プロレス史観、プロレス宗教

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食べログのやらせ問題も大相撲の八百長問題もそうなんだけど、当然そういうことはあるだろうなということを織り込んで判断するといったプロレス史観がどんどんと失われ、情弱のマジレス運用が社会のデフォルトになっていることに微妙な恐怖感を覚えるTwitter / @igi: 食べログのやらせ問題も大相撲の八百長問題もそうなんだ …

 これ上手いですね。
 この反対というか、対偶みたいな位置にあるのが「プロレスはガチなんだ!」と本気で言い張る「原理主義」で、文字通り所謂ところの「原理主義」、あるいは単なるパラノイア的なカルトも似た位置にあります。両者は値として等しい。
 何が言いたいかといえば、信仰に対する「狂信的」否定的態度も、額面通りのマジレス運用しかできない福音派みたいな人々も、同じものの裏表だということです。
 実際上の信仰というのは、実にプロレス的なものでしょう。
 プロレスラーは少なくともとても身体が丈夫だろうし、時にはガチで殴り合いもするでしょうが、その他諸々も同時にあるのがプロレスで、それを分かって楽しむのが大人のプロレスファンというものの筈です。
 というより、実際の人生というのは、往々にしてどこからがガチだか分からないプロレス的なものでしょう。
 信仰からプロレスが失われたら、カルトと子供じみた「無神論」しか残りません。