電車の中での会話

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 先日電車に乗っていたら、かなりお年を召されたおばあさん二人組が乗って来ました。一人は買い物カートでなんとか歩いているようなお年寄りです。
 二人はとても元気なおばあさんで、特に一人は、身体こそ小さいものの、実に矍鑠としています。
 その二人は、どうも乗った電車が正しいのか自信がないようで、しきりに話し合って、時々路線図を見に立ち上がっています。ある駅で二人が立ち上がっている時に、乗ってきた男性がうっかり空いた席に座ってしまいました。すぐに気づいて席を譲ってくれたのですが、それをキッカケにおばあさんの一人が男性に電車のことを尋ねました。
 男性は不案内なようで、よく分からない、ということを言っています。
 また元気な方のおばあさんが立ち上がって路線図のそばに来たので、そのすぐ近くに立っていたわたしは「どちらまで行かれるんですか」と尋ねました。
 しかし言われた地名はわたしもよく分からず、さらに連れに尋ねて確認します。そうしているうちに、おばあさんの向かいに座っていた若い男性が、乗換駅を教えてくれました。
 まるで関係ないのですが、その男性の頭に何か葉っぱのようなものが付いています。
 見知らぬ男性ですから、普段だったら放って置くのでしょうが、何となく車内で話が盛り上がった勢いで「何か付いていますよ」と取ってあげました。

 こんな風に電車内で見知らぬ他人同士が会話になると、なんとも愉快な気持ちになり、緊張が解けます。
 日本の電車はなぜか妙な緊張感がいつもあるように感じるのですが、こんなちょっとしたことで随分楽になります。もちろん、変なトラブルになる可能性だってあるでしょうが。
 「まるでエジプトのようだ」と思ったのですが、エジプトではメトロやバスの車内で他人と話すのは当たり前です。特に女性専用車両は社交場のようになっています。ある友人は、「わたしの友達の半分くらいは、メトロやバスで偶然隣り合わせて知り合った子だ」と言っていました。
 エジプトは色々ととんでもない国で、「エジプトのどこが良いか」と問われても少し考える一方、「悪いところは」と尋ねられたら速攻で二十くらい列挙できるようなところです。もう問題だらけです。
 ですが、こうした人々の間の関係については、羨ましいと感じるところがあります。
 あそこまで他人と触れ合うのは、対人距離が近いアラブ人ならではでしょうし、到底真似できるものではありませんが、日本でももうちょっとだけいいから車内の会話があれば、もう少し電車が楽しくなるような気もします。
 ただでさえも緊張しているのに話すなんて到底無理、と思うかもしれませんが、緊張というのは距離感の測れないところで生まれるもので、話してみると意外と楽になることが多いです。大体何でも一人で考えている時が一番不安になるもので、腹の立つ相手に意を決して話に行ってみたら、意外とすんなりいって「そこまで苛々することでもなかった」ということもあるでしょう。もちろん、うまくいかないことだって沢山あるでしょうが・・。
 日本の電車は正確で清潔で速くて最高だと思います。そんな電車がいつも戦場のような張り詰めた空気なのは、なんとも勿体無いです。



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