言い古された、諦めるお話

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 割と言い古されたお話です。
 以前に、同じくエジプト生活の経験がある日本人ムスリマと話していて、「エジプトにいると神様の存在を感じるよね」と言い合って笑ったことがあります。
 別にエジプト人が信心深いとか、宗教的な風土がある、ということではありません(それもまぁなくはないですが)。
 単にエジプトでは、何からなにまで予定通りに行かないからです。
 日本で暮らしていると、行動する時は予定を考えますし、頭の中で「これをやって、それからこうして」とイメージを作りながら作業をこなしていくことが多いです。実際、電車も時間通りに来るし、道も普通に渡れるし、お店に行けば欲しいものがあるし、時間に正確な人が多いです。何か上手くいかないことがあったら、それは「(時間を守らない約束相手などの)人が悪い」ことになります。
 でもエジプトでは、もう笑えるくらい予定通りにことが進みません。
 交通機関はメトロを除くと全くアテにならないし、いい加減で口ばっかりの人が多いし、突然停電になるし、欲しいものがお店にない、あったと思ったら腐ってた、みたいなこともよくあります。
 これは別に、エジプトに限った話ではなく、一部の先進国を除いた世界の大部分は、大体こんな感じなのではないかと思います。
 と言うより、人類の歴史のほとんどは、こんな感じに「予定通りにならない、アテにならない」世界が基本だったのでしょう。
 そういうところにいると、もういくら頑張っても思い通りになどなりません。最初はカリカリしているのですが、段々諦めるようになります。諦めて、頭を空っぽにしていくと、わらしべ長者式に行く先々で人が助けてくれたりして、何だかサッパリ分からないけれどうまくいく、というようなこともあります。そういう時に「神様を感じる」というお話です。別に深いものではありません。

 言い古された話ですが、貧しい「途上国」の方が子供の目がキラキラしている、というようなのがあります。実際のところはそんな脳天気なものではなく、やっぱり貧乏は恐ろしいと思うのですが、貧しくて秩序の弱い世界の方が、確かに不思議と明るい人を多く見かける気がします。別に数字があるわけではないので、単なる体感ですが、似たようなことを言う人は沢山いるので、大体そんな傾向があるように思います。
 秩序だって色々思い通りになったら、その方がハッピーな筈なのですが、実際は「うまくいく」世界の方がカリカリしている人が多いようです。
 これは要するに、「うまくいく」ことに慣れてしまって、頭の中で「うまくいく」前提で色々イメージしてしまうからでしょう。
 親切心で人にお金をあげると、最初はありがたがって感謝するけれど、何度もあげているうちに段々慣れてきて、そのうち「お小遣いまだ?」とせかされるようになる、ような話です。
 慣れてしまうものはどうしようもないので、仕方ないと言えば仕方ないのですが、期待レベルが上がってしまうと、お互いにカリカリしてあまり良いことがありません。
 色々諦めてダメ元でいれば、たまたま上手くいけば嬉しい気持ちになるし、神様も感じます。
 大体、わたしたちが元気にそれなりの暮らしをおくれているのも、たまたまそういう流れの中にいるからで、別段努力とか計画とかのお陰ではありません。努力もまぁ、しているでしょうが、努力なんてしている人は他にも山ほどいるわけで、その中で「うまくいっ」ているのは、運が良いだけです。わたしは神様のお陰だと思っていますが、神様というのがウザかったら、要するに運だと思ったら良いです。

 そうは言っても、そんな簡単に気持ちが切り替わる訳でもなく、こんなベタな話をしても始まらないのですが、わたしは人一倍カリカリし易い質なので、色々諦めるように自戒を促しておきます。
 思い通りになるのは結構なことの筈なのですが、「思い」は所詮脳みその中だけの話だと諦めておかないと、かえって息苦しくなるようです。なんとなく、夢の話に似ています。夢は、見た本人にとってはしばしば強烈な印象を残しますが、その話を聞かされる側にとっては退屈きわまりません。そういうのは、頭の中に留めておいた方が、多分お互い幸せなんじゃないでしょうか。



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