カリーマ・エルサムニーさんが、日本のイスラーム界隈でどういうイメージを持たれているのか、正確なことは知りませんが、微妙な位置づけ方をされている匂いというのはします。人によっては嫌っているでしょう。
彼女はムスリマで、かつある程度の知名度のある方ですが1、ムハッジャバでもないし、いかにもイスラームな言動をしていることもないですから。
以前に彼女の『イスラームから考える』を拝読し、うろ覚えですが、「イスラームそのものについて語るのは乗る気がしない、しかしそれは確実にわたしの一部で、そこから考える、ということはある」といった内容のことがありました。またクルアーンのالعلقを取り上げ、その力強さについて力説されている箇所もあったと思います。
フランスでのヒジャーブ問題について、服装の慣れの問題という視点から書かれていたので、信徒によっては「それは全然違う話だ」と感じられているかもしれません。それは重々承知の上で、あえてそういう書き方をしているのは明白だと思うのですが。
ともあれ、他の人がどう読まれるかは知りませんが、いかにもムスリマな振る舞いをするわけではなく、それを前面に押し出すわけでもない一方、神様への愛についてはひしひしと伝わってきました。こういうスタンスは、ムスリムが多数派の地域では珍しくないでしょう。
わたしは全体として、彼女の考え方にとても共鳴するし、まるで立場が違いますが、それくらいでイスラームと付き合っていきたい、とも思っています。
何の因果かここでイスラームについて書くことが多くなりましたが、わたしはイスラームの専門家でもなければ、それ一色の暮らしをしたいとも全然思わないし、大して信仰熱心だとも思っていません。正式なイスラームについての教育も受けたことがありません。性分で色々考えたり書いたりはしてしまいますが、それは悪癖というもので、本当は極力余計なことは言いたくないのです(それを貫徹できたらこんなアホな人生は送っていなかった筈ですが・・)。
カリーマ先生は、一度だけ生で目撃したことがあるのですが、イメージより小柄で可愛らしい感じの方でした。わたしは残念ながら小柄でも可愛くもないですが、ああいう風にイスラームと付き合えたらなぁ、とは思っています。
- ちなみに彼女のもう一つの故郷エジプトでも結構知名度があるらしく、全然知らない人に突然「お前日本人だろう。カリーマを知っているか」と聞かれたことがあります [↩]