融通のきかないパワーの不安

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 パワーを飛躍的に増大させるものには、融通のきかないものが多いです。
 典型的なのがコンピュータでしょう。コンピュータはわたしたちに可能な演算の範囲を飛躍的に増大させましたが、基本的に融通はききません。融通がきいているかのように振る舞うよう工夫されたものはありますが、それも余りあるパワーの一部を「融通がきいている感」のために振り分けているだけです。
 自動車も融通はききません。自動車は人間より圧倒的にパワーがあり、わたしたちの移動能力を著しく拡大してくれましたが、基本的には整地走行を前提にしていて、縦列駐車とかバックとか、ちょっと変わったことになると急に要領が必要になりますし、階段も登れないしダンスも踊れません。
 おおよそ道具の類というのは、機能を限定すると共にその範囲での能力を拡大するものであって、パワーを増大させる長所がある一方、融通がきかないという短所があります。機能を絞るからこそ良い道具となる、とも言えます。
 人の性格でも、融通のきく人ときかない人というのがいます。融通がきくと言えば聞こえが良いですが、いい加減とも大雑把とも言えます。一方、融通はきかないけれど頑固で真面目、集中すると一直線にどこまでも穴を掘っていく、というタイプの人もいます。一概にどちらが悪いとも言えません。
 ただ、人に限らず生き物というのは、基本的には融通がきくようにできています。少なくとも、人間に近い動物に限っては、一点突破でものすごい力を発揮するよりは、割と融通がきく緩い方向に作られているように見えます。機械や道具とくらべてみれば、どう考えても「融通はきくけれど単機能だけ見ると弱い」タイプです。
 現代的な暮らしをするようになって、わたしたちの周りには融通のきかないスーパーパワーがあふれるようになりました。車やコンピュータです。これらは大変便利なもので、わたし自身、なしでも暮らしなど考えらないほどですが、融通のきかなさというのは少し不安なところがあります。
 というのも、こちらがちょっと間違えたり、うっかり曖昧なことを言ってしまった途端、ものすごい勢いで走りだしてしまって、慌てて止めた時には手遅れになってしまう感じがするからです。
 車だって、ほんの少しのハンドル操作のミスで一度に五人くらい殺してしまうことだってあり得ます。これがロバくらいですと、いくら全力でぶつかっても、せいぜい一人が足の骨を折るくらいが関の山でしょう。
 コンピュータも本当に止まってくれません。これがおばあちゃんなら、少しおかしければすぐに聞きに来てくれるでしょうし、仮に間違いに気づかなくても、なにせおばあちゃんですから、まだ大して仕事も進んでいないでしょう。そこからやり直してもそれほど大きな損失ではありません。
 すごいパワーというのは不安です。指先一つで圧倒的な仕事を成し遂げるようなものは、レスポンスが良くて素直で融通がきかないほど、緊張を強いられます。
 パワーはパワーですから、自分の力が何百倍にも増幅されている高揚感というのは確かにありますが、そのハイテンションは不安、緊張と背中合わせなのです。
 もしかすると、もっとさらにテクノロジが進めば、パワーだけは圧倒的に増大させながら、おばあちゃんくらい融通がきいて安心感のある技術というものが一般化するのかもしれません。しかし少なくとも現代というのは、有史以来最も多くの一般人が「融通のきかないパワー」と日常的に触れ、同時にその不安に晒されている時代でしょう。
 できれば、間違えたとしてもそれほど大事に至らず、適当に意を汲んでうまいことやってもらいたい訳です。指先一つで人の命を吹き飛ばすかもしれないようなことは、なるべく避けたいのです。
 もちろん、生きているということはそういう緊張を引き受けるということでもあるので、まるで無縁というわけにはいかないのですが、これほどまでにスーパーパワーと身近に触れ合うこと、そのパワーに麻痺していなければまともではいられないことに、やや疲れます。
 この世界でうまいことやろうとしたら、そういう「すごい力」をそれなりに操れることが必要で、そうでない者はどんどん不必要になっています。なぜなら、スーパーパワーがそれらのぐうたらな人間が手でトロトロやっていたことを肩代わりしてくれているからです。結果、要らない人間か、スーパーパワーと戯れ極限のハイテンションと不安の間をジェットコースターのように揺れ動くか、二つに一つしかない世界ができあがってきているわけです。
 繰り返しますが、これもまた技術の進歩によってカバーされる問題である可能性はあります。しかし個人的には、そうした希望的観測はまったく抱いておらず、また新たなパワーと不安がセットでやってくるのがオチだとしか思っていませんから、可能な限り非効率に、融通はきくけれどいい加減で不効率なものとして世の中の重しとなっているのです。
 別段、これが正義というつもりもないですし、どちらに転んでも世の中はつまらないでしょう。
 ただもう、わたしはわたしの意志以前の重力のような億劫さと無能ぶりによって、意の通じる狭い機械より他に出る余力も残っていないのです。



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