アラブ・エクスプレス展

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 アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知るを見に行きました。

 一緒にいった連れは美術に詳しいですが、わたしは素人で、あまり期待していなかった連れが割と評価していて、わたしは微妙な気分になりました。
 なにせ素人ですので、作品そのものの良し悪しのことは何も言うつもりはありません。単に好きなものも嫌いなものもあります。
 またアラブといっても広く、わたしが多少なりとも親しみがあるのはエジプトだけです。エジプトについても、十年二十年住んでいる人のように知っている訳ではありません。
 ですから、非常に限られた知見の中での「感想」に過ぎないのですが、考えたのは、「浮世離れ」感をどう受け止めたら良いのか、ということでした。

 「浮世離れ」感といっても、現代美術などというものはどこの世界でも浮世離れしているもので、そのこと自体は特に問題ではありません。ただ、所謂先進諸国に限っていえば、現代美術家が多少浮世離れした変人であることはあっても、特定の階層に限られているということはないでしょうし、貧乏人もいれば金持ちもいるでしょう。日本に限って言えばビンボーな人が多いのかもしれません(よく知らないので違ったらすいません)。
 ただ、エジプトに限って言えば、間違いなく大多数が特定の階層、つまり一握りの富裕層の出身の筈です。単に金持ちというだけなら別に構わないのですが、ことがややこしいのは、これが植民地主義の残滓と絡み合っているからです。大抵の旧植民地は、一握りの特権階級が宗主国の文化や教育を享受し、これにアイデンティファイすることで搾取構造の下支えとなってきました。もちろん、エジプトについて言えば、この特権階級も現在は「エジプト」に帰属意識を持っているでしょうが、植民地時代に築かれたこうした構造が、極端な貧富の差や搾取構造の基盤として残り続けているのも確かです(それでも「エジプト」にアイデンティファイできることは得難い成果で、少なからぬ旧植民地諸国、特にフランスを旧宗主国とした地域では今でもフランス至上的な空気があり、そのいくらかではこれが払拭できる見通しすらない)。

 この点についても、とりあえずまぁ良しとしたとして、加えて感じるのは、少なくともエジプトについて、「エジプトらしさ」みたいなものが、いくつかの限られた作品を除いてあまり感じられない、ということです。
 しかしここにも留保すべきことがあって、エジプト人アーティストがエジプト的な作品を作らなければならない義理はありません。日本人が日本的なアートしか作ってはいけない、ということはないでしょう。西洋風でも全く構いません。ただ、これが本国以外の人の目から見られた時、「これではただの西洋劣化版だ、それなら西洋の方がマシ」と映ってしまうのも否めません。
 すると残されたチャンネルは、「らしさ」の宿命をある程度引き受け、なおかつ「らしさ」に巻き込まれ切ってしまうことなく、ズラしていく、というものがあります。そう言ったところ、連れ殿が村上隆の名前を挙げたのですが、全くその通りだと思います。彼は「日本から来たヤツ」というどうしようもなく鬱陶しい縛りを一度引き受けた後、これに巻き込まれてステレオタイプな道化を演じるのでもなく、自分なりの形でズラして見せることに成功しているでしょう(とわたしは思う)。
 こうした問題は、出品されたいた作家各位もおそらく大いに意識していることで、その痕跡は随所に見受けられます。「エジプト=ミラミッド」というステレオタイプを逆手にとって、様々な映画からピラミッドの場面を抜き出しコラージュした映像作品、一見「イスラーム過激派」の犯行声明風の映像だが実は千夜一夜物語を朗読しているだけ、という映像作品などは、「アラブ」のイメージを一度引き受けた後に、これを巻き返そうという試みと見受けられます。
 しかし、率直に言って、この巻き返しは充分に成功しているとまでは言えず、どこか自嘲的なパロディの粋を出ていないように見られます。「アラブ」を外から見ている視点に引きずられて負け気味で、斜め上から切り返すような圧力が感じられません。

 斜め上的な力があるとしたら、わたしならこれを路上から拾い上げるでしょう。
 そういう作品がなかった訳ではなく、カイロの路上スナップを元にした作品などはなかなか良かったのですが、あの(埃っぽい)空気感までは伝わって来ません。どうしても「エジプトはこんな小綺麗なもんじゃないやろっ! あの埃っぽくて死ぬほどうるさいところがオモロイやないかっ」という気がしてしまいます。
 しかし、この視点はそれこそ「外人」のもので、エジプト人からしたらそんなものは取り上げるに値しないし、視界にすら入らないのかもしれません。そんな「外人」視点を押し付ける気はないし、むしろこざっぱり見せる方が本当のエジプト人らしいのかもしれませんが、メディアを通じたイメージに対し、これを引き受けつつ斜め上に返す方法があるとしたら、むしろあの雑然さと騒音の中にあるように思えてなりません。それは例えば、一昔前の日本人アーティストが似たような状況で日本的サブカルを援用したようなものです(今それをやっても別に面白くないだろう)。

 そんな訳で、以上は一人ボケ一人ツッコミの類で、結論としてプラスもマイナスも言えるものではありません。ただグルグルと考えているだけです。
 単にわたしにとっての「アラブ」が、あの小奇麗で一人もアラブ人のいない会場とかけ離れている、という、当たり前のことだけかもしれません。
 それにしても、うーん、もっとオモロイ筈なんやけどなぁ・・・上手いこと表現してくれへんやろか・・・。



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