。これらは伝統的宗教的価値観からは逸脱していますが、一方で単に貧困から「テロ」に走るようなものではなく、現世的な見返りを求めない「純粋な」ものです。純粋ではありますが、その戦いの果てのヴィジョンには現実味がなく、あるいはまったく将来的なヴィジョンなど持ちあわせていません。彼らを駆動する悲歎自体は現実のものですが、彼ら自身は多くの場合直接の当事者ではなく、例えばヨーロッパにおけるジハーディズトたちは、比較的よく「同化」し、社会的に成功している階層から出ています。彼らは状況がことなれば公民権運動や一般の社会運動に参加していたであろうようなタイプの人々なのです。
それでも、その背後に現実的な問題が潜んでいるのは確かで、「原理主義」に対抗するためには、彼らの唱える表面的な思想系、しばしば空想的な戦いのロジックではなく、悲歎そのものに直接的に取り組む必要があります。
こうした悲歎に取り組むことでは、ムスリムであろうと、ユダヤ教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、この世の仮想戦士たちを満足させないかも知れない。だが、そうすることによって仮想戦争を地上に戻し、もっと建設的な対決が可能になる。なぜなら、結局、仮想戦争に勝つ方法はただ一つ、同じ土俵で闘うのを拒否することだからだ。
もう一つ、現代「先進」諸国で自明視されている一方、実のところ特殊西洋近代的な仮想概念であるナショナリズムが、連鎖的な憎悪を招いている点に関する描写も見事です。
実のところ、非宗教的ナショナリズムはその発端からあやふやな概念であった。それは宗教改革後のヨーロッパで生まれ、ヨーロッパの啓蒙主義時代に奨励されて、やがて征服や植民地主義を通じて地球上のほかの場所に計画的に押しつけられた。発展途上国の大部分では、国民国家というのは外国産の発想である。
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ヨーロッパや先進諸国においてさえ、非宗教的ナショナリズムという概念には問題があった。それは、国民国家の構成員というよりも、むしろ公民権をもつ居住者が、生活のあらゆる面で国家の統治権に従うことを要求されるからである。
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十九世紀のヨーロッパにおける半ユダヤ主義の台頭が、ナショナリズムの台頭と一致しているのは決して偶然ではない。ナショナリズムとは、一つの集団的帰属意識のもとに住民を束ねるためのもので、一つの国民国家内にはある程度の民族的、もしくは文化的同一性があって然るべきだと想定されていた(・・・)
集団的帰属意識の構築という骨の折れる仕事は、とりわけ文化的同一性というような漠然としたものを基準とした場合、そのもの自体を定義するために、正反対の”別のもの”を必要とする。(・・・)フランス人、ドイツ人、オランダ人にとって、それぞれの帰属意識がナショナリスト的に定義され始めたとき、それはいったい何を意味したか? それは、ユダヤ人ではないということだった。
「ホロコースト」の恐怖が、ヨーロッパへの同化は不可能だというシオニストの議論に重みを与えたあとでさえ、ユダヤ人国家が一国のなかに包括されてよいーーそれは当然だーーとは思い込んでいない人はまだ大勢いた。そのような民族的にも多彩で、文化的にも同質ではなく、宗教的にもいくつもの派に分かれていて、言と的にも同じでないコミュニティーを、一つの非宗教的ナショナリストの傘の下にまとめるものは何であろうか?
ユダヤ人的ナショナリズムがパレスチナで生き残るには、(・・・)”陰極”ーーその対極として文化的凝集性をもった、民族的に同質な、国民的に統一されたコミュニティーとして定義できる”他者”が必要だった。すでに入植し始めていたユダヤ人に対して”他者”は休息にこの土地の土着住民という形をとった。二十世紀前半のパレスチナにおけるユダヤ人ナショナリストであることは何を意味しただろうか? それはアラブ人ではないという意味である。
パレスチナのアラブ人のあいだに、少なくともシオニストが大挙して到着する以前のパレスチナのユダヤ人以上の確固とした国民的意識がなかったことは確かである。(・・・)パレスチナ・アラブ人ムスリム人口の大多数は、この時点まで、自分たちをオスマン帝国カリフの臣民であると思っていた(・・・)
シオニズムが予期していなかった成り行きは、それがパレスチナ・アラブ人の意識を、ほかのところで起こっているような非宗教的ナショナリズムのなかでは規模の大きい汎アラブ活動から引き離し、もっと鋭くとぎすまされたパレスチナ人帰属意識へと移行させたことである。(・・・)パレスチナ人であるということは何を意味したか? それはユダヤ人ではないということだった。