『日亜対訳クルアーン』中田考、日本ムスリム協会クルアーンとの比較など

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4861824710日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解
中田 考
作品社 2014-08-02

 ハサン中田考先生監修の『日亜対訳クルアーン』が出ました。
 こうして一般書店からクルアーンの対訳本が出る、というだけで革命的と言えます。というのも、今までクルアーンの「翻訳」はいくつか出ていましたが、対訳本は日本ムスリム協会のクルアーンくらいで、これは日本ムスリム協会に直接注文しないといけなかったからです。タフスィール・アル=ジャラーラインもありますが、これは「翻訳」というにはヘヴィーすぎますし、同じく日本ムスリム協会に注文しないといけません。

 まず、お約束の大前提ですが、クルアーンには「翻訳」がない、翻訳してはならない、ということになっています。もちろん、実際にはいわゆる翻訳は各種言語で大量に出ている訳ですが、それはあくまで「解釈」、タフスィールです。本物のクルアーンは、あくまでアラビア語のままのものです。
 これは別段突飛な話ではなく、お経だって翻訳しないでそのまま節をつけて詠むものです。もちろん、内容理解のための現代語訳というのはあるでしょうが、それはテクスト本体とは別物です。
 以前に「音楽と信仰」で、信仰において音楽が禁じられることがあるのは、音楽と信仰は「キャラが被る」ところがあるからだ、ということを言いました。もうこれだけで色んな方面から怒られそうですが、わたしはそのように考えています。外国語の歌の歌詞が分からなくても、日本語に訳さないと歌えない、楽しむことができない、ということはないでしょう。普通はそのまま丸暗記で覚えて、ライナーノーツやらCDに入っている変な無理矢理な感じの日本語訳を見て「そういうこと言ってるのか」と思ったりするのです。さらに言えば、歌詞の内容を精査したところ論理的な矛盾があったからといって、とやかく言う人はいません。それどころか、全然意味がないような、ただ言いたいから言ってみた、ゴロが良いから歌ってみた、みたいな部分も沢山あります。この辺も宗教的な聖典と非常に通じるところがあります。
 誰の文章だったか思い出せないのですが、「キリスト教のプロテスタントというのは、自分の聖典を節をつけて詠唱しない珍しい宗教だ」というようなことを宗教学者が言っていたことがあります。大抵の聖典というのは、お経のような感じに読誦するものです。クルアーンもそうした前提で「詠む」べきです。

 ですから、「対訳本である」というのは、非常に大切なことなのです。
 本体はあくまでアラビア語ですから、日本語だけ読んでもクルアーンを詠んだことにはなりません。
 ほとんどの日本語話者はアラビア語が分かりませんが、幸いなことに今はクルアーンの読誦音声やアプリ、webサイトなどが大量にあります。日本語訳を読むと同時に、是非音声で聞いてみて頂きたいです。というか、訳とか意味などは二の次で、まず色んな読み手の音声を聞いて、意味も分からずカタカナ読みでもいいので声に出してみる、というのが正しいような気がします。「アラビア文字は分かるけれどアラビア語は分からない」という非アラブのムスリムは沢山います。そういう人たちにとって、ムスハフ(クルアーンの本)は楽譜のようなものです。発声の法則だけ覚えておいて、まず音を出す、それから意味を知る、という順序で良いのではないかと思います。

 話を『日亜対訳クルアーン』に戻すと、その訳そのものについては、わたしごときが良し悪しなど申せません。ハサン先生監修であれば、まず間違いないと思ってよろしいでしょう。
 ですからここでは、一末端ユーザー?として、「本」としての使いやすさ、見やすさに焦点を当てて見て行きたいと思います。
 まず、外見です。参考のために、愛用の日本ムスリム協会版クルアーンと並べてみます。
 日本ムスリム協会クルアーンは大分ボロボロで付箋紙だらけですが、ご容赦下さい。本当はこういう風に気軽に付箋紙を貼ったり書き込みしたりしてはイケナイのかもしれませんが、タフスィールだから許される、と勝手に解釈しておきます(笑)。ほとんど全ページに書き込みがあります・・。

 版の大きさは同じですが、日亜対訳クルアーンはハードカバー、日本ムスリム協会クルアーンは柔らかい表紙です。
 ちなみに、この日本ムスリム協会クルアーンの表紙はなかなか使いやすく、開いてもパタンと閉じてしまわないので便利です。その代わりページを閉じた部分がやや解れやすく、わたしは何度か接着剤で修復しています。

 本の厚さは大分違います。日亜対訳クルアーンは日本ムスリム協会クルアーンの1.5倍から倍近い厚みです。

 肝心の中身です。
 こちらが日亜対訳クルアーン。

 こちらが日本ムスリム協会クルアーン。

 この日本語とアラビア語の配置が、一番非常に気になっていたところです。
 従来の日本ムスリム協会クルアーンではアラビア語と日本語が行単位で対応するようになっており、おおよその意味上の区切りで改行する作りになっています。これはアラビア語を読みながら日本語と対照する、という使い方をする分にはなかなか便利で、日本語だけを追うのでもスペースが多くて読みやすい形式ではあります。
 一方で、本来クルアーンというのは、「ここからここまでが1ページ」というのが決まっているものです。どのムスハフを使っても、ページの切れ目というのが同じものなのです。それが日本ムスリム協会クルアーンでは、意味上のまとまりから改行されていますから、「アラビア語」としては読みやすい反面、クルアーンとしての慣れ親しんだ「塊感」みたいのがなくなっています。
 また、日本ムスリム協会クルアーンのアラビア語表記はフォントが非常に小さく、ちょっと読みにくいです。老眼の方などにはかなり辛いものがあるでしょう。
 一方、日亜対訳クルアーンでは、中央部分にムスハフと同じ形式のアラビア語、その周りを日本語、という配置になっています。
 これはタフスィールによくある形式で、違いとしては、この日亜対訳クルアーンではタフスィール部分(日本語部分)がかなり大きく、アラビア語は真ん中にちょこんと入っている感じであることです。それでも、文字サイズだけ見ると日本ムスリム協会クルアーンよりはサイズが大きく、見やすいです。またフォントも読みやすいフォントです(パキスタンのムスハフなどは、よく分からないグニャグニャしたフォントで印刷してあって、わたしには大変読みにくいです)。

 そして、日本語とアラビア語の対応。
 日本ムスリム協会クルアーンでは、そもそも行単位で一致しているためズレる心配はありませんが、日亜対訳クルアーンでも、おおよそ見開き単位で内容が一致しているようです。すべてチェックした訳ではないので分かりませんが、大体のところは見開き単位で同じ内容にほぼ一致していて、時々スペース的にどうしても合わないところが出てきているようです。特にスーラ(章)の始まりのところには日本語で解説が入るため、完全一致させるのは苦しくなるのかもしれません。それでも、ここまでシンクロさせる構成に出来たというのは、素晴らしいことだと思います。

 逆に、日本ムスリム協会クルアーンの方が良い、日亜対訳クルアーンに改善して欲しい部分、というのを、大変おこがましいですが、個人的に挙げてみます。
 日本ムスリム協会クルアーンでは、「かれ」「われ」などの代名詞がアッラーを指す場合は、フォントが太字になっています。これはなかなか良い工夫だと思うので、取り入れても良かったかな、と思います。
 また、日本ムスリム協会クルアーンでは明白なジュズゥ、ヒズブの区分が、日亜対訳クルアーンでは不明瞭です。アラビア語部分にマークは入っていますが、何番目のジュズゥなのか分かりません。これは日本語訳のアーヤ末などに、切れ目でジュズゥ番号、ヒズブ番号を入れれば済むことなので、割と簡単に改善できるのではないかと思います。増刷時には是非検討してやって下さい。ラマダーンなどで毎日決まった量読むぞ!という意気込みのある時は、コレがなかなかモチベーションをあげてくれるのです(笑)。
 それから、日本ムスリム協会クルアーンではسكتة لطفةやسجدةのマークが分かりやすくアラビア語の脇に出ているのですが、日亜対訳クルアーンではムスハフの中のマークになっています。でもこれはよく考えてみるとこちらが本来の形式なので、コレで良いように思います。
 また、些細なことですが、「ズフルフ」とか「ムタッフィフィーン」などの、アラビア語をそのままカタカナ書きしたスーラ名表記が、日亜対訳クルアーンにはありません。「アラビア語で書いてあるんだからそんなものは要らないだろう!」と言われるとその通りなのですが、アラビア語が出来ない、苦手である、という人が少しでも本来のクルアーンに親しむのに、カタカナというのは多少なりとも助けになると思います。そういう甘っちょろい表記が併用されていてもいいかな、と思いました。たとえアラビア語表記があり、かつアラビア語が一応わかったとしても、パッと両言語併記されているものを見ると、びっくりするくらい日本語だけが入ってきてしまうものです。そういう時、カタカナがあると誘導になるようにも思います。

 総合的に見て、非常によく出来ている、というか、一般書店で買う一般読者にとってはほとんど唯一の選択になるでしょう。
 特に、「日本語を中心に読んで時々アラビア語も見る」方には、丁度良い構成でしょう(それでも、アラビア語音声を必ず聞く、モノマネしてみる、というのは大事だと思います)。
 「アラビア語を中心に読んで時々日本語も見る」という場合、なかなか難しくなります。わたしが正にこういう「ユーザー」なのですが、日本ムスリム協会クルアーンでも日亜対訳クルアーンでも、あるいはアプリの類でも、完璧というものはありません。どれもそれなりに良いところがあり、悪いところがあります。とりあえず、日亜対訳クルアーンはかなり重いので、電車の中などで読むのには向いていないと思います。わたしの場合、愛用の日本ムスリム協会クルアーンが書き込みで「自分クルアーン」化してしまっているので、乗り換えるのが面倒くさい、というのもあります。鉛筆で何か書いてあるところが近づくと、何か難しい表現や単語がある、と身構える体制が既に出来てしまっています(笑)。良い子はクルアーンに書き込みをしてはいけませんよ(わたしも正式なムスハフはそういう扱いをしません)。

 ムスリムについては言われないでもゲットされるでしょうが、非ムスリムでクルアーンに興味がある、ちょっと読んでみたい、という方は、選択の余地なく、この日亜対訳クルアーンを入手すべきです。
 某廉価で手に入る訳などは、言語的な試みとしては面白いのかもしれませんが、聖典の訳としては不適切すぎて、参考になりません。
 書籍としてはちょっとお高い方ですが、これ一冊持っていればずっと使えるものですし、クルアーンは千三百年前に出て続刊の予定もありませんから、これ以上お金がかかることもありません。品切れにならないうちに購入しておいた方が良いです。

 ちなみに、音声とアラビア語、日本語を併せて利用したい場合、webではtanzil、アプリではiQuranが個人的にはオススメです。iQuranはAndroid版しか使ったことがありませんが、iPhoneでも同様ではないかと思います。他にも色々あるので、時間のある方は探してみると良いでしょう。