世界には理由が不足しているので

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 世界には理由が不足しているので、理由の要らない方に流れます。
 「要理由度」みたいなものの高低があって、それが低い方に流れるということですが、とりあえずこれを「選択」にしておきましょうか。
 理由が運動エネルギー、選択が位置エネルギーみたいに考えると、理由がガガーッとあれば選択の高い方でも行けるのですが、まあ大抵は理由不足なので、選択の要らない方に流れますよね(理系の方、ゴミみたいな比喩を使ってごめんなさい)。
 選択的夫婦別姓については特に誰も傷つけずに為しうる善は、より一層見えにくい地獄への扉でしかないでちらっと触れましたが、「選択できるんだから同姓にしたい人も何も失わない」というのはレトリックですよね。選べるようになった時点で同姓には同姓の理由が必要になる。もちろん、今まで原則同姓でやってきた以上、その流れ自体でつけられた轍みたいなものがあって、しばらくであれば同姓の方が選択の低い側、楽ちんな側のままでしょう。でも遠からずそうではなくなる。平たくならされてしまう。佐藤と佐藤が恋をしたのでない限り、元は別姓なんだからむしろ別姓の方が選択が低い。そうなったら同姓には同姓の理由が必要になる。そして世界は理由不足ですから、これはキツい訳です。
 その世界になってから生まれてくる人たちは良いでしょうね。最初から洗脳してもらえますから。でもその前の世代はどうなりますか。不安ですよ。死にかけの世代はともかく、まだもうちょっと時間のありそうな人たちで、選択の低い側に流れてきた人たち、揺るがされるでしょうね。
 昔は選択が少なかったでしょうからね。大体平べったい世界。だから少ない理由でも何とかやれたんでしょう。
 それがこの頃は、「選択性」とか何とか、変なものが出てきちゃったわけです。スターバックスの注文みたいなものです。理由が多い人はいいですよ。そういう人もいます。大体賢くて自分でものを考えられる人ね。そういう人にとっては、選択が増えることは良いことです。でもそうでない人は困ってしまう。山を越えられなくなって置いてけぼりにされてアワアワしちゃうわけです。
 それなのに「選択性だから誰も損しませんよ」というのは、端的に言って聞こえの良い売口上ですよね。「要らなかったら使わなければいいんです、今なら二ヶ月無料!」みたいなものです。一度契約しちゃったら、今度はそっちに流されるんですから。それでどんどん、自分たちを守ってくれていた当たり前の価値観が壊されていく。それはね、反対するのはむしろまともですよ。不安になって当たり前。
 選択性支持派にしても、こういう売口上を本気で信じてる人と、方便としてスーツとか着て髪もピシッとわけてにこにこ言ってる人と、両方いらっしゃると思うんですよね。
 前者は単にナイーヴで心が綺麗な人なんでしょう。でも世の中はそんな大学一年生みたいな構図でできていませんからね。綺麗に行きませんよ。
 後者についてはよくわかる。それはね、ものを売る時に何でもかんでも本当のことは言いません。嘘を言うわけではありませんよ。そうではないけど、言わないことがある。本当なのに、敢えて言わずに残しておく、というのはある。これは大抵の場合、詐欺ではありませんからね。ギリギリのラインを攻めている訳です。営業ってそういうものですからね。
 コンプライアンスに則った商売の仕方な訳で、これに文句をつけるのは青臭い話でしょう。でも言いたいですね。青臭いですからね。美意識の問題というか、単にカッコ悪いので。
 「今までこっちがワリを食ってきたんだ、ちょっとくらいやり返して何が悪い」というなら、ある意味見上げたものです。肚が括れています。
 もう一歩進んで「何が悪いって悪いに決まってる。こっちが得するためにあいつらに損させてやるんだ。ざまあみろ」くらい言えれば立派です。それが加害者意識というものです。人はそうやって殴り合って生きるものです。
 選択的夫婦別姓プロパーについて言えば、わたし個人は明白に加害者です。刺されても文句は言えないでしょう。

 皆んな理由に飢えてますからね。総需要の不足のように、総理由が不足しているのです。
 選択が増えると理由が足りなくなるんですよ。
 世の中皆んなが天皇陛下万歳とか言ってるなら、理由なんか要らないんですよ。選択がないから。
 でも選択が増えると理由が足りなくなる。Aもありますよ、Bもありますよ、とか言われてアワアワしてしまう。
 それでない理由を無理に創出するために色んな方策がひねり出された訳ですよ。近代的なもので言えば、恋愛とかね。家族婚姻システムみたいなものが相対化されてきた(選択が増えた)ので、理由エンジンとして導入されたのが恋愛でしょう。
 でもそれも現代日本とかだとかなりパワーダウンしていますよね。
 ない理由を無理に作るという意味では、オカルトとかは絶好ですね。理由なんて本質的にないのですが、明白な形をとって現世に現出する、というのがオカルトです。オウム的なものってそうだったんじゃないですか。でもそういうタイプのオカルトももう旬を過ぎて、どちらかというと幸福の科学タイプというか、傑出したオルタナティヴにより一気に理由創出するより、既に理由力のある「伝統」価値観の貼り合わせで作る方向にシフトしていますよね。95年以降の世界とは、オルタナティヴが無効になった世界ですから。冷戦構造が崩壊し世界の見通しが良くなり、軍ではなく警察が支配するようになった世界です。
 ちょっと話がズレますけれど、「世界の警察」というのは、もともとは軍の分際で警察を名乗っている欺瞞だったわけですけれど、「警察世界」が出来上がった結果、本当に警察みたいになってきちゃった訳ですね。そうなると、これは割に合わない。だって本当は軍なんですから。ある種のペテンとして「世界の警察」だったのに、本当に「警察お願いします」とか言われても困るのです。だから「もう辞める!」とかおじさんが言ってるんでしょうね。

 で、総理由を喚起する為に公共事業的なものを打つ訳ですよね。普通の左翼の人が叩く意味での「右傾化」って、そういうことじゃないですかね。システマティックに統一的理由を創出する。
 もうそれくらいしかないのかもしれません。皆んな理由が足りないから、可能な範囲で選択を狭くしておくんです。今の若い人たちとか、びっくりするくらい枠に嵌ろうとするでしょう。圧力がキツイから、というのもあるでしょうけれど、予め選択の幅を狭くしておきたいのでしょうね。そうすれば理由が要らないし。探しても理由なんかないから。
 昔だったらこういう時に戦争をしたのでしょうね。普通に言う意味での公共事業にもなりますし、圧倒的に理由をくれますから。
 「相応の死」以外になにも求めていない人は少なくないでしょう。彼らが奪われたものを取り返す過程で、そうでない人たちが多少「不相応な死」に巻き込まれたとしても、さほど気の毒には思えませんね。
 でも実際的な話として、多分戦争すら苦しいでしょうね。護憲左翼みたいな人たちは「戦争のできる国にするな」とお怒りですが、したくてももうできないでしょう。アメリカだって色々苦労して無人戦闘機とか飛ばして、それをリモコンでぴこぴこしてるおじさんたちすら病気になるからイケナイとか、そんな調子なんですよ。それが現代日本でねぇ。無理でしょう。余程「仕掛け」を作って、スーパーで売ってる切り身の鮭みたいな形で人を殺せるようにしないと、もうね、豚さばくとか皆んなできないんだから。

 わたし個人は古い人間ですので、オルタナティヴとか、ギトギトの理由とか恋愛とか、嫌いじゃないんですよ。「もう一回やったらええやん」と思ってしまいます。冷戦再び!バブル再び!大東亜戦争再び!でも別にいいんじゃない?とは考えます。
 でもそう単純には行かないでしょうねぇ。進んでしまったものは戻らないですよ。
 じゃあどうするのか。別に案はないんですけどね。
 ただ、理由のある人たちは、ちゃんと加害者意識をもって殺さないと駄目ですよ。もうそんな甘い世界じゃないんだから。
 だって理由のない人たちからすれば、唯一確実に理由を手にできるのは、理由のある人たちを殺すってことですよ。そいつらをぶっ倒す、倒せないまでも嫌がらせする、イタチの最後っ屁を食らわせてやる、それこそが理由になるじゃないですか。それはそれで、とても納得できるものです。
 わたしだって理由が欲しいですからね。
 せいぜい、惜しみなく理由を与えることを、自分の理由にしたいとは思っていますけれど。



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